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袋小路派の政治経済学「民主党圧敗の深層」
執筆者 土屋彰久

袋小路派の政治経済学「民主党圧敗の深層」

おいおい民主党

初めてなんだから大目にみてよ、と言われるかもしれませんが、実は細川内閣以降、様々な新党の離合集散、あるいは連立の組み替えなどがあって、共産党を除く国政政党は全て政権与党を経験しているか、あるいは経験者を中心とする新党なんですよね。だから、はっきり言って甘えです、「初めての政権交代なんだから」なんて言うのは。でも、国民の側にはそこは大目に見てやってもいいという気持ちは有ったようです(過去形)。減ってきていたようです(現在完了形)。でも残ってはいるようです(現在形)。とりあえず、残ったお客は大事にした方がいいでしょう。そして、それはなぜ客が減ったかについての分析・反省と表裏一体ですね。しかし、その意思や能力が今の民主党にあるのか、そこがポイントです。→増えすぎた主党

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増えすぎた主党

民主党には、元々、市民政治志向の民党(たみとう)と権力志向の主党(あるじとう)という二つの大きな流れがあります。無党派層にウケがよく選挙で風をつかまえやすいのは民党系の議員なんですが、党内での勢力争いとか公認争いとか、あるいは組織票の確保なんかは主党系が圧倒的に強いのが実情です。そのようなわけで、党内で主導権を握っているのは常に主党系で、その典型が小沢です。今回の参院選だって、小沢が鳩山の後継となって選挙戦に突入していったら、爆敗ものだったでしょう。しかし、主党の人間は、自分が表に立ったら票が取れないことをよく自覚してます。その意味では、菅直人の失敗も、「民党の顔」で稼いだ60%の支持率に舞い上がって、隠していたもう半分の「主党の顔」を見せてしまったところにあるとも言えますね。

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主党の顔

民主党は、前回の衆院選で小沢に選挙を仕切らせることで、主党だからこそわかる自民党の弱みをうまく突き、圧勝を収めましたが、その代償として小沢が呼び込んだ大量の主党チルドレンを抱え込むことになりました。これが、党内の民-主バランスを崩してしまい、元からの迷走体質にさらに拍車をかける結果となりました。主党の困るところは、まあ色々あるんですが、組織にとって困るのは、実力以上の分け前を要求するところなんですね。ポスト、影響力、発言権、利権と、その対象はいろいろありますが、自分たちが稼ぐよりも多くを要求するので、どれだけ選挙に勝とうと、主党の皆さんの要求に応えようとするとパイは足りないという、永遠の赤字地獄が待っているという構図です。→苦情処理の政治

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苦情処理の政治

今の政治を顧客満足度政治として見てみると、今回の民主党の失敗は、「お客様からの苦情」の処理を間違えたところにあると解釈することもできます。与党というのは、政権運営の責任を負っていますから、苦情処理は与党固有の仕事と言ってもいいでしょう。もちろん、野党だって市民相談なんかで訴えられた苦情を国会質問でぶつけるようなことはありますが、これ、基本的に仲介であって応答じゃないので気は楽ですよね。苦情を解決する責任は最初から与党の側にあるわけですから。55年体制(自民党時代)というのは、自民党は自民党支持者の苦情には丁寧に対応し、社会党経由の苦情には国対政治の取引材料としてそれなりに対応し、共産党経由の苦情は完全無視という感じで、処理体制自体は整っていました。ところが、この構造が崩れた今日の「無党派層時代」では、決まった聞き取り役のない無党派層の苦情を巡って、各党が御用聞き争いを繰り広げています。

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無党派層の苦情

今日の「無党派層時代」では、各党が御用聞き争いを繰り広げています。今回、これをうまくやったのがみんなの党だってのはわかりますよね。そしてもちろん、前回の衆院選でこれをうまくやったのは民主党でした。ところが、自党の固定的支持層を第一に考えればよかった自民党時代と違って(って、自分たちで違う時代を作っちゃったわけですけど、)、選挙に勝った後に無党派層の苦情に応えなければならないんですね。しかし、自民党出身で自民党体質残りまくりの小沢率いる主党軍団は、このことがわからずに旧態依然の支持組織向けの苦情処理に注力したわけです。そうなると、民主党政権を実現した無党派層の苦情は注に浮いてしまうわけです。そして、無党派層向けのアピールポイントになるはずだった普天間問題の処理は逆に鳩山政権の致命的失点となり、さらに菅直人新総理の「ザ・唐突」は、苦情を無視され続けた無党派層の神経を見事に逆なでする結果となりました。こうして見てみると、民主党の失敗の根本原因は、自分たちが変えたはずの時代の変化に自分たち自身がついていけなかったことにあるのかもしれません。

側近政治

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側近政治

小泉元首相の見た目ワンマンっぷり、あるいはその後の後継首相も「官邸主導」の演出に腐心したこともあって、日本の政治もちょっと側近政治っぽくなってきたようなところもあります。しかし、側近政治の原型は封建制や絶対王制を前提としたシステムで、暗愚な君主を優秀な側近が補佐する、もしくは君主の名の下に実力のある側近が実権を振るうというのが基本形です。ですから、最近の例ではアメリカのブッシュ政権なんかが民主的体制における側近政治の典型にして限界事例(というのは、民主国家では普通、あそこまで暗愚な人間が大統領に選ばれるということはないですからなんですが、)と言っていいかもしれません。

日本の場合、安倍元首相のキモキモなカメラ目線を思い出してもらえればわかるように(あ、ほんとに思い出してキモワルくなったらすいません。)、首相自身がカリスマを気取って目立ちたがるというのが最近の顕著な傾向で、側近政治の「君臨すれども統治せず」といったスタイルとは方向性が違うというのがおわかりでしょう。

取り巻き政治

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取り巻き政治

最近の日本のこの種の政治スタイルは、どっちかというと「取り巻き政治」と言った方がいいかと思います。基本的には資金力、集票力、人望など、取り巻き志望者にとって「使えそう」な強みを持ったリーダーの回りに、そうしたエサを目当てに集まるという構図です。能力的に見ると、側近政治のような歴然たる格差はないことが多く、むしろリーダーの方が政治家としての総合能力で見ても優れているケースが多いようです。ただし、資金力が突出している鳩山や麻生のようなケースには、必ずしも当てはまりません。これって派閥の長と一緒じゃないの?そう、麻生なんかは派閥の長でもありますから、そう言えなくもありません。しかし、派閥と決定的に違う点もあります。その意味では、麻生派は見た目派閥だけど、実態は麻生&取り巻きだとも言えます。何が違うかというと、派閥は派閥という入れ物が先です。→派閥と取り巻き

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派閥と取り巻き

派閥の陣笠議員は、個人的には反りは合わなくとも、派閥の長としては支持します。対して取り巻きはリーダー中心です。なので、派閥の中でも取り巻きはできますんで、ある程度の規模になれば、麻生のように宏池会から取り巻きを連れて離脱して自派閥を作ったりすることも可能になるわけです。もう一つ、後継者を育てないというのも取り巻き政治の特徴です。たとえば鳩山前首相、首相辞任で政界引退を示唆したにもかかわらず、後継者を育てた様子はありません。今の菅首相も同じで、菅グループの二番手とか後継者候補とか聞いたことありません。自分がコケた時の備えとか、誰も用意してる様子はありません。個別の事情は様々あるでしょうが、基本的には「あなたのために」と取り巻きが集まってくるもんで、本人は「じゃあ、俺のために」という気分になるんでしょうね。こうして取り巻き政治では、取り巻きがリーダーの手足となって補佐するような形で、リーダーを介して、あるいはリーダーを単位にして政治が動くようになります。

取り巻きよがり

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取り巻きよがり

取り巻き政治の定着に従い、最近よく見られるようになってきたのが、「取り巻きよがり」です。これは、端から見るとリーダーの独りよがりなんですが、全体を俯瞰してみると取り巻きが盛り上げるもんで、本人がソノ気になっちゃってるケースが多いようです。だからリーダー本人にしてみれば、自分の狭い取り巻きワールドの中では全員一致の大喝采で、「もしかして、俺の独りよがりかも・・・」なんてところまで思いが至ることはまずありません。私は、菅首相のキメた「ザ・唐突」は、これの典型だったのではないかと思います。首相周辺のスモールワールドでは、「それマジいッスよ!」とか盛り上がっていたんでしょう、盛り上げていたのが故意バリバリの財務官僚(直前まで財務相やってましたから)だったのか、党の方の取り巻きだったのかはわかりませんが。

高ころび

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高ころび

世論調査とか、これだけ情報収集システムが整っている時代に、高ころびとかやる人間がいるんだろうかと思っていましたが、やってくれましたね。さすがは元祖バカタレ、見事です。調子がいいからと調子に乗ってやりすぎて、逆にしくじってかえって大きなダメージを喰らうというやつです、高ころび。今回の民主党について言えば、今後6年は祟られる参院での主導権を自民党に奪われてしまったことが大ダメージです。そのうち、自分たちが得ようとしたものに対して、失ったものがどれほど大きかったか身にしみる時がくるでしょう。某クイズ番組で言えば、750万でドロップすればいいのに、答えがわからないにもかかわらず、一か八かで最後の問題に突撃するようなものです。冷静に考えれば、当たりは4分の1、運良くその当たりを引いても増える賞金は250万、対して4分の3のハズレを引けば、650万を失います。正常な判断力があれば突撃なんてありえません。→高ころびへの戒め

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高ころびへの戒め

似た意味合いの格言で、「好時、魔多し」なんてのもありますけど、微妙な違いはあります。これは、幸運が続いても次のクジの確率は変わらないから、強気で攻めすぎると不幸の当たりクジを引く可能性は数学的必然として高まりますよ、という話です。高ころびは、情勢分析が甘くなって判断を誤るので、一か八かのクジを引くという話ではありません。ちなみにクイズ番組のたとえでは、クジを引くこと自体が絶望的に不利なギャンブルだ、というのが正確な情勢分析で、控えるべし、というのが適切な判断です。こうしたきちんと分析していれば避けられる失敗に、勢いよく突っ込んでいくのが高ころびです。分析にかかるか判断にかかるかの違いはありますが、考えが甘くなるところは一緒です、連勝連勝とかで調子づいて。だから、高ころびへの戒めの言葉としては、「勝って兜の緒を締めよ」ですね。菅首相、理系ですからね、諺とか苦手だったんでしょうね。

高ころび発生の主たる要因は、まさに取り巻きよがりにあります。本来は、広く多角的に情報を集め、バイアスのかからない分析をしなければいけないのですが、取り巻きというのは内にも外にも情報遮断の効果を持っていて、決定者たるリーダーに集まる情報に不足や偏りを生じさせ、さらに取り巻きの特徴である賛同バイアスによって、判断を適切に見直す機会も失われてしまいます。「将を射んとすればまず馬を射よ」と言われますが、今は取り巻きを狙うのがポイントです。彼ら、馬と同じくらい標的として無自覚で無防備ですしね。→カリスマもどき

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カリスマもどき

世の中、カリスマ大安売りです。本来は、一国につき1世紀に一度も出てこないくらいのレア度なんですが、ま、ネットオークションとか、その辺にいくらも転がっているようながらくたにも「激レア!!」なんて売り文句ついてますから、インフレ具合はシンクロしてるのかもしれませんね。ただ、カリスマを求める風潮というのは、政治の世界においては非常に危険で不健全なものです。なぜなら、それは主権者の側の責任放棄と白紙委任の風潮の裏返しだからです。しかし、マスメディアが発達・浸透したおかげで、ちょっとした工夫でいかにもイイ感じにイメージを演出できるよということで、政治家はこぞってカリスマもどきを目指してる感じです。たしかに、空中戦で金をかけずに票を稼ぐにはこれが手っ取り早いですよね。今回の参院選、蓮舫、約170万票ですよ。もちろん、蓮舫はまだカリスマというより人気者のレベルですけど、メディアを通じて好印象を植え付けられれば、利権で確保した組織票を軽く吹っ飛ばすことができるということをこの数字は証明しています。民主党は元々固定支持層が少なく、風頼みの空中戦志向が強いもので、カリスマもどきを作りたがり、頼りたがり、ついでになりたがりという風潮が他党より強いのですが、一方でその根本的な軽薄さが有権者に見透かされつつあるようにも見えます。

民主党の幼稚さ

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民主党の幼稚さ

民主党は、そうそうたる学歴、経歴、肩書の人材を集めているようなんですが、それにしてはあまりに幼稚さが目立ちます。目先の損得で右往左往、寄らば大樹で右顧左眄、それでいて目立ちたがりで記者を集めての造反発言は大好きと、「坊や、一体何を教わってきたの?」という某歌謡曲のフレーズを何度もプレイバックしたくなってしまいます。ま、こうした傾向は、よく言われる「民主党若手」に共通の「上昇志向が強く、自信過剰で、目立ちたがり、そして上から目線で天下国家を論じたがる」という特徴ときれいに重なるんですが、どうしてこう揃いも揃って?って気もしますよね。その答えの一つは人材の選別方法、具体的に言うと選抜主義にあります。これが、粒を偏った方向に揃えてしまうんですね。

民主党の優秀さ

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民主党の優秀さ

民主党、公募好きですよね、タレント議員の一本釣りとかも好きですけど。公募というのは選抜主義による採用の典型なわけですが、100倍とかの倍率をくぐり抜けるためには、なによりまずこの選抜スタイルに合ったキャラであることが求められます。まず、書類選考ではねられない「ハッタリの利いた経歴、学歴」は必須で、次いで面接を突破するための実際より資質を高く見せる能力、そして、似たような人間ばかりの最終選考を突破して最後の一人になるための上手な目立ち方、これが揃っていれば大丈夫です、残りの部分がカスカスな人間でも。しかし、人間の能力ってのは限界があって、うわべを飾るのに注力すると、その分、どうしても中身がおろそかになります。逆に、中身の充実した人は、うわべを飾ることや人を押しのけて自己アピールすることをあまり好まない傾向があります。→優秀系と非優秀系

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優秀系と非優秀系

この通り、わかりやすい優秀さというのは、一段掘り下げてみると空虚な優秀さにすぎないことが多いんですが、その「優秀さ」で競争を勝ち抜いた人間ばかりでスモールワールドを作り上げてしまうもんで、回りの自分と同じように「優秀」な人間や、惰性と運で議員を続けてこれたような非優秀系の先輩陣笠を見ていると、自分ら選抜組の優秀さが本物と勘違いしてしまうんですね。しかし人間、負けて覚えること、控えて学ぶこと、譲って身に付くこと、いろいろありまして、こうした経験がないと、外側は硬いけど中身は柔らかな蟹タイプの人間になりがちです。本当は、見た目グニャグニャだけど実は筋肉は強靱な蛸タイプの方が、政治家には向いてるんですが。有権者もここらへんは肌で感じるものがあるらしく、人間性への信頼が投票の基礎になることは少ないようで、逆風一つで大量落選の憂き目に遭ったりもするわけです。→民主党の幼稚さ

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選抜主義

選抜主義というのは、上の人間が候補者の中から気に入った人材をピックアップする方式です。ま、試験てのは基本それですね。日本のように上下関係が基本の社会では、このやり方が普通です。たとえば会社で、上司の一存で昇進が決まることはあっても、同僚や部下の推薦でってこと、普通はないですよね。学校の入試だって、一般入試は当然のことながら、推薦枠の推薦状だってクラスメートが書いてくれるわけではありません。クラスメート全員に嫌われていても、教師に好かれていれば推薦は楽勝です。選抜主義は、形式的には「優れているから上位にいる選抜者が下位の候補の中から優れている人材を選ぶ」という論理で正当化されます。ま、選抜者の側としては気分いいですよね、選抜者であるというだけで優れているらしいっぽい感じですし、えらそーに人材の評定などできるわけですから。

選抜主義の問題

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選抜主義の問題

選抜主義、問題点はいくつかありまして、まず選ぶ側だからといって、優れている保証はないという点です。次に、選抜時の視線が、基本、上からなので、その人の人物像の下半分に目が行きにくい問題があります。特に、欠点や弱点、それも同輩や目下の者との人間関係の作り方などは見えにくいものの一つです。本来、議員になると国民を、大臣や政務官になれば役人を見下ろす立場になるので、下の者との接し方というのは、政治家の卵にとって特に重要なポイントなんですが。むしろ、「強きにへつらい、弱きをくじく」という決まり文句があるように、上にへつらうのが上手な人間は、下には威張るタイプが多いんですよね、なんてこともへつらわれるだけの選抜者側はしらないわけですが。

選挙主義

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選挙主義

選抜主義の反対は選挙主義です。選抜主義が悪いなら選挙主義がいいのか?って単純な話じゃありません、先に断っておきますけど。それぞれに長所短所はあるわけです。選挙主義は選挙主義で、選出者の能力が選出母体の平均値と最多値の間ぐらいに落ち着くので、人材の能力を見極める能力は低めになります。また、各人の選択の動機はそれぞれなので、人気取りがうまい人間、あるいは選挙者の好きな能力(スポーツ関係とか)に秀でた人間が有利となります。それ、○○○じゃん、とだれでも思いつくところだと思います。「最低でも当選!議員でも金!」て、立候補のインタビューでぶち上げてくれると思ったんですけどね、、。ただ、タレント議員というのは、最後は当然選挙ですが、その候補になるまでは選抜されているので、その点はお忘れなく。→選挙主義のよいところ

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選挙主義のよいところ

選挙主義のよいところは、その人と日頃から接してきた人々の判断が反映される点です(なので、タレント議員はやはり違う。)。面接一発勝負じゃなくて、日頃の行いですね、不言実行にしろ有言実行にしろ。私事ですが、以前住んでたところの近所に雑貨屋がありまして、そこのおじさんが普段から不親切で不愛想だったのが、突然選挙に出て笑顔を振りまいてるのを見て、「100回落ちろ、このクソが」なんて心から思ったことがあります。だって、アイスで当たりを引いたのに、最後の一本だったからとか言って、他のアイスとも交換してくれないんですもん。あ、彼、めでたく落ちました、少なくとも1回は。こういう風に、裏表のある人間とかが淘汰されやすいんですね、選挙主義だと。

郷挙里選

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郷挙里選

選挙主義の実例って、どんなのがあるんでしょうかっていうと、国内では農協や漁協の組合長とか、労組の委員とか、あるいは国外では中国の共産党体制とかが挙げられますかね。ただ、どこでもボス支配の実態というのはあって、典型例と言えるかどうかは別なので、「実態は違う!」とか言わないでくださいね、それは先に認めますんで。ここでは、制度面から選挙主義に分類しうるものを挙げてみただけです。選挙主義の歴史を遡ると、古代ゲルマン人や近世ポーランドの選挙王制なんてのもありますが、東洋では古代中国の漢の時代に採られた郷挙里選(きょうきょりせん)という登用制度があります。中国の登用制度といえば科挙、というイメージですが、必ずしもそればかりではないんですね。これは、中央の役人の候補を各地方の人材に求め、地域の有力者に推薦させるシステムです。地域の現場では有力者(豪族)による選抜の側面が強くなりますが、採用者の中央政府が各地方に人事を委ねるという点では、選挙主義の形になります。これには、有為の人材を広く求めるとともに、各地の有力者の協力を確保するという意味合いもありました。→選抜主義

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