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袋小路派の政治経済学*[企業買収、堀は埋められた]
執筆者 土屋彰久

袋小路派の政治経済学*[企業買収、堀は埋められた]

日米構造問題協議

日米の貿易不均衡、要するに日本の対米貿易黒字の問題を巡って、1989年から90年にかけて行われた協議で、その結果は、1990年6月に日米構造問題協議最終報告としてまとめられました。中身は、簡単に言えば日本の市場開放と内需拡大で、もうちょっと具体的に言うと、閉鎖的商慣行などの非関税障壁の是正と、公共事業の拡大です。交渉の当事者であった通産省(現・経産省)は、それまでは一方的に言われるだけだったのが、アメリカ側にも文句を言えただけ上等だと、自画自賛していますが、アメリカは「堀を埋めろ」と言い、日本は「もっと兵を鍛えろ」などと言ってるわけですから、アメリカの得にしかならない話ですよね。この公共事業について、日本側は10年で430兆円という数字を示し、アメリカ側は600兆円は出せと迫り、結局、630兆円に落ち着きました。この数字、現在、約800兆円に上る日本の累積赤字の約8割に相当します。ちなみに、国民一人あたりの負担額に直すと、全体では600万円強、公共事業分で500万円弱です。この国の経済問題の元凶がどこらへんにあるか、大体、見当は付きますね。

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非関税障壁  non-tariff barrier

非関税障壁は、関税以外の貿易障壁についての総称で、様々な国内規制などのハード面と商慣行などのソフト面に大きく分けることができます。元々、マイナス・イメージ満々の「障壁」という言葉が使われるようになったのは、元祖グローバリストとも言える、自由貿易至上主義の人々が、日本のそれを悪しきものとして攻撃し始めてからでした。まあ、確かにかつての日本は、輸出は自由貿易で、輸入は管理貿易でというような、やらずぶったくりなところがありましたので、それに対する非難それ自体には、一理も二理もあります。ただ、国家経済の運営の基本は、通貨に典型的に表れているように国家でして、貿易も基本は管理貿易であって、その中で一部の品物については、関税を設定した上で輸入が許される、という流れなんですよね。ここだけ聞くと、まるで江戸時代のような時代錯誤の話に聞こえますけど、ブロック経済だってその現代版ですし、グローバリズム総本山のアメリカにしたって、自国の農産品保護のためには、あからさまな非関税障壁を設定しているのが実情です。自由貿易至上主義ってのは、何のことはない、アメリカが他国に一方的に市場開放を迫るためのイデオロギーだってことです。

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年次改革要望書

かつての日米構造問題協議のような公式のものではありませんが、その精神、すなわち「アメリカが日本に市場開放の指図をする」という理念の下に、その後毎年、アメリカ側から突き付けられている指令書です。表面上は、日本もアメリカに対して要望書を出しており、経産省も自画自賛する双務的なものですが、それが実態において片務的なものであることは、言うまでもありません。小泉内閣が「構造改革」の名の下に進めた、様々な政策や、その前後の内閣が進めた様々な規制緩和の多くは、この年次改革要望書の指示によるものです。一例を挙げますと、財閥復活を公認した持ち株会社の解禁、日本全国の田舎を“シャショ化(商店街→シャッター通り、どこにも似たような大型ショッピングセンター)”した大店法改正・廃止、耐震偽装問題を起こした建築確認民営化、労働者の雇用環境を劇的に悪化させた労働者派遣の原則自由化、巨大資金を外資のエサに差し出す郵政民営化、サービス残業を合法化どころか義務化するホワイトカラー・エグゼンプションと、まあ、見事に並んでいます。そして、毎年の指令の中には、外資による日本企業の買収を容易にするような、様々な規制緩和も盛り込まれておりまして、これにより、それまで幾重にも取り巻いていた非関税障壁の堀の中でぬるま湯に浸かっていた日本企業は、あえなく外資の餌食となってしまったわけです。

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ホワイトカラー・エグゼンプション  white collar exemption

一定以上の年収がある労働者を労働時間規制からはずす法律。エグゼンプションとは「除外」という意味。2005年に経団連が提言し、06年に厚生労働省が素案を示し、同省労働政策審議会で2007年1月にまとめられた法案要綱においては、「自己管理型労働制」という名称が与えられた。

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アメリカの方針転換

アメリカ側は、当初は、普通に競争をすれば勝てると思っていましたが、いろいろやっている内に、どうもそうではないということに気が付いたんですね。日本は貧乏だから、アメリカより安くものを作れる。このことは、アメリカが日本より金持ちであろうとする限り、揺るがしがたい前提なわけです。そうなると、何で勝負をすればいいか・・・・そうか、金だ!という話になるわけです。要は、アメリカ企業より競争力のある日本企業を、日本より金持ちのアメリカがそっくり買ってしまえば、それまで日本企業のために身を粉にして働いていていた日本人は、今度はアメリカの株主のために働くようになり、日本の生産力がそのままアメリカのものになるという寸法です。ところが、いざ日本企業を買収しようとしても、お得意の非関税障壁に阻まれて、これがなかなかうまくきません。そこで、その障壁を一つ一つはがしにかかったというわけです。

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ピケンズ事件

アメリカの投資家ブーン・ピケンズ氏が、小糸製作所(ランプなどの自動車部品メーカー)の株を大量に取得し、経営権を握ろうとしましたが、小糸製作所側の抵抗に遭い、失敗したという事件です。実際のところは、ピケンズ氏側が取得したのは発行済み株式の4分の1程度に過ぎず、乗っ取りを狙ったというよりは、トヨタに高値で引き取らせることが目的だったと言われています。たしかに、「自分がダントツの筆頭株主であるのに、それ以下のトヨタの方が威張っているのはおかしい」という、ピケンズ氏側の言い分も一理ありますが、結局、裁判闘争にまで発展したこの事件は、小糸−トヨタ連合の守り勝ちに終わりました。これは、系列取引、株式持ち合いといった、日本独特の企業文化を巡る争いでもあったために、日米両国において関心を集めることになり、この城をこれから攻めようというアメリカ側にとっては、攻めどころを洗い出す上で、良い勉強材料となりました。

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小糸製作所株式買占め問題

→2006年06月号参照

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グリーン・メーラー  green mailer

ピケンズ氏は、いわゆるグリーン・メーラーのはしりと言われています。グリーン・メーラーというのは、元々、ブラック・メール(black mail、脅迫状、転じて脅迫行為)の“色”を、グリーン(ドル札の主色)と入れ替えて作られた造語です。グリーン・メーラーの基本は、ある企業の株を買い占めて、それを高値で転売して利ざやを稼ぐというところにありますが、その手口によって、あくどさにも幅が出てきます。よりブラックに近い“深緑”系の場合、最初から親会社やグループ企業などの、ターゲットとなった企業の「安定を望む安定株主」に買い取らせることを目的として、硬軟取り混ぜた様々な嫌がらせを繰り出します。株式市場の闇に蠢く日本の伝統産業、ザ・総会屋も、世界標準の基準で行けば、この深緑系のグリーン・メーラーの亜種ぐらいに分類されると考えていいでしょう。一方、外資系の得意分野である、もっとスマートな“黄緑”系になってくると、100%合法的な「建設的な株主提案」を武器に、日の当たるところで勝負を仕掛けてきます。黄緑系の場合、高値で転売できれば、相手は市場でも関係企業でもどちらでもいいので、株主提案が実行されて株価が上がるのも良し、「煙たい株主」として、相応の駄賃を貰って引き下がるのも良しということになります。

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総会屋

→2005年03月「現代用語に見る商売のあれこれ半世紀」参照

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物言う株主

日本版黄緑メーラーの先駆けとして、と言いつつ外資の用意した黒船に乗って、日本の株式市場に颯爽と乗り込んできた村上ファンドの主催者、村上世彰被告が流行らせたのが、この「物言う株主」という言葉でした。これは、株主価値の向上につながるような提案を積極的にする株主という意味で、たしかに、経営にはノータッチ、もしくは無関心で、株価の上がり下がりばかり見ているような、以前の日本の株主像と比べると、新鮮でポジティブな響きがあります。ただ、その表の「建設的な提案」の背後に隠れているのは、従来の株主と同じ、「自分さえ上手く儲けられればよい」という意識でして、単にそのやり口が新しくなっただけという話です。ですから、その提案は実際には短期的な株価の上昇を狙ったものが中心となり、その企業にとっての長期的利益は、むしろ短期的な利益の捻出や顕在化のために犠牲にされることが多くなり、企業体力の疲弊を招くことにもなります。まあ簡単に言えば、そのやり口は、長年にわたって蓄積されてきた有形無形の潜在的な企業資産を査定した上で、株価がそれより割安なら一気に買い占めて、株主提案を通じてその利益を顕在化させて、それによって生じた株価の上昇分を頂いて売り抜けるというものです。ですから、この「物言う株主」が去った後には、かつてあった潜在的資産が消失していることになりますから、それによって支えられていたような部分では、見えるとこと、見えないところで、企業体力が失われているという話になるわけです。

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持ち合い

「株式持ち合い」とは、企業同士が、お互いに株式を持ち合うという、日本独特の取引慣行です。持ち合いには、基本的に相互に安定株主を確保するための水平的なものと、大手企業による系列企業の支配を安定化させるための垂直的なものの二通りがあります。実際のバリエーションは様々でして、上は旧財閥系のグループ内でも、銀行を頂点とする垂直型をとることもあれば、関係の深いメーカー同士のこともあり、地方レベルでも、やはり似たような構図は見られます。また、自動車や家電メーカーなどは、傘下に多数の下請企業を抱えており、このような場合には、メーカーを頂点とした垂直型の持ち合いとなります。ちなみに、「垂直型」と聞くと、支配的な企業による一方的な株式保有のように思われるかもしれませんが、それでは「持ち合い」にはなりません。垂直型持ち合いでは、上の企業は下の企業に相手の株を提供させて(あこぎな場合にはタダで貢がせて)、大株主として支配権を確保する一方で、相手には自分の株を売りつけ、金だけ出させた上で、言われた通りに議決権を行使する安定株主に組み込みます。株式の持ち合いは、資金の裏付けなしに資本金を増やせるために、資本を空洞化させる作用があります。お互いに同額の株式を発行して交換するだけなら、資本金800兆の会社だって、紙切れ二枚で一度に二つも作れてしまいます。そのようなわけで、商法上、持ち合いには規制が設けられていますが、日本ではそこらへんの規制が緩かったもので、企業や株取引関係者は、かなり好き放題やってこれたというのが実情です。だから、当然のことですが、時価総額が実態以上に膨れあがる資本の空洞化は、実際に発生していました。

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持ち合い解消

アメリカは、日本のこの株式の持ち合い構造をなんとか崩そうということで、色々と策を考えたようですが、結局の所、持ち合い総本山とも言える大手銀行に、保有株を放出させる作戦に出ました。これについては、どこら辺から計画を練って進めて行ったかについて、バブル前から、つまりバブル経済そのものがアメリカの陰謀であるという説から、バブルの最中という説、そしてバブル崩壊後という説まで、諸説ありますが、少なくとも、銀行の自己資本比率についての規制を定めたBIS規制と、それまでの簿価会計から時価会計へという、銀行の会計基準の変更は、アメリカの差し金であるとする見方が大勢です。バブル崩壊後の右肩下がりの経済環境の下、増え続ける不良債権に苦しんでいた銀行は、規模の大小にかかわらず、この二つの規制強化によって首が回らなくなってしまいました。特に、BIS規制対応と不良債権処理のための貸し剥がしが、さらなる企業倒産と景気の悪化を招き、それが株価を押し下げて銀行の財務状況を悪化させるといった具合に、一度、逆回転を始めてしまった悪循環の歯車は、途中で銘柄の入れ替えがあったりして、単純に比較はできないものの、平均株価で見ると、バブル絶頂期の約4万円から、絶不況&持ち合い解消売りピークの約8000円までと、結局、5分の1まで転がり落ちて行ったわけです。

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BISの自己資本比率規制

→2002年12月号「日本新語・流行語大賞からみる今年のキーワード」参照

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不良債権

→2002年12月号「日本新語・流行語大賞からみる今年のキーワード」参照

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持ち合い解消売り

持ち合い解消の過程では、様々な要因で持ち合いが売られました。とりあえず、銀行は時価会計への移行にするために、保有株の売却を進めなければなりません。さらに、銀行への資本注入(いわゆる“税金による銀行救済”)が行われた絶不況期の後半には、経営健全化計画の一環として持ち合い解消のノルマが課せられ、機械的に売却が進められましたので、株価の下落基調を支える最大の要因となり、自らの首を絞めることになりました。一方、絶不況の下で利益や資金の確保に苦慮していた一般企業としても、持ち合い株売却の誘惑は常に感じていましたから、相手の企業がこちらの株を売れば、こちらも売るという感じで、持ち合い解消は連鎖的に広がっていく傾向を持っていました。また、簿価と時価の差がプラスで含み益を抱えているような場合には、営業赤字を埋めるための特別利益の捻出のために、持ち合い株が処分されることもあり、これも当然ながら、持ち合い解消のタネをそこここに蒔くことになりました。

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簿価会計/時価会計  Book Value Basis/Market Value Basis

これは、企業の資産についての会計基準でして、株式の場合、簿価会計だと取得時の価格(簿価)で計上され、時価会計だと、現在の価格(時価)で計上されます。但し、時価とは言っても、小料理屋の時価のように、その日の仕入れで決まるというようなものではなく、特定の日(会計年度の年度末など)の終値で決まりますので、市場での売買によってある程度の操作は可能ですし、実際、行われています。また、時価会計の場合には、簿価より時価が下落した場合、含み損が一定以上(30〜50%)になると、損失として計上しなければなりません。ここが、実際に売却して売却損が発生しない限り、含み損はあくまで含み損のままでいられる簿価会計との、実務上の大きな違いです。

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