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いったいどうしたんだ、政権交代
執筆者 土屋彰久

いったいどうしたんだ、政権交代

有権者の意識の変化

有権者の意識もこの4年でかなり変化した、と私は見ています。一言で言えば、有権者クール&ドライになったという印象です。こうした変化そのものは、都市型文化の広がりに伴って進んできたものですが、政治意識に関して言えば、小泉自民党爆勝後の4年間にそれがかなり進んだのではないかと思っています。こうした意識の変化を象徴する出来事として、私は2007年の長崎市長選を挙げておきたいと思います。

小泉劇場政治

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2007年の長崎市長選

この選挙は、選挙運動中の現職市長が暴力団関係者に射殺されるというショッキングな事件でしたが、政治学者としての視点から言わせてもらえば、選挙結果の方がショッキングでした。元々が四選目を目指して圧勝確定だった伊藤一長市長が凶弾に倒れ、その娘婿が急遽後を継いでの選挙となったわけですから、日本の選挙の常識から言って負ける要素がありません。もちろん、補充立候補になって時間がなかったとか、期日前投票ですでに伊藤一長名の投票が多数あって、当日も同様の投票があって多くが死票になったとか、出馬会見で婿殿がにやけていたとか細かい話はいろいろあります。しかし、そんなことは関係ないくらいの圧勝が普通の選挙です。ところが蓋を開けてみると、市政の私物化に異議を唱えて急遽出馬した市職員が当選してしまいました。まあ、私自身もある種の予感ないし期待のようなものもあったので注目していたのですが、実際にそのような結果になったのを見て、改めて有権者が以前とは<別のもの>になったことを実感しました。この選挙は、有権者がもはや雰囲気や演出で簡単に動かせるものでなくなったことを示したという意味で、歴史的な出来事だったと思います。有権者がこのように<冷たく>なったというか、冷たさを急速に加速させた要因は、小泉劇場政治の手法にあったと私は見ています。

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小泉劇場政治

小泉劇場政治は、巧妙な演出で一時は有権者の支持を集めました。しかし芝居と政治の違いは、その生活への影響にあります。芝居は見物料を取られるだけで済みますが、政治の場合、下手な投票をすれば生活の基盤すら崩壊します。小泉政治は、その後の格差の拡大と貧困の激化としてはっきり表れたように、政策の中身から見れば中・低所得層の一般国民に過大な負担を押しつけるものです。しかし古くからの自民党の支持層は、「自民党はそんな無体はしまい」と勝手に信じ、初投票層は、「なんだか面白そう」ということで、自分らの首を絞める一票を投じました。農村は集落&大規模営農政策による補助金の削減で、高齢者は後期高齢者医療制度で、そして若年層はワーキングプア化で、そのことを思い知らされたわけです。簡単に言えば、自分たちが投票した自民党に徹底的に冷たくされたことで、政治の冷たさが身にしみたというところでしょうか。冷たくなった有権者が起こした政権交代、それは見た目同じ300議席でも、以前の自民党の爆勝劇とは違った意味合いを持っていると思った方がいいでしょう。

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利害対立の構造

自民党は、もともと万年与党として利害対立の構造を党内に持っていました。簡単に言えば、いわゆる保守本流は党内では所得再分配(中央→地方、大企業→中小企業、富裕層→貧困層など)を志向する左派として、国民全体の利益(広く薄い利益)と支持基盤の利益(狭く濃い利益)両者の代表者となってきました。これに対して、大企業など規制が緩和されればされるほど有利なる経済的強者であった右派(保守傍流)は、財政を通じた所得再分配政策(大きな政府)に対抗して小さな政府を、そして経済的弱者を保護する規制の緩和を主張してきました。社会党が対抗勢力としてある程度の勢力を保っていた55年体制の下では、右派の志向が強く出過ぎると自民党は広く薄い利益を代表できなくなり、支持層が社会党に移り、結果として政権交代によりさらに左派的な政策が採られる危険性がありました。そのため、右派の支持勢力も自民党体制の維持を最優先して、左派に主導権を委ねることを容認し、自民党全体の集票力の底上げを任せたわけです。結果として、政党間の関係は、理念だけを掲げる他はない社会党と広く薄い利益、狭く濃い利益の両方を代表する自民党が対抗する構造となり、自民党の無敗体制を支えました。

二つの利益を代表した自民党

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二つの利益を代表した自民党

自民党が広く薄い利益狭く濃い利益の両方を代表できたのは、経済成長の陰でバラマキ財政の原資が確保できたからでした。これを支持基盤の利権にだけ回すのではなく、国民全体の社会福祉向上にも配分することで、支持基盤からは外れ、特にオイシイ思いはできない一般国民からも、「まあ自民党でいいか」という消極的な支持を得ることができました。しかしその後、政界再編と社会党の凋落によって、強力な対抗勢力が消えるとともに、低成長時代になってバラマキの原資も足りなくなりました。それどころか、過去のバラマキのツケである国債の発行残高はとんでもない規模に膨らんでしまいました。

こうした状況そのものは、日本国内だけの問題としては数字ほど深刻ではなかったのですが、日本がずっとアメリカ国債の最大の引き受け手であったことから、日本の財政破綻がドル暴落を招きかねないとして、アメリカがむしろ危機意識を持ちました。このアメリカのサポートを得て、本来は広く薄い利益を代表しているわけではないので多数派になるのは困難なはずの右派が、メディアを駆使して小泉劇場を演出し、党内の多数派となると同時に前回の選挙でも圧勝しました。これは、利害対立の構造から見ると、「福祉を削って財政破綻を回避する」という点と、「大企業に利益を集中させる(外資はその株主利益を得る)」という点で、右派の支持勢力である財界とアメリカの利害が一致する一方で、左派政権誕生の危険性はないと見て党内左派の集票力に依存する必要はもはやないと考えられたために、左派が代表していた広く薄い利益と依存していた狭く濃い利益の一部が切り捨てられて党外に放り出されたという形になります。「抵抗勢力」のレッテルを貼られ、刺客を送られ、自民党から追い出されたのは、このような党内左派でした。

対立構造の変化

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対立構造の変化

こうして、保守本流主導だった自民党内のパワーバランスが大きく変化した結果、自民党は狭く濃い利益だけを代表する政党となり、実際にその通りの政策が採られ、今までの自民党と大して変わらない政策を期待した以前からの支持層の期待を裏切り、さらには生活まで破壊したわけです。民主党は、こうして自民党からはじき出された広く薄い利益の受け皿となることで、実質的に初めてと言ってよい、広く薄い利益と狭く濃い利益が真っ正面からぶつかる選挙を実現しました。そしてその結果は、広く薄い利益の圧勝となりました。ここに、今回の政権交代の最も重要な意味があります。かつては自民党が、広く薄い利益と狭く濃い利益という二通りの既得権益の代表者を演じていました。しかし、民主党が広く薄い利益、自民党が狭く濃い利益を代表するというように分かれると、両者のトレード・オフの関係が格段に鮮明になります。簡単に言えば、自民党が勝てば広く薄い利益の犠牲の上に狭く濃い利益が追求され、民主党が勝てばその逆に、ということです。つまり、今回の選挙で民主党を支持して広く薄い利益を手にした一般国民は、次の選挙では、「負ければ既得権益が失われる」というリアルな危機感を持って投票に臨むことになるわけです。一人一票の民主主義政治の下で、この利害対立の構造の変化が自民党にとってどれほど深刻な意味を持つかは言うまでもないでしょう。

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狭く濃い利益

本当は「狭く厚い」利益なんじゃないのか?と言いたくなるかもしれませんが、利権絡みのこゆ〜い利益なだけに、「濃い」の方がしっくりくると思い、私はこちらの表現を使っています。具体的な例としては、様々な公共事業や補助金事業など、要するに「利権」を思い浮かべてもらえばいいと思います。ただ自民党政治の下では、この利権の分配が同時に地方や農村(重なりますが)への所得再分配も兼ねていたことから、広く薄い利益の側面もないわけではありません。そして、「小泉構造改革」でターゲットにされたのが、まさにこの手の広狭濃薄二重利益であったために、「抵抗勢力」の排除が票田の流出につながったわけです。その意味では、小泉率いる党内右派は、まるで国民全体の利益の代表者として「抵抗勢力」の牙城を攻撃するようなふりをしていましたが、実際には大企業の利益を代表して左派と争っていたにすぎず、それは実際に国民の貧困度のアップと裏腹に進んだ大企業の過去最高益の更新連発という形で表れました。

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広く薄い利益

広く薄い利益は、直接的な社会福祉政策や間接的な条件整備として国民に提供されます。たとえば子ども手当は直接型、労働者派遣の規制は間接型の典型です。間接的な利益はなかなか実感できないために軽んじられやすく、前回の衆院選で小泉自民党がその政策で不利益を被る層からも支持を集められた背景にも、このような事情が働いています。ただ、広く薄いとは言っても、不利益を被る個人にしてみれば深刻な場合もあり、実際に政策が実施されると投票行動に影響を与えることもあります。今回の自民党の場合、これをやりすぎたことも惨敗の一因と言えましょう。

狭く濃い利益

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