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カルトではない御仁から学んだらどうかの特集
 

瀬戸内寂聴

徳島県徳島市

瀬戸内の出身地。人口約26万人(15年5月現在)。徳島県の中心都市。毎年8月の阿波踊りで有名。出家前の名・瀬戸内晴美は本名で、1922年生まれ。家業は神仏具商で、もと三谷姓を名乗っていたが、晴美が7歳のとき、父が親類と養子縁組をして一家とも瀬戸内姓となった。

徳島県のある四国は、古く弘法大師が八十八ヶ所の霊場を定め、お遍路さんによる巡礼で知られる仏法のさかんな地。

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人形浄瑠璃

三味線と浄瑠璃(音曲語り)に合わせて人形を操って演じる、日本固有の劇。徳島には江戸時代、藩主蜂須賀家が人形浄瑠璃の盛んだった淡路を領することにより流入、18世紀半ばに全盛期を迎えた。瀬戸内は幼い頃から町を流して歩く人形浄瑠璃が好きで、意味が分からないながらもその文句を諳んじていたという。「最初にふれた文学とは、浄瑠璃の文章」とは本人の弁。

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見合い

知らない同士の男女が結婚するかどうかを決めるために会うこと。1940年、東京女子大学の国語専攻部に入学した瀬戸内は、在学中に見合いをして結婚。相手は中国古代音楽史の研究者。1942年に戦時繰上げで卒業、のち北京に住み、一女をもうける。戦前の道徳教育で育った瀬戸内は典型的な良妻賢母だった。しかし1948年、年下の文学青年と恋におち、「作家になる」と宣言して家を出ることになる。

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子宮作家

離婚後、上京した瀬戸内は少女小説や童話を書いて生計をたてながら、同人誌に参加して作家としての修行に励む。1957年には初めての作品集を刊行、作家としての地歩を築きはじめた矢先の同年、「新潮」に発表した「花芯」が批評家にポルノ扱いされ、「子宮作家」なるレッテルを貼られる。以後5年間、文壇から追放状態となり、文芸雑誌に作品発表の機会が得られなかった。

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田村俊子

1884〜1945。作家。病のため日本女子大学国文科中退後、18歳で幸田露伴の門に入る。1909年、同門の田村松魚と結婚。11年、長篇「あきらめ」が出世作となり、その後も、「青鞜」などを舞台に、女性としての自我をテーマにした作品群を発表。18年、朝日新聞記者と恋に落ちて、バンクーバーに渡り18年間滞留。敗戦直前、上海の路上で昏倒しそのまま死去。瀬戸内は「花芯」によって文壇から追放されている間、同人誌を舞台に田村の伝記を書き次ぎ、1961年「田村俊子」にて第1回田村俊子賞を受賞した。現在、同賞は中断されている。

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女流文学賞

中央公論社(現・中央公論新社)が主宰していた文学賞。1961年に女流文学者会主催の「女流文学者賞」を吸収・制定された。かつて、女流作家にとってはもっとも欲しい賞と言われた。瀬戸内は自らの恋愛体験を綴った私小説「夏の終り」で1962年、同賞を受賞。一躍流行作家となって、文壇での地位を完全なものとした。歴代の受賞者には、野上弥生子、円地文子、有吉佐和子、宇野千代、幸田文、宮尾登美子、田辺聖子、山田詠美、松浦理英子、高樹のぶ子などがいる。同賞は2000年授賞をもって終わり、現在は男女対象を問わない「婦人公論文芸賞」に替えられている。

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出家

俗世を捨て、僧になること。瀬戸内は流行作家としての日々を送るうち、むなしさにとらわれるようになっていったという。出家の思いを抱くようになって10年、1973年11月、「文學界」に連載していた「抱擁」の最終回を書き上げて、奥州平泉中尊寺にて得度、作家でもあった今東光大僧正(1898〜1977)の門に入った。法名寂聴。

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寂庵

京都市右京区。出家後の1974年12月に構えた瀬戸内の庵。1985年5月には、単立宗教法人寺院・曼陀羅山寂庵の庵主となり、修行道場・嵯峨野僧伽(サガノサンガ)が落慶した。毎月、写経の会、座禅の会(2003年4月以降中止)、法話の会(要予約)などを行っている。機関紙ともいうべき「寂庵だより」も毎月刊行。ホームページはhttp://www.jakuan.com/

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「源氏物語」

11世紀初め(平安中期)、紫式部作による物語文学の代表作。前半44帖は桐壺帝の皇子・光源氏を、後半10帖はその子・薫大将を主人公とする。瀬戸内は6年間かけてこの現代語訳に取り組み、完成させた(講談社刊)。同作を「出家していく女たちの物語」ととらえたところに特色がある。

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天台寺

岩手県二戸郡。正式名称は八葉山(はちようざん)天台寺。天台宗。東北最古の古刹で、奈良時代、728年に聖武天皇の勅命により、行基上人が開山したと伝えられる。1987年5月、瀬戸内が第73世住職となり、翌年5月には比叡山不滅の法灯が分灯される。本尊・桂泉(けいせん)観世音立像などが重要文化財。

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