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ああ、懐かしの冬季五輪

ああ、懐かしの冬季五輪

笠谷幸生

1972年、アジアで初の冬季オリンピック札幌大会が開催され、70メートル級ジャンプで笠谷幸生、金野昭次、青地清二がメダルを独占した。中学生の頃から、ジャンプの神童と呼ばれ、28歳で円熟期を迎えた笠谷は冬季オリンピック史上、日本選手初の金メダルを獲得。これをきっかけに、日本のジャンプ陣は「日の丸飛行隊」と呼ばれるようになった。

35カ国が参加して行われたが、日本のメダルはジャンプの金・銀・銅各1個のみであった。

このオリンピックの人気者は、外国人選手では、アメリカのジャネット・リン(女子フィギュアスケート)。銀盤の妖精と呼ばれ、アイドルに。決勝の尻もちとリン・スマイルでファンを魅了した。

トワ・エ・モワが歌った大会のテーマ曲「虹と雪のバラード」(河邨文一郎作詞、村井邦彦作曲)もヒットした。

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札幌オリンピック

→2002年06月号参照

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荻原健司

1992年2月、フランス。アルベールビル冬季五輪が開幕。スキー・ノルディック複合団体で、三ヶ田礼一、河野孝典、荻原健司のチームが金メダルを獲得。日の丸をグルグル回しながらゴールインした彼のパフォーマンスは、スポーツ選手の従来イメージ(国家を背負った悲壮な選手)を打ち破り、新人類との異名をもたらした。2年後開かれたリレハンメル五輪(ノルウェー)でも、河野孝典、阿部雅司と組んで優勝、2連覇を果たした。

荻原は1969年、群馬県生まれ。小学5年生からジャンプを始め、中学時代に複合に転向。V字ジャンプで世界のトップレベルに達する。2002年、競技生活から退き、04年、参議院選挙(全国区)で自民党から立候補し、当選。07年、参院内部規定違反や自宅光熱水の党費付け替えなど不祥事が発覚している。ノルディック複合選手の荻原次晴は、双子の弟。

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橋本聖子

参議院議員。元スピードスケート五輪代表選手。1964年10月5日生まれ。北海道早来町出身。東京五輪開催の、その年その月に生まれた彼女は、牧場を経営している父親から、聖火にちなんで「聖子」と名付けられ、4歳の時からスケート靴をはいた。高校進学後は向かうところ敵なしで、サラエボ、カルガリー、アルベールビルの冬季五輪に出場。1992年のアルベールビルでは日本人女子初の銅メダル。夏場にトレーニングで使う自転車でも男子顔負けの強さを発揮していたため、88年から本格的に自転車競技に取り組み、アトランタ五輪には自転車競技で出場し、五輪には計7度も出場。95年参院選で自民党比例区から立候補し当選。財団法人日本スケート連盟会長。

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原田雅彦

長野冬季五輪のスキージャンプ団体ラージヒルで、日本チームがみごとな逆転優勝。滑降は岡部孝信、斎藤浩哉、原田雅彦、船木和喜の順番。原田は大ジャンプを決め、前回のリレハンメル大会の雪辱をはたして「本番に弱い原田」という汚名を返上。4年前の悪夢から解放された。個人でも、ジャンプ・ラージヒルで、銅メダルを獲得。豪快なジャンプと人柄、あの笑顔から人気も高い。「ハッピー・ハラダ」はヨーロッパでの愛称。

1968年、北海道生まれ。小学3年生からスキージャンプを始め、高校卒業後、雪印乳業に入社。五輪後も同社に残り、2000年に起きた雪印集団食中毒事件で彼も謝罪会見を行った。その後の経営再建の一環でスポーツ活動の見直しもあったが、ジャンプ部だけは存続することになりチーム雪印のコーチをしている。

長野オリンピック

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長野オリンピック

→2002年06月号参照

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清水宏保

→2004年06月号参照

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堤義明

1998年2月7日、長野冬季五輪が開幕。日本勢は、スキージャンプの日の丸飛行隊が金メダルを獲得したのをはじめ、個人でも、金=船木和喜(ラージヒル)、里谷多英(女子モーグル)、清水宏保(スピードスケート男子500メートル)、西谷岳文(ショートトラック男子500メートル)、銀=船木(ノーマルヒル)、銅=原田雅彦(ラージヒル)、清水宏保(スピードスケート男子1000メートル)、岡崎朋美(同女子500メートル)、植松仁(ショートトラック男子500メートル)とメダルラッシュの大活躍。この長野冬季五輪の招致に尽力したのが西武グループの総帥・堤義明だった。

アイスホッケーや野球をはじめ、日本のスポーツ界に大きな影響力を持ち、1989年にJOCが日本体育協会から分離独立した際、初代会長に就任。翌年辞任したが、五輪の長野開催が決定した陰には、サマランチIOC前会長らと堤の太いパイプが生きたといわれる。

西武鉄道、国土計画(後のコクド)、プリンスホテルなどを所有、経営者としての名声も高かった。西武ライオンズのオーナーとしても知られていたが、04年、グループの不正経理問題の責任をとって辞任。05年には東京地検特捜部によって証券取引法違反で逮捕。有罪判決が確定した。

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プリンスアイスショー

→2007年01月号参照

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西武ライオンズ

→2003年02月号参照

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里谷多英

スキー・モーグル選手。長野冬季五輪金メダリスト。モーグルでは高校生の上村愛子選手だけが注目を浴びていたなか、まさかの金に輝いたタエちゃん。冬季五輪史上、女子で初の金メダルだった。1976年札幌市生まれ。小学校5年のときにテレビでW杯猪苗代大会を見て知ったというモーグルだが、小学校6年で初出場した全日本選手権でいきなり優勝した。北海道東海大在学中。スキーを教えてくれた父親が1997年に54歳の若さで死去し、胸のポケットにその写真を入れての滑りだった。「お父さんが見ててくれてると思って滑りました」。2010年2月のバンクーバー五輪には、5大会連続での代表選手に選出された。

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トリノ五輪

2006年2月に開催された第20回冬季競技大会。大会前はフィギュアスケートやスピードスケート、モーグルなどの種目でメダル獲得の期待がかかっていたが、大会終盤まで日本はなかなかメダルを獲得できない状況が続いた。また、大会前はほとんど注目されなかったカーリングのチーム青森が強豪国相手に健闘したのが光った。そして大会終盤に行われた女子フィギュアスケートでは荒川静香が見事な演技を披露、女子フィギュアスケートでは日本人初となる金メダルを獲得した。

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荒川静香

2006年2月に開催されたトリノ冬季オリンピックのフィギュアスケート女子シングルで、金メダルを獲得。日本選手でただ一人のメダリストだったため荒川は一躍注目の人となった。アジア選手として初、また、オリンピック女子フィギュアで、史上最年長・24歳での金メダル獲得であった。フィギュアスケート競技は、ジャンプで高得点を獲得するのが主流となり、選手はどんどん低年齢化している。そんな中で、荒川は、女性らしい優雅さ、体の柔らかさを武器とした。彼女の代名詞にもなった「イナバウアー」(体を大きく後ろに反らせて円を描いて滑る)にそれが表れている。

荒川静香は、小学3年生の時にすでに3回転ジャンプをマスターし、天才少女といわれていた。1998年の長野オリンピック代表に。しかし、2002年のソルトレイク五輪では、惜しくも代表の座を得られなかった。

イナ・バウアー

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イナ・バウアー  Ina Bauer

2006年03月号参照

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ニコライ・モロゾフ

キス・アンド・クライ

2007年01月号参照

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キス・アンド・クライ  kiss and cry

「優勝請負人」と呼ばれる名コーチ、ニコライ・モロゾフの著書の題名。実際には、フィギュアスケートのリンク脇に設置された小さいスペースで、演技を終えた選手とコーチが結果発表を待つ場所。喜びと悲しみが交錯する場所であることからこう呼ばれる。

安藤美姫

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浅田真央

フィギュアスケート、スター選手たちの中でとび抜けた支持を受けているのが、浅田真央。1990年愛知県生まれで、姉の浅田舞もフィギュアスケート選手。トリノ五輪開催時は15歳で、年齢制限に87日足りず、出場できなかったが、2007年の世界選手権では安藤美姫(愛称ミキティ)に次ぐ2位。翌08年には、世界選手権と4大陸選手権で優勝した。各種のテレビCMにも登場して、日本人形のような面立ちの、けなげな「まおちゃん」は、日本中が声援する国民的アイドルとなった。彼女が08年からのシーズンにフリー・スケーティングで使用した、ハチャトゥリアン作曲「仮面舞踏会」CDは、クラシックとしては異例の売れ行きとなり、また、オーケストラのコンサートでも演目にとりあげられるなど、人気は音楽シーンにも影響を及ぼす。

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安藤美姫

フィギュア・スケートのジャンプは踏み切り時の足やエッジを使い分けることで6種類のジャンプがある。アクセル、ルッツ、フリップ、ループ、サルコウ、トーループ。踏み切りのときに両膝がハのかたちになるのがサルコウ。往年の名選手、ウイリッヒ・サルコウの名からきている。ジュニアグランプリ(GP)ファイナル、ジュニア時代からジャンプが高く評価されており、2002年12月、女子フィギュアでは世界で初めて4回転サルコウを成功させた。87年12月18日名古屋市生まれ。06年トリノ五輪15位。トリノ五輪の後、コーチにニコライ・モロゾフ(トリノでは荒川静香を担当)を迎えて復活。06年10月スケートアメリカで優勝、フランス杯で2位。07年世界選手権では日本人4人目となる世界選手権の優勝を果たした。歌手の絢香と親交が深い。

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岡崎朋美

スピードスケート選手。1971年9月7日、北海道斜里郡清里町生まれ。長野オリンピックスピードスケート女子500メートル銅メダリスト。5大会連続出場となる2010年バンクーバー五輪で、主将そして日本選手団の旗手役を務める。尊敬する橋本会長(橋本聖子、財団法人日本スケート連盟会長)以来の主将&旗手に「聖子さんに近づけた」とコメント。2009年3月には、37歳にして4年ぶりに500メートルの自己ベストを更新している。

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バンクーバー五輪

2010年2月14日から開催される第21回オリンピック冬季競技大会。最終候補地にはザルツブルグ、平昌、バンクーバーが挙がっていたが、最終投票でバンクーバーが平昌を破って、開催地に選ばれた。

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バンクーバー

2003年06月号参照

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