「宣言」に効き目はあるのでしょうかの現代用語集
新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)に感染した台湾人医師の旅行・滞在が発覚した関西の諸都市は、とりわけ観光資源の風評被害を避けるべく、「十分な調査を経たうえでの安全宣言」という方法で、これを乗り切ろうとしました。おそらくそれが、考えうる範囲内で最も適切な方法だったのでしょう。しかし現代では、この安全宣言というもの、というより、あらゆる宣言が、“結局は言葉でしかありえない”ために、ある種の危うさをもっています――「本当なのか」という。見通しのあまい安易な宣言や、空理空論の宣言、いいかげんなウソが、かなり長い時間をかけて“宣言される言葉の力”を磨耗させてしまったのです。もったいないことです。

日本のみならず世界各地で、しばしばカルト教団絡みの事件が起こります。どうしたらよいものでしょうか。そこで、ここでは長い時代の風雪に洗われて、いまや秩序と穏当の代表となった宗教のキーパーソンからキーワードで“落ち着き”の糸口をさぐってみましょう。
世の中がもっと貧しくて、しかもみんなが何とか豊かでありたいと思っていた時代に、たくさんの“代用品”が生まれました。
白色は、そのイメージさせるものが、プラスの意味で公正・高潔・清潔・神聖…、マイナスの意味で恐怖・死・降伏…という