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カルトではない御仁から学んだらどうかの特集
 

ローマ法王

法王  Pope

ローマ・カトリックの指導者でありイエスの代理者。西欧総大司教、イタリア首座大司教等を兼ねる。ギリシア語の「父(=papas)」に由来。キリスト教の東西分裂前はすべての司教の通称だったが、グレゴリウス1世(位590〜604)がローマ司教の専称とした。日本では「法王」「教皇」の称が混用されているが、カトリック中央協議会では1981年、ヨハネ・パウロ2世の来日を期に「教皇」に統一。マスコミ各社にも「教皇」で統一するよう要請しているが、あまり浸透していない。ちなみに「法王」の語は、もともと仏法世界の王をさす言葉であったが、これをpopeの訳語にあてられた。

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ポーランド人法王

現ローマ法王ヨハネ・パウロ(ヨハネス・パウルス)2世(1920年生。位1978〜)は、264代目。本名カロル・ユゼフ・ヴォイティワで、ポーランド出身。ヨハネス・パウルス1世の逝去に伴う選挙でクラクフの大司教から現職に。イタリア人以外の法王が誕生したのは、16世紀のハドリアヌス6世(オランダ〈フラマン人〉出身)以来、約450年ぶりのこと。ポーランドからの選出はカトリック教会史上初。

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バチカン市国  Stato della Citta del Vaticano

全世界のカトリック教会の総本山。面積0.44平方キロメートルの世界最小国で、人口1000人の多くが聖職者などのカトリック関係者とスイス人衛兵。国連における正式国名は the Holy See。ローマ法王は、カトリックの最高指導者であると同時に、市国の元首でもある。バチカンが法王の居所となったのは、1377年まで70年間つづいたアビニョン幽閉が終わってから。この地に初代法王でもある聖ペテロの墓所があるとされる。

ローマ法王庁は19世紀のイタリア統一に伴って領土を取り上げられて、イタリア国家とは不仲が続いていたが、1929年、教皇とファシズム国家指導者ムッソリーニの間に結ばれたラテラノ条約により和解、この地を与えられて独立国家となった。

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カトリック  Catholic

キリスト教の一派。ギリシア語の「普遍的な(=katholikos)」に由来。正しくは「ローマ=カトリック教会」。1054年、東方正教会が分離していった際に、西方教会が、ローマを頂点とする教団組織を形成、カトリックを称した。その最高位がローマ法王で、全世界で10億人に及ぶ信者は法王庁(教団の行政機関)に従う。その後、カトリックの権威に異議をとなえ離脱した「プロテスタント」と、東方正教会の流れをくむギリシャ正教会が、キリスト教の3大勢力である。

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コンクラーベ  conclave

法王選挙の意。原義は「鍵で閉められた場所」。選挙会場はシスティーナ礼拝堂。選挙権を持つ枢機卿(80歳未満。原則定員は120人だが、現在135人)が礼拝堂および宿舎に完全に隔離され、投票総数の3分の2+1を得た者が出るまで続けられる。外界に投票結果を知らせるのは礼拝堂の煙突から出される煙で、選出されれば白煙、でなければ黒煙が出される。無記名投票が採用されたのは11世紀になってから。

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演劇

舞台などで戯曲を上演して、観客に見せる芸術。ヨハネ・パウロ2世は13歳頃から学生演劇の舞台に立ち、ヤギウェオ大学でも演劇部に所属。ナチスによるポーランド占領時代には、強制収容所送りを覚悟でアングラ演劇にも関わった。だが、父の死などをきっかけに神学を志し、戦後の46年に神父となった。

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空飛ぶ聖座

ヨハネ・パウロ2世は積極的に外国訪問を行うことで知られ、「空飛ぶ聖座」と呼ばれている。選出4ヵ月後のドミニカ・メキシコ訪問を皮切りに、移動距離はゆうに100万キロを超え、2003年6月のクロアチア行きで100回目の外遊。これはかつてなら考えられないことで、ヨハネ23世(位1958〜1963)が始めて列車でローマを離れ、イタリア国内の巡礼地を訪ねた時に大騒ぎになったほど。

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聖ペテロ  St. Peter

初代の法王とされる。在位 ?〜67? ガリラヤ湖畔のベトサイダ出身の漁師だったが、イエス・キリストの弟子となって、使徒団の頭に任命された。ペテロとはギリシア語で「岩」を意味し、協会の礎となるようにとの意味をこめてイエスがこう呼んだ。最後はローマで殉教。その墓所がバチカンにあるとされ、1973年、バチカン考古学研究所は「法王専用祭壇の真下にペテロの墓地を確認した」と発表。

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ユダヤ教  Judaism

ユダヤ人の信仰する宗教。信仰対象は絶対神ヤハウェで、ユダヤ民族はヤハウェより特に選ばれた民とする。モーゼの律法を重んじ、旧約聖書を経典とする。カトリック信者の間では、キリストを十字架に架けたのはユダヤ人とする教えが広まり、2000年来対立してきたが、ヨハネ・パウロ2世はユダヤ教との関係改善に尽力。86年には法王として初めてローマ市内のシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)を訪問、また2000年3月には、反ユダヤ主義や十字軍、異端審問などについて教会の責任を認めた。

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退位

王などの高い位にあるものが、その地位を退くこと。ヨハネ・パウロ2世は高齢化、パーキンソン病など体力の低下にともなって、生前退位の可能性も取り沙汰されている。しかし、2003年5月には前年の健康悪化からも回復、83歳の誕生日を無事に迎えて、「神に与えられた使命を全うできるよう、祈ってほしい」とミサの聴衆に呼びかけた。退位説はやや遠のいたものと見られる。

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和解/謝罪

ローマ法王庁はカトリックの最高権威であるが、昨今は融和的性格が強く、多くの方面に対して和解と謝罪を行っている。こうした動きは主要宗教のなかでも際立ったもの。1964年にはギリシャ正教と歴史的和解。ロシア正教とも関係改善。ユダヤ教やイスラム教とも関係改善の動き。大航海時代から帝国主義時代にいたる時期に、先住民に対して行った差別・圧迫・蛮行について責任を認めたり、謝罪を行ったりもしている。冷戦期には、反宗教を思想の主要な核としていたマルクス主義国家群(共産圏)とさえ国交回復した。

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