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西暦2010年の流行語大賞◆流行語大賞◆イクメンカッコいいのが「イケメン」で……、やがて子持ちになり「イクメン」になってしまう。ま、こんな単純なことが重なり合う「男の一生」なのだが、いま日本において「子育てを楽しみにするパパ」がジワジワと増えてきたというのは気持ちを和ませる風景である。 ある調査データによると、いま日本で「周りにイクメンと呼ばれる男性は79%」もいるというから、もはや「イクメン」というのは全国的な一大パワーにのし上がってしまったということになるのだろう。 とはいってもこのような「イクメン」氏によるアットホームなやさしさにスンナリ同調してくれないのが職場における「育児休暇」の取得率ということになっていて、なんと休暇の取得率というのがたった「1・72%」だというから、これでは有名無実のサンプルである。このように育児休暇を取りそびれる背景には「職場に迷惑がかかる」と三人に一人が気兼ねをするというから、ここにも「言うは易く行うは難し」を絵に描いたような中途半端で放ったらかしの「少子化」が待機している。どうやら結局「イクメン」諸氏のご苦労がつづくのである。 ◆いい質問ですねぇまさしく…ナルホド、と思わせてくれたのが、もしも大臣になっても「個別の事案には答えられません」とか「法と証拠に基づいて…」というオウム返しの連発で十分つとまるとの大臣からの「ご発言」だった。 そういえばニュースのタイトルでは「与野党の論戦はじまる」なんて出たりするが、そのレベルがどんな意味の「論戦」なのか分らない。率直な感想では「質問をする側」そして「質問を受ける側」その両方とも「国会ゴッコ」をチャラチャラ打ち興じるに過ぎないのである。そういう意味では「溜飲が下がる」という出来事が見られなくなった昨今の風潮のなか、眺めているだけで「きちんと腑に落ちる」ような「いい質問」がドシドシ出てくるテレビ番組の人気がウナギのぼりである。どうして…こんなことを聞かないの、ハッキリ聞いてしまえばイイのでは? どうみてもモゴモゴした行儀のいい「論戦」ばかりが跋扈する「日本の政治構造」ってどういうものか? ぜひ池上彰先生、こんな疑問について「いい質問ですねぇ!」と思っていただけるなら先生からの「いいお答え」を期待しています! ◆AKB48ほとんどの日本人にとっては、このアルファベットと算用数字だけを羅列しているチーム名の由来についていささか不可解なのだろうが…、そんなことお構いなしに超々人気アイドル・グループとして日本から東南アジア諸国までその地位は高まる一方である。そしてネーミングの由来というのが「秋葉原=AKihaBara」からだったというのもユニークそのものである。 こんな人気グループの「本拠地」でもある「アキハバラ」といえば、それこそ「日々」「時々」「刻々」休むことなくチェンジにつぐチェンジに励む「個性タウン」というべき街であるのに思いをいたすなら、いま活躍をつづけている「数十人」のメンバーが近い将来または遠い将来に、どんなスタイルを装ったり、どういうイメージに変容しているのか「アキバ」らしい斬新な空想が浮かぶのである。そして「お帰りなさいませ、ご主人サマ〜」なんて出迎えるメイドのバックに流れるのが「AKB48」の新曲ということなら…それこそ「AKB48」なる「呼び名それ自体」が「人」と「土地」という新しい「人気」の主役になることだろう。 ◆ゲゲゲのこのところ数年の流れをみていると「当たりハズれ」が目立ってきている「NHK・朝の連続ドラマ」なのだが、今年3月末にスタートした新ドラマ第1週の視聴率が15%台に終わったことでやっぱり無理かと思わせたのだが、そこからグングンと右肩上がりに伸びつづけた結果が「23.6%」という数字すらハジキ出してしまった大団円…というのが「ゲゲゲの女房」の番外編ということになるだろう。 ストーリーは10歳年上の貸本漫画家との結婚をキッカケに喜怒哀楽を共有しながら生きる多彩な「夫婦の軌跡」をモチーフとしたものだが、その主人公というのが「漫画家・水木しげる」であり原作者(武良布枝)が「水木夫人」という隠し味でもテレビ見る人を惹きつけた。いわば「昭和」という時代に対するノスタルジー、さらに「古き良き時代」からさまざま思い起こすこと、そんな市井のあちこちに咲いていた心温まるエピソード。まさに「ゲゲゲの女房」がひたむきに生き抜いた日本社会の乱高下…これに振り回された「あの頃」という時代を「ゲゲゲ」は懐かしく呼び戻してくれたのである。 ◆女子会いきなり「女子会」なんて聞かされると何処かの幼稚園児の集まりのことかとトンデモナイ錯覚してしまうけど…されど会合を拝見すれば「ウラ若き」そして「水も滴る」ような「女子のお集まり」のことをいうのである。そして気が付けば「男専用」とばかり思っていた毎夜のアソビ世界においては、いまや「女ばかり一大軍団」がアデヤカにカラフルかつモーレツに侵攻中である。 そのうえ「女子飲み」という女性だけグループは「上客」として扱うお店なんかも存在しているというから、いまやオトコ同士酔客には肩身が狭い時代になっている。 この「食べ飲み放題・女子会プラン」に参加した女性の数は半年間で十五万人にも上るというのだから、もはや「女子」のパワーは止まることなく伸び続けていくのだろう。 そんな夜の街だけに留まらずいままでだったら男どもで占拠していた「ゴルフ」や「登山」などの分野も「オンナ銘柄」がちゃんと参入済みといわれている。どうやらカビの生えたような常識で「オトコらしく」とか「オンナらしく」といった発想では……なんともタイヘンな時代がやってきた! ◆脱小沢まずは広辞苑を引いてみたら「脱」という一文字が意味しているものとは、①ぬぐこと、②ぬけること、③とりのぞくこと、④ぬかすこと、⑤ぬけ出すこと、⑥のがれること、⑦はずれること、⑧自由になること、などなど解釈しているのだが…、ということは「脱小沢」と簡単にいってはいるが、さーて?「脱小沢」ってナニをやろうとしているのだろうか。 そういえば「2011年版・現代用語の基礎知識」の索引をみれば「脱官僚」とか「脱成長」さらには「脱ゆとり教育」なんてものまで、どうやら世の中が「脱」ブームということかもしれない。 ところで「脱小沢」という使い回された流行語であるが、先の広辞苑に基づくとすれば「取り除く」というあたりが民主党「反小沢派」にとって正解ということになるのだろうが、それが外野席の理解だったら「(オザワさんから)逃れる」という議員心理にもっとも通じているともいえるだろう。いずれにしても「反」だの「脱」だの「親」だの愚にもつかない「レッテル貼りっこ」ばかりに身をやつしているとしたら、そろそろ「脱・民主党」が近づいてくるよ! ◆食べるラー油世の中には、シタリ顔で、胡散臭くて、お節介な「食えないヤツ」が尽きないのだが、そんな「食えない」とか「食える」という生き物にとって究極の判断基準をあっさり超えて出現したのが「食えない」と思っていた「ラー油」を「食べる」に一変した「食べるラー油」とは仰天すべき…歴史的であり革命的というべき出来事だったのである。 そして…もっとビックリさせてくれたのは発売とともに爆発的な人気を呼んで生産が追いつかないという事態になってしまって、いまでも品薄状態が続いているということ…。なんというか「長い物を短く」とか「丸い物を四角く」という創意工夫の知恵ですら腰を抜かしそうな激辛〜いヒットとなったのだ。いわば「食えない」モノを「食える」に変えたのは、いまどきの世相が「セチ辛い」ということの連鎖反応なのかも知れない。 ところでいま日本人が口にする「閉塞感」だが、試しに「食べるラー油」を食べたらピリピリ解放されることだろう。ダレも試みなかったことにチャレンジしてみる。この商品のどこかに日本人が忘れてしまった「発想転換」が息づいているのである。 ◆ととのいましたナントカと掛けて…ナントカと解きます! テレビの「謎かけ」番組の決めゼリフとしてお茶の間に飛び込んだのが……このコトバだった。この一語を駆使することによって一味ちがう「謎かけ芸人」として「ととのいました」のが漫才コンビWコロン。 まさに今年一年間にすれば数知れぬ「ととのいました!」だったが…それにしても、さまざまなニュースを眺めてきてつくづく思うのは、これほど「整わない」政治状況のまま将来はどうなってしまうのかというウンザリ気分だけだろう。 いわゆる内閣支持率という数字にしても「日めくり」みたいに国民の呆れかえっている様子を映してくれているわけだが、手っ取り早く結論いうなら…この菅内閣をタテからみても、ヨコからみても、何一つ「ととのいました」ということが皆無同然という事実。居並ぶ閣僚諸氏のウツロな表情をテレビ画面で眺めていても空しさだけしか残らない。 いずれにしても一国を代表しているリーダーだったら優先順位に基づいて片っ端から「整いました!」と右から左へと片付けなければオハナシにならない。ダレが付けたか「イラ菅」も「ダメ菅」でも結構。ただし「ととのいました」がダメなのなら、退陣の準備が「整いました」を待つのみである。 ◆〜なう本来だったら「法の番人」として任用されている地検や海上保安部の公務員が引き起こしてしまった前代未聞のみっともない事件によって出てきた捜査情報といえば「パソコン記録の書き換え」であったり、「公用パソコンから私用USBに保存」というものばかりというのは日本での「デジタル度」の成熟を示してくれた現象といえるだろう。 とはいっても、これが時代の流れというもので、すでに永田町あたりのセンセイに「ツイッター」をマスターしている人が増えているようで、こんなツイッターを利用しているユーザーにとってお馴染みになっているのが、この「〜なう」という珍妙きわまる表現なのである。 この「なう」とは「ナウ(now)」つまり「現在」ということを表現しているらしい。――生まれながらにして「ネット文化」という社会で育ってきた「デジタル・ネイティブ」世代が大きくなりつつある。人間にとって欠かせることが出来ない「コミュニケーション」を有効に機能させるために、これらの「デジタル人」たちが新鮮で、そして文字どおり「ナウい」存在となってくれるのだろう。 ◆無縁社会古来から日本人が馴染んだ表現の一つ「縁は異なもの味なもの」とは、人の繋がり・大切さを意味していた。ところが…そんな貴重な「縁」と縁が切れてしまった日本人が「年間3万2000人」もいるという極めてショッキングな調査(NHK)が出ているそうで、そして今年もっと日本人がおどろいたのが「生きていれば百十何歳…」のハズだという「所在不明高齢者」が戸籍において存在していたという珍事であり、そんな背景になっているのが「人間関係が希薄化」してしまっているナサケない日本社会の実態だったのである。 なぜ「無縁」なんていう酷薄非情な人間社会になってしまったのか。たしかに人間同士の営みとして当たり前の「血縁」や「地縁」さらに「社縁」など昔ながらの人間と人間とのつながりに「鬱陶しさ」を感じる人はあるにしても…それでも「人間関係ゼロ」にリセットというのは、どこか狂っているというほかないのである。 ようやく今年になって表沙汰になってきた「無縁社会」というイメージしづらい「非人間的現実」をタッタ一語でリアル鮮烈に示してくれた「寂しい」コトバだった…。 ◆斎藤佑樹この10月、50年ぶりとなった早慶両校による優勝決定戦を制し、42度目の優勝を果たした早大野球部。試合後、キャプテンである斎藤は、最後にひとつだけ言わせて下さい、とその名言を残したのだった。3万6000人の大観衆は熱狂の渦に包まれた。 「何か持っていると言われ続けてきました。今日何を持っているのか確信しました・・・それは仲間です」。 斎藤佑樹、1988年6月6日生まれ。群馬県太田市出身。小学1年生から野球を始め、早稲田実業高校(東京都国分寺市)に進学すると1年の夏からベンチ入りし、2年夏からエース。2006年には春夏連続で甲子園に出場、夏の大会では優勝投手に。激闘中に青いタオルハンカチで汗を拭う姿のさわやかさから一躍国民的アイドルになり「佑ちゃんフィーバー」を巻き起こした。個人投球回数69回、投球数948は大会新記録。国体でも駒大苫小牧を下し優勝した。2007年に早稲田大学に入学し、野球部の主力メンバーとして活躍。2009年に同部の100代目主将に就任。 10月28日のドラフト会議を経て、2011年度よりプロとして北海道日本ハムファイターズヘ。 ◆家庭内野党菅伸子夫人は率直に物事を言う性格で、菅総理から「家庭内野党」と形容される。 しかし、「イラ菅」と呼ばれる菅総理とは「同志」のような大切な間柄だという。 ◆最小不幸社会◆iPad◆2位じゃだめなんですか◆岡ちゃんごめんね |
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