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「宣言」に効き目はあるのでしょうかの現代用語集
 

宣言百態

父なし子宣言

本誌1975年版収録。以下、

ひと昔前なら、私生児を生むなどとても世間に顔向けのできることではなかったはず。ところが、1971(昭和46)年秋、女優の加賀まりこが、敢然と父親不明の私生児出産を宣言、賛否両論の渦を巻き起こした。父親とみられる歌手の布施明をめぐって、新しい愛のかたち論争がふっとうしたが、翌年春に加賀が死産したためあっけなくチョン。しかし、その落とし子でもあるまいが、自称結婚プロデューサーのやまのべもとこを会長に「未婚の母の会」が発足、子供はほしいが亭主はいらぬというウーマンリブ的発想。

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関白宣言

本誌1980年版収録。以下、

人気のシンガー・ソングライター、さだまさしが歌って100万枚の大ヒット曲となった歌の題名。"亭主の浮気は覚悟しろ""めしは上手に作れ"といった内容の一連の歌詞が「女性べっ視だ」「イヤあれは男のユメを表現したものだ」と反響をよび起したが、最後の歌詞の"俺はやっぱりお前を愛している"というのが本音であり、結局は弱くなった男の現実を歌ったのが、ヒットの原因だろうか。

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"独立国宣言"

本誌1983年版収録。以下、

井上ひさしの小説「吉里吉里人」のモデルになった岩手県大槌町が「夢の里・古里吉里国」と名乗りをあげ、続いて福島県太良山ろく岳温泉に「ニコニコ共和国」、長野県白馬村に「マンガ王国」、と小さな独立国が流行となった。"吉里吉里国"の外交大臣が観光ホテルの主人、水産庁長官が魚屋さん、出入国管理庁長官がドライブインの親父さんといった具合。いずれも"観光立国"だが、「地方の時代」の一つの新しい動きとも見られる。地方が中央の政治や資本の力によって変質され、自然は破壊され、労働力は工場に吸収され、過疎現象が進行している。その危機意識が、独立国宣言−ふるさとの再認識運動−となったものだろう。異色は、宇佐八幡宮のある大分県宇佐市の新邪馬台国、女王卑弥呼(ひみこ=貞清かすみ)の下に首相(宇佐市長・秋吉太郎)以下閣僚をそろえ、ウサノピア(宇佐ユートピア)の実現をめざしている。

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天皇の人間宣言

本誌1985年版収録。以下、

1946(昭和21)年1月1日、天皇が発した詔書。明治天皇の五箇条の御誓文を国是として再認識し、日本の再建をうたうとともに、天皇の神格を否定するくだりがあったので、珍無類の「人間宣言」と呼ばれた。当時、内外の天皇制批判が強まるなかで、天皇の戦争責任追及を避るためにGHQから指示をうけた幣原首相が起草した。マッカーサー司令官は直ちにこの宣言を歓迎する声明を発表した。以後、人間天皇のPRをするために、GHQの示唆のもと天皇の各地への巡幸がはじまる。52年の秋、那須での宮内庁記者との会見の際、天皇は「詔書の目的は五箇条の御誓文であり、神格(否定)とかは二の問題だった」と述べた。

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性倫理に関する諸問題についての宣言

本誌1978年版収録。以下、

性について考える時、1976(昭和51)年という年は、いろいろな意味で大きな年だったと考えられる。その一つは、現在の性をめぐる社会現象に対して、一定ブレーキ的役割を果たす態度表明が、日本共産党ならびにローマ法皇よりなされたということである。ローマ法皇のものは「性倫理に関する諸問題についての宣言」と呼ばれるもので、21頁、6000語からなる。婚前交渉、同性愛ノー、自慰行為は、やや寛大な点を見せながらもノー、性教育は年齢に見合ったものを、マスコミに対しては、快楽主義を広げるな、と警告している。これに対して、日本共産党のものは、機関紙「赤旗」紙上に、無署名で2回にわたり、連載されたもので、「退廃との思想闘争は、民主青年運動の重要課題」とタイトルがふられている。現代の性をめぐる現象を、「退廃」であると規定した上で、そのあらわれは、「非人間的商品化」と、「人間を動物的水準に引下げる傾向」にあらわれているとして、理性的な自己規制、モラル、豊かな愛情によってのみ性に対せとさとしながら、「一部無責任な評論家」をきびしく批判している。

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マスメディア宣言  Declaration of the Mass Media

本誌1982年版収録。以下、

1978年第20回ユネスコ総会で採択された宣言の略称で、本来は「平和と国際理解の強化、人権の促進、ならびに人種差別主義、アパルトヘイト(人種隔離主義)および戦争の扇動に対抗するうえでの、マスメディアの貢献に関する基本原則の宣言」が原文である。

世界における情報の流れの不均衡を正すことを目指し、情報の自由を保障する憲法と国際協定の尊重をあげているが、成立にいたる過程でも、たとえば先進諸国と発展途上国、報道の自由と報道の国家管理をはじめ、多くの対立する立場の処理に苦心のあとがみられる。ただ、世界の人々が社会体制の相違を超えて、自由な情報の流れに浴することへの願望は貫かれている。さらにこのようなコミュニケーション秩序の検討は、80年公表された通称「マクブライド(McBride)委員会」報告で詳述されている。

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