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戦いは深刻じゃなければとびきりのお祭りだ

オリンピックはいわずもがなで盛り上がりますが・・・

ベルリン・オリンピック

1936年ナチスドイツ政権下に開催されたオリンピック第11回ベルリン大会。現在では当たり前になった聖火リレーや、テレビ中継が初めて行われたことでも画期的な大会といえ、テレビはただ試合を報道するという役目以上に、国威を知らしめる格好の手段として用いられた。また元ダンサーで女優のレニ・リーフェンシュタールが監督を務めた「民族の祭典」「美の祭典」の2部からなる大会の記録映画「オリンピア」はヴェネチア映画祭の金獅子賞を受賞したが、戦後はこれらの作品がナチスの国威発揚・プロパガンダ映画とみなされ、監督のレニ自身もヒトラーの協力者として戦争犯罪を追及され社会的制裁を受けた。

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オリンピアシュタディオン・ベルリン

ベルリン・オリンピックのために1934年に建設された陸上競技場。戦後もナチスが犯した罪を忘れないために、その象徴として破壊せずに残された。2006年ワールドカップ開催地がドイツに決定した2000年から改修工事が行われたが、石造りの外観は残され、4年の歳月をかけて全席屋根付の総合スタジアムに生まれ変わった。現在はサッカー・ブンデスリーガのチーム、ヘルタBSCベルリンのホームグラウンドとして使用されており、ワールドカップの決勝会場にも予定されている。収容人員は76243人。

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期待される人間像

→2002年6月号参照

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公式制度の法制化

→2002年6月号参照

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東海道新幹線

→2002年6月号「◆ひかり号」参照

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東京オリンピック

→2002年6月号参照

 

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体育の日

1964(昭和39)年の東京オリンピックを記念し、「スポーツに親しみ、健康な心身を培う日」として1966年に10月10日が祝日に制定された。2000(平成12)年からは10月の第2月曜日に変更となった(→ハッピーマンデー)。この日は日本の観測史上、晴れる確率の高い日(特異日)とされており、運動会や体育祭を催す学校も多い。

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ハッピーマンデー

2000年版本誌掲載。以下、

成人の日(1月15日)と体育の日(10月10日)をそれぞれ1月、10月の第2月曜日に固定し、土、日曜日と合わせて3連休化。月2回の公立学校の土曜休日もこれに合わせて変更し、親子で一緒に3連休を取れるようにしようという動きが全国の自治体に広がっている。

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モスクワ・オリンピック/片肺五輪/変則五輪

1981年版本誌掲載。以下、

第22回オリンピック大会は1980年7月19日から8月3日まで、モスクワ市で開催された。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議したアメリカ、西ドイツ、日本など西側スポーツ大国のボイコットで参加国は81カ国に減り、“片肺五輪”とか“変則五輪”とかいわれたが、ソ連をはじめ東欧諸国、政府の反対を押し切って参加した英、仏、イタリアなどの選手が活躍し、世界記録36、五輪新記録73が生まれ、一応オリンピックの名にふさわしい成果をあげた。中でも水泳男子1500mでソ連のサルニコフが15分の壁を破った世界記録14分58秒27はモスクワ・オリンピックの記念碑的収穫だった。競技は21競技203種目で、金メダル獲得数はソ連が80個(メダル合計196)で五輪新記録を作り、東ドイツが47個で2位、以下ブルガリア、キューバ、イタリアが各8個、ルーマニア、フランスが各7個、イギリス5個の順であった。

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ボイコット

不買同盟。いっせいに排斥すること。19世紀後半、イギリスの代官キャプテン・ボイコットが小作料のいざこざで農民から総すかんをくったことに由来。

1980年のモスクワ・オリンピックでは、アメリカのカーター大統領が大会のボイコットを西側諸国に呼びかけたが、スポーツと政治は別と考える国々もあり、実際には非東側諸国の全てが不参加だったわけではなかった。フランス、イギリスをはじめとする西欧諸国、カメルーンやコンゴなどのアフリカ諸国、オーストラリアやニュージーランドのオセアニア諸国、コロンビアやブラジルなどの南米諸国が参加した。

ちなみにソ連のオリンピック組織委員長は、84年ロサンゼルス大会をボイコットしない旨の発言をしたとされるが、アメリカのグレナダ侵攻を理由にボイコットした。

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グレナダ侵攻

1984年版本誌収録。以下、

1983年10月25日に開始された、アメリカによるカリブの小国グレナダ(人口11万人)への侵攻。レーガン・アメリカ大統領は、ジャマイカはじめ親米的なカリブ6カ国の要請に基づき、それら諸国と共同して派兵した。アメリカ軍2000に対し、それら諸国の軍隊は300、兵たん、作戦などすべての面でアメリカ軍に依存し、実質的にはアメリカの単独行動。(1)在住アメリカ市民1000名の安全の確保、(2)民主主義体制崩壊の回避、(3)法と秩序の回復のためとされた。

<以下、略>

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オリンピックおじさん

オリンピック中継を見ると観客席に必ず目にするのが、羽織袴で日の丸の扇子を持ち、国旗を振り回す名物おじさんがいる。通称オリンピックおじさんこと、山田直稔(浪速商事グループ代表)さんは、1964(昭和39)年の東京オリンピックでその魅力に取り付かれ、それ以来2004年のアテネオリンピックまで、日本が参加しなかったモスクワ大会も含めて、すべてのオリンピックを現地で観戦し、盛大な応援パフォーマンスを行うという、世界でも類をみないオリンピック通である。もちろん渡航費や滞在費は自費。観衆に配る小旗やパンフレットなどまで用意するため一度のオリンピックにかかる費用は1000万にもなるという。オリンピック以外でも大相撲やプロ野球、メジャーリーグ、サッカーなど、羽織袴でパワフルに応援に駆けつけている。

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北京大会

2008年五輪開催地は、有力候補であったパリやトロントを抑えて、まだオリンピックを開催したことがなく、人口が世界で最も多い国、中国に決定した。まだインフラが完全でないため、会場建設や、空港、道路、地下鉄やモノレールなどの交通インフラに莫大な資金が投入され、五輪特需に沸く北京は、東京オリンピックの日本を思わせる。一方、04年のサッカーアジアカップで、反日感情をむき出しに暴徒と化したサポーターの観戦マナーの悪さに、世界中から「五輪開催国にふさわしくない」と不安と不満の声が続出したが、それに対しても市民の観戦マナーの教育も進める方針であるという。またグリーン五輪を打ち出し、環境改善にも力をいれている。

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21世紀(20世紀)型オリンピック

国威発揚を目的としたのが20世紀型だとすれば、世界からアスリートが集う地域の拠点を作ろうというのが21世紀型のオリンピックであるとして、2016年のオリンピックの開催地をめぐって福岡市と東京都が誘致合戦を繰り広げている。首都ではない開催地で成功したバルセロナのように同じ海沿いの都市である福岡は、九州7県を舞台とする構想は1都市開催を原則としている五輪憲章から外れているものの、これまでも世界水泳やユニバーシアードなどの国際大会の経験があることを強みに、招致活動を行っている。

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