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〈ブーム〉の反対語=〈××離れ〉〈脱××〉〈失われた××〉の用語集
―― 衰退は復活のはじまり
 

どうせ戻ってくるかぁ“××離れ”

投資家の株離れ

1990-91年のバブル崩壊後、いわれつづけている投資家の株離れであるが、バブル以前1981年あたりでも同様のことばが使われていた。

つまりバブル期以外は、株離れなのだ。

株離れ傾向
1981年版本誌収録。以下、

個人投資家の持株比率が年々低下して、昭和55(1980)年3月末には30.4%と、30%割れ寸前まできたり、54年以来、株式投資信託による株式の大量売却が続いたりで、個人投資家の株式市場からの離散が注目を集めている。その背景には株式への投資魅力の低下、たとえば株価は高くなっても配当金はふえず、利回りは低くなる一方、また増資は時価発行、公募が大半で、額面割当は減少しつつあるなどの点があげられ、さらにその奥には企業経営者の株主、投資家(特に個人)に対する基本的な考え方に問題があるとも指摘されている。

こうした個人投資家の株離れ傾向は一方で企業、法人間の株式取得の増加になるわけで、株式の機関化現象の弊害がでてくるおそれもあり、なんとか株式への投資魅力の回復を中心とした個人株主増加策を前進させたいというのが証券市場関係者の一致した主張になってきている。

株式手数料引下げ(brokerage commission)
1991年版本誌掲載。以下、

株式を売買する際に、投資家が証券業者に払う手数料のこと。正式には株式売買委託手数料。アメリカでは株式手数料は1975年5月1日から完全に自由化(メーデー)されており、イギリスでも86年10月のビッグバンで完全自由化となった。日本では約定代金(売買金額×株数)に応じて株式手数料の率を決めており、約定代金が多いほど割安になっているが、内外の機関投資家からは手数料自由化の要求が根強く、86(昭和61)年11月から平均9.1%、87年10月からは平均9.8%引き下げた。しかし、ここ1、2年証券会社が高収益を上げていることから、その「もうけ過ぎ」に対する批判が強まると同時に個人投資家の株式市場離れを防ぐねらいもあり90年6月からさらに平均7%引き下げた。もっとも日本の売買手数料は証券取引法に基づいて証券取引所が定款などで決めており、割引はできないし、”固定手数料”は会員制、売買の市場集中と三位一体の形で日本の証券市場の安定と発展を支えるポイントになっている。87年10月の暴落時に日本の市場が最も混乱が少なく、しかも回復が最も早かった一因として、この固定手数料制度が評価されている

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原子力離れ

原子力エネルギーの利用を推進するか見直すかの問題は、方向性がはっきり決まるということではなく、安全性の確保と必要性・経済性をバランスにかけてその都度向きが決まっている。現在はどちらかというと見直しのほうを向いている。

大阪読売の報道によれば、ここ10年ほどの間に、日本の各大学の工学部から原子力工学科や原子核工学科の名前がなくなってきている。といってその方向の研究がなくなったというのではなく「システム量子工学科」「量子エネルギー工学科」「物理工学科」等々に名称変更や組織変更しているのである。

安全性は事故のないのをもってしか完全には証明しきれない。またいったん事故が起これば、その影響が大きいだけに安全性の証明に関してもなかなか取り返しがきかない。またコストや必要性とは尺度が異なるので単純に差引することができない。

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固定電話離れ

携帯電話、インターネット利用電話の普及によって、既存の固定電話(NTTなど)の加入者数が減少傾向にあること。通話機能に関する限り「携帯できることの便利さ」というより「携帯電話は加入料0円なのに、固定電話では電話加入権(施設設置負担金)として7万2000円を支払わなければならないこと」による変動であったが、NTT東日本と西日本が、毎月の基本料金は割高だが、電話加入権を取得する必要のない料金体系商品をつくって歯止めがかかっきている。

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公務員離れ

バブル期には民間企業の給与水準が相対的にかなり高く、公務員採用への志望は少なかった。景気は浮沈するというのに、またどの業種が好況かは入れ替わるというのに。現在のような状況では、志望者は公務員の側に戻ってきている。

総合コース
1991年版本誌収録、以下

熊本県は1991(平成3)年春採用の職員採用試験から大卒程度の行政職に全国で初めて「総合コース」を設ける。既存の「法律コース」が1次専門試験で法律、「経済コース」が経済の専門知識を問うのに対し、総合コースは出題分野を文化、歴史、法学一般、経済一般、社会事情、経済事情などにする。

熊本県ではすでに全国に先がけて「国際コース」も開設ずみであるが、今回の総合コースの狙いは、幅広い人材を獲得するとともに、最近の好況で民間企業に押された顕著な公務員離れに歯止めをかけることである。

公務員制度の現状
1993年版本誌収録。以下、

1992年夏の国家公務員採用試験では、民間企業の採用手控えを反映して志願者数が1種で久々に前年を上回り、公務員離れ現象に歯止めがかかった。しかし景気の動向とは無関係に、若者の価値観や気質の変化は静かに進行している。この変化に対応して、組織への忠誠、無定量の勤務時間、頻繁な転勤、高いとはいえない給与がどこまで変わり、また変えられるべきか、注目される。

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アメリカ離れ

日本はアメリカから離れることにしたのか、あるいは離れることができたのか。そうこう言っているうちにジャパン・パッシングされてしまうのだった。

日米経済摩擦と安保は連動している
1996年版本誌収録。以下、

1995年6月15日に開かれたハリファクス・サミットの直前に村山首相はクリントン米大統領と自動車・部品問題について話し合った。そのとき両首脳は、「自動車問題が安全保障を含む日米関係に影を落とすことがあってはならない点で認識を一致させた」と述べた。これは両首脳の希望であろう。しかし、国と国との関係が、経済問題では対立しても、それが他の関係に影響を及ぼさない、などという事態は現実問題として考えられるのだろうか。サミットの前月にワシントンの米民間研究機関ヘリテージ財団で開かれた米・アジア関係シンポジウムでブルッキングズ研究所のマイク・モチズキ上級研究員は、日米安保体制が両国関係悪化を阻止する「防火壁」だった時代は終わったと断言した。「ソ連の脅威」という共通の敵がなくなった以上、経済上の摩擦は当然、安保関係にまで及ぶという認識の方がまっとうであろう。

同じシンポジウムで、ヘリテージ財団のアジア研究所のジェームズ・プリスタップ所長は、世界貿易機関(WTO)が自動車問題で日本に軍配を上げるような事態になると、アメリカ議会には、「600億ドルの対日貿易赤字を抱えているアメリカが片務的な日米安保条約に縛られているのはおかしいとの不満が噴出するだろう」との予想を述べた。モチズキ氏と同じ角度からの安保条約批判である。

94年ごろから日本に出始めた「アメリカ離れ」を気にしたのであろうか。95年2月にアメリカ国防総省は、「アメリカの東アジア・太平洋地域に関する安全保障戦略」と題する報告書を公表した。ナイ国防次官補が中心になって作成したところから、ナイ報告と呼ばれるこの報告書は、「アメリカの地球的規模の戦略目的およびアジア安保政策の要である」と規定し、東アジアに駐留するアメリカ軍は、10万規模を維持すると述べた。従来通りの日米関係重視点を確認したもので、両国政府はこの線に沿って日米関係を固めていくことになろう。

ところが、民間でチャルマース・ジョンソン日本政策研究所長が、『フォーリン・アフェアーズ』誌(95年7-8月号)に、「国防総省の硬直化した戦略」と題する論文を書き、ナイ報告を強く批判した。日本たたきを主張していたジョンソン所長の言わんとするところは、かつては有意義だった日米安保条約も、世界第2の経済大国になったいまの日本にどうして必要かとの疑問から出発する。この条約があるために、日本はアメリカの保護国的立場に甘んじて憲法について何も考えようとしないし、地域的にせよ世界的にせよ防衛上の役割を果たそうとしない。したがって健全な民主主義も育たないと論じた。

冷戦終焉後の日米関係において、クリントン政権下ではナイ報告の路線が続いていくだろうが、ジョンソン論文が投じた一石はこれからも波紋を広げていくことになるかもしれない。戦後、日米関係を軸に、受け身の外交に終始してきた日本外交が、日米関係を依然として維持していくのは当然だが、経済問題では言いたいことを言い、安保ではもっぱらアメリカに依存するという変形的同盟関係がいいかどうかをジョンソン論文は問うている。

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ジャパン・パッシング(Japan passing)

1996年版本誌収録。以下、

日本飛ばし、日本迂回。今となっては、ジャパン・バッシング(日本叩き)を受けていた頃がなつかしい!叩かれるだけまだ存在感があったのだから――。しかし、冷戦後の国際社会の中では、たとえばアメリカなどにとっては「日本なんかジャマなだけ」の存在となってきたし、われわれが最後の拠り所と一人合点していたアジア諸国も「日本は仲間じゃない」(ノン・アジア)と冷たく見放し、「21世紀はアジアの時代だ」とはやされる空前絶後のブーム現象の中でパワーの中心をどんどん西の方にシフトさせはじめている。つまり、地理的にも不便なうえ、金融危機や阪神大震災、オウム事件……などが頻発しているのに指導者たちが何ひとつとして有効な手を講じようとはしない「世界一危険な国」(ファー・イースト・ジャパン)から一斉に逃げ出し、ただでさえ危機的な空洞化現象に一層の拍車をかけているのである。すなわち、「ジャパン・バッシングからジャパン・パッシングへ」と言われるただならぬ日本へのアイソづかしの風潮は、疑いもなくパワー・シフト(力の遷移)のウエストバウンド(西漸=westward advance)というパラダイム・シフトそのものと密接に連動しているのだ。ぼやぼやしていると、この極東の小島はユーラシア大陸の東の果てに叩き落とされた文字通り“絶海の孤島”となりかねないのだ。

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