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ドミンゴ・マルティネス1990年代に入って、日本のプロ野球界が獲得する外国人選手の傾向が、とみに変わった。メジャー・リーグの2チーム増に伴い、“世界的に”選手が供給不足になったため、また、資金節約のためである。少々体力の落ちてきたベテランのメジャーリーガーに替わって、獲得が増えたのは、メジャーとマイナーの間にいるような成長途上の選手、ことさら旺盛な移民系の選手だ。 ハングリー精神は旺盛だが、実績がないだけに、“当たれば”大きいが、大きく“外れて”放出されることもしばしば。ここでは、両方の目をみた選手の代表として、元西武・読売のマルティネスを取り上げる。 ◆ドミニカ共和国マルティネスの出身国。スペイン領、フランス領などを経て、1844年独立。首都はサント・ドミンゴ。亜熱帯に位置し、カリブ海のビーチ・リゾートとしても知られる。サント・ドミンゴでの年間平均気温は約26度。公用語はスペイン語。人種構成は7割以上がムラート(白人と黒人の混血)。サミー・ソーサなど、米メジャーリーガーの約1割はこの国の出身。これは全メジャーリーガーの20%以上を占める外国出身者のなかで、プエルトリコ、ベネズエラ、メキシコを引き離して断トツの1位。 参考までに各国の一人あたりの国民総所得は アメリカ 34260ドル ドミニカ共和国 2100ドル 日本 34210ドル ◆サミー・ソーサSammy Sosa 1968年11月12日生。ドミニカ共和国出身のメジャーリーガー。シカゴ・カブス所属。1998年、マーク・マグワイアとのホームラン争いで一躍有名になった。同年、66本のホームランを放ちナショナル・リーグのMVPも獲得。翌年には、マグワイアに先駆けて史上初の2年連続60本塁打を達成した。 子7人の母子家庭で、子供のころから靴磨きをして生計を助けたという貧困層出身。偶然知り合ったアメリカ人に親切をうけ、また持ち前の運動神経と勤勉さでもって、徐々に人生は上向きに。渡米して16歳のドラフト外のマイナー選手からプロ野球人生をスタートさせたという、典型的なアメリカンドリームの具現者。 ドミニカに貧しい子供のための救援活動を行うサミー・ソーサ財団を設立している。 ◆西武ライオンズパ・リーグの雄。マルティネスが97年から2年間所属し、通算打率・294、61本塁打、203打点と、連続Vへの原動力となったが、守備面では1塁しか守れない点が不安材料となり、当時の東尾修監督に、「日本シリーズで勝てない」という理由で解雇された。この解雇には首を傾げる向きが多かったという。 同チームの、前身は西鉄ライオンズ。地元出身の高校生などをうまく育てて磨き上げるチームカラーや、選手の自主性を重んじた豪快なプレースタイル、三原監督の強いキャラクターから、“野武士集団”とも称された。それが1978年、現行の西武資本の会社となってからは、広岡達朗監督、継いで森祗晶監督のもと“管理野球”の完成形となり今日に至る。 ◆読売ジャイアンツ1934年創立の大日本東京野球倶楽部がその前身。長嶋茂雄、王貞治をはじめ、さまざまなスター選手を輩出してきた。西武を解雇されたマルティネスはメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレーしていたが、その打撃力を買われて99年、ジャイアンツが獲得。しかし、清原の復帰後、出場機会が激減し、01年解雇された。 1965年から73年まで川上哲治監督の下、合理的で緻密な野球を行ってV9を成したが、2回にわたる長島監督期、また現在の原監督期においては、長距離ヒッター系の外来選手を攻撃の核とした大味なプレースタイルで知られている。マルティネスは大味な時期の獲得選手である。 ◆東尾修1950〜。和歌山県出身。95年から01年まで西武ライオンズ監督。97、98年と連続リーグ優勝。マルティネスはこの優勝に多大な貢献をした。娘はプロゴルファーの東尾理子。 現役時代は、投手として黄金時代のライオンズを支えた。通算成績は251勝247敗23セーブ、奪三振1684、防御率3.50。MVP2回など表彰も多数。打者の内角をえぐるような投球は、ケンカ投法といわれ、相手チームとの衝突もしばしば。与死球通算165個は日本記録。 投手のローテーション・システムが確立する前の世代(ハングリー=根性時代)に属する選手であり、シーズン300イニング登板、シーズン20敗などという豪快な記録をもつ投手は、その後現れていない。 ◆メジャーとマイナー米国のプロ野球界は、メジャーリーグとマイナーリーグ(AAA、AA、A、ルーキーの4段階に分かれる)で構成され、裾野の広いピラミッド構造になっている。その年俸・待遇面での格差は、日本プロ野球の1軍-2軍間よりはるかに大きく、ルーキーリーグの選手などはアルバイトしながらでないと生活できないくらい。 ◆ナーバスnervous 神経質なこと。マルティネスは巨体に似ず神経質といわれ、記者会見でも、「もともと口数の少ない方だから、しゃべる準備ができていない」などと報道陣に対してナーバスになっていた。巨人は獲得後、彼のサポート策として新たに通訳を登録し、専属の話し相手とした。スペイン語の通訳はすでにベンチ入りしていたが、ガルベス、ホセら投手陣の面倒を見ることが多く、マルティネスまで手が回らなかったための措置。 ◆旅客機墜落事故2001年11月、ニューヨーク近郊のクイーンズで墜落したアメリカン航空587便の行き先がドミニカ共和国だった。元巨人のペレスの母親が搭乗しており、予約回避で難を逃れたドミニカ共和国出身選手やOBも続出した。すでに帰国していたマルティネスもよく利用する便であり、安否が気遣われたが、巨人の通訳が本人に連絡を取り、無事を確認した。 ◆ドミニカ移民問題日本から1956年から3年間ドミニカへの農業移民事業がおこなわれたが、入植先が政府の案内とは異なり、劣悪な条件だったことから大半の移住者が帰国。日本政府を相手取った損害賠償請求の訴訟事件となっている。2002年、同国のメヒア大統領が日系2世の青年たちを同行して来日。日本からの投資と観光客の誘致を呼びかけた。 ◇ベネズエラ人選手◆カブレラAlex Cabrera 1971〜。西武ライオンズンの中心打者。内野手、右投右打。シカゴ・カブス―メキシコ・タイガース―台湾・和信―アリゾナ・ダイヤモンドバックスを経て、2001年、西武ライオンズ入り。ダイヤモンドバックスでは80試合に出場。 カブレラも、1990年代以降型の外国人選手。現在うまくいっている ◆ペタジーニRoberto Petagine 1971〜。読売巨人軍。米大リーグのアストロズ、パドレス、メッツ、レッズを経て99年にヤクルト入り。1年目に44本で本塁打王。01年にも本塁打、打点で2冠を獲得してMVPに選ばれた。ベストナイン4度、一塁手としてゴールデングラブ3度を受賞。オルガ夫人は友人のお母さん。一男あり。 要求する年俸が高くなってしまい、2003年より読売に移籍 |
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