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袋小路派の政治経済学*[少子化の背景]
執筆者 土屋 彰久

袋小路派の政治経済学*[少子化の背景]

エンゼル・プラン  angel plan

時々行われる、年金関係を始めとした様々な社会動向の政府予測では、常に「ほどなく下げ止まって上向く」ことになっている出生率ですが、そんな粉飾予想値をせせら笑うように、これまで順調に下げ続けてきました。そのようなわけで、政府もしかたなく重い腰を上げて、エンゼル・プランと銘打った総合少子化対策を始めたのが、1995年でした。で、数字を見れば丸わかりなように、ろくな効果がなかったために、今度は2000年から、さらにネタを増やした新エンゼル・プランが始まったのですが、これも、史上最低の1.25という合計特殊出生率を打ち立てるなど、もしかして、マイナスの効果の方が大きいのではないかと、真剣に疑いたくなるような惨憺たるパフォーマンスに終わり、現在、新新エンゼル・プランが新たに策定されているところです。この調子で行けば、新新新新エンゼル・プランが出てくる頃には、出生率も1.00を切っているのではないかという予測も成り立ちそうです。政府予測よりは、こっちの予測の方が信頼度は高いのではないでしょうかね。実際、中身を見てみれば、相変わらずの人間不在のハコモノ行政ですし。入れ物ばっかり大事にして、中身を大事にしてこなかったからこうなったんだろうがー、という外野の声は、この先も役所の中まで届くことはなさそうです。

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ハコモノ行政

→2005年4月号参照

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少子化の要因(ミクロ)

少子化の要因として、通常、口にされるのは、一般家計の経済状況子育て環境女性の社会進出晩婚化といった、個人のライフ・スタイルを巡るミクロ的要因が主です。たしかに、中途の過程で外野がどれだけあがいても、最終的に女性が産まない限り子どもは生まれませんので、この「出産の永遠の主人公」にして「子どもの出口」たる女性の行動パターンにまず注目するのは、物の順序として当然とも言えましょう。ただ、ミクロ的要因にばかり注目するというのは、結局のところ、少子化の責任を女性になすりつけることにつながってしまいますので、その点に関しては注意が必要です。→「少子化の要因(マクロ)」参照

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一般家計の経済状況

子どもが産まれると、その家計の経済状況は確実に悪化します。理由は簡単、まず子ども自体があらたな消費主体に加わることで、出費が増加するのに加えて、子育てという無給労働が必要になるために、その分、有給労働が減る、つまり家計全体の所得が減るためです。ですから、子どもを産むためには、このマイナス分を吸収できるだけの経済的余裕が家計の側になければなりません。逆に、余裕もないのに子どもを産めば、家計は破綻に向かいます。このような状況に対して、政府が採ってきた「構造改革」政策は、労働者派遣業の原則自由化などを始めとして、規制緩和の名の下に一般家計を生活水準を下支えしてきた労働保護規制を次々と緩和、撤廃するものであったために、一般家計の大半は経済状況が悪化し、子どもを産めるだけの経済的余裕は失われてしまいました。単細胞生物だって、栄養が足りなければいつまでたっても分裂はしません。家計の生殖行動も、基本的には同じです。

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子育て環境(ミクロ)

親は普通、子どもの幸せを願いますから、今の世の中の状況を見て、自分の産んだ子どもが幸せになれるかを様々な角度から考えて、出産の判断材料とします。現在の状況を見てみると、学歴社会、「ゆとり教育」、競争激化、格差拡大といった諸条件から、かなりの確度をもって予測できるのは、子どもの教育に十分に金と時間をかけられない限り、子どもは一生、経済的に恵まれない生活を送るだろうということです。学歴とは関係のない世界で一発当てる可能性が残されているからと言って、この予測自体には影響はありません。これは、「宝くじが買えるから、給料は安くてもいい。」というのと同じ論理ですから。そうなると、子どもを産もうという場合の経済的ハードルは、さらに高くなります。日常生活の維持に必要なレベルでの支出増&収入減は吸収できても、子どもの将来のことを考えると、追加の教育費はかなりの負担となります。しかし、実際には「ゆとり教育」政策によって、義務教育として無償で受けられる公教育のレベルは低下してしまったために、学力の基本水準が低下した分、その上の追加出費によって上積み可能なゾーンが大きく広がり、家計の経済力がより子どもの学力に反映されるようになりました。そして、格差拡大も進む中、家計の収入格差が広がり、それが学力格差に、そして子どもが成長して後の収入格差にと、次の段階に移るたびに格差が拡大していく傾向もはっきりと見られるので、貧乏人の子どもは、もっと貧乏になる可能性が非常に高くなっています。そうなると、「不幸の拡大再生産」をしようという気持ちが薄れるのも当然ですね。→ 「子育て環境(マクロ)」参照

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ゆとり教育  cram-free education

→2004年5月号 「知のマイナス・スパイラル」参照

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女性の社会進出

子どもを産み育てるには、専業主婦の方が都合がいいのはわかり切っています。ですから、専業主婦が減った=出産年齢にありながら仕事をしている女性が増えたことは、少子化の要因の一つとして、前々から言われてきました。特に、「女は家を守れ」的思考が根強い、保守勢力は、この点を強調しています。では、その保守勢力が政権をずーっと握ってきたのに、どうして女性の社会進出が進んでしまったのか?ヘンですよね。男女の平等を定めた憲法のおかげ?まあ、それもあります。でも、それ以上の最大の要因として指摘できるのは、保守勢力自身が望んだから、ということがあります。これ、明らかに矛盾ですよね。そう、矛盾してるんです。ごく簡単にメカニズムを説明します。保守勢力=財界=企業経営者は、常に人件費の圧縮を追求してきましたが、女性の社会進出が進むということは、労働市場における供給の増加、つまり人件費の低下を意味します。それは、たとえ割に合わない低賃金の職場しか受け入れ先がなかったとしても、そうなんです。国民経済全体で動く人件費の総額については、総供給量の増減が決定要因であって、内部での男女の分配比は直接的な関係はありません。だから、人件費圧縮を第一に考えると、保守勢力にとって女性の社会進出は大歓迎ということになります。ちなみに、これの逆が「ニートは雇用と労働条件を守っている」という逆説です。これは、働かない=労働力のダンピングに参加しないことで、労働条件のさらなる切り下げに歯止めをかけているということです。話を戻しますが、このように、保守勢力は女性の社会進出をそもそもは歓迎していました。特に、<女性が働きに出て賃金水準が下がる→専業主婦も働きに出るようになる→賃金水準がさらに下がる>という、労働条件悪化の悪循環が目立っているうちはホクホクでした。しかし、それと同時に少子化の悪循環も進んでいたんですね。だって、角度を変えて見れば、これは結局、女性の社会進出という時代の流れを利用して、家計の「子育て余力」を賃金の抑制という形に変えて、労働市場のメカニズムを通じて企業の側に吸い上げていただけなんですから。

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晩婚化

生物学的に見ると、人間の出産適齢期は、だいたい25歳の前後10年間ぐらいです。だから、社会的、あるいは文化的要因などにより、この時期より結婚年齢が遅くなれば、出産適齢期に結婚適齢期が遅れる晩婚化という現象が発生します。日本で進んでいる晩婚化については、社会的要因の作用が大きいようです。具体的には、高学歴化に伴う「実質的成人」年齢の上昇、女性の社会進出に伴う地位の改善、就職後の競争の激化といった要因が挙げられます、特に女性の側にとっては、結婚が「永久就職」ではなくなってきたという事情が、非婚化にもつながる大きな要因として指摘できます。また、文化的要因として、性文化の変化や娯楽の多様化も、晩婚化・非婚化、少子化の間接的要因として指摘できます。避妊技術の開発などにも支えられて性文化の解放(見方によっては崩壊)が進んだ今日では、婚外性交渉が一般化し、さらに晩婚化とは裏腹に初交年齢の低下も進んでいますが、一方で、娯楽も非常に多様化しているために、人類にとって「娯楽の王様」だった性行為の地位は、一頃より相対的に下落しており、結婚の誘因としての魅力も低下しています。こうした変化は、当然ながら、「他に楽しみがない貧乏人の子沢山」という構図もあっさり崩壊させました。

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少子化の要因(マクロ)

少子化の原因を女性の個人的な問題として片づけて、少子化の責任を女性になすりつけようとしてきた保守勢力は、ミクロ的要因ばかりを強調してきましたが、実際のところは、全体的な生活条件の悪化という、マクロ的要因も大きく作用しています。それに、そもそも今のような社会状況を作り出したのは、男性の側なんですから、責任から逃げてはいけませんよね。→「少子化の要因(ミクロ)」参照

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子育て環境(マクロ)

ドラえもんはウソです。いや、未来の世界のネコ型ロボットが、って当たり前の話ではなく、ドラえもんに出てくる空き地(土管三本付き)の話です。他のアイテムと違って、高度な科学技術は一切不要なのに、高度な土地利用が進められた結果、今の日本では、“どこでもドア”や“タケコプター”と同じくらいの夢のアイテムとなってしまいました。代わりに公園があるじゃないか、と言われるでしょうが、どこの公園にも「球技禁止」の看板がでかでかと張ってあります。これじゃ、野球もサッカーもできません。まあ、これは現象の一端にすぎませんが、大人たちが「経済活動」に夢中になって子どもたちを押しのけてきた結果、子どもたちの生活空間は、物理的にも精神的にも狭められてしまったということです。最近では、性犯罪の被害が幼児、児童にまで及んできたために、子どもを外に出すことすら心配になってしまいました。このようにして、生活空間が狭められれば、定員が減る、つまり、この世の中に生まれてきて「普通に幸せに成長することが許される」子どもの絶対数が減りますし、自分の子どもが幸せになれる可能性が低いという事実を見せつけられれば、親は出産に対して消極的にならざるを得ません。さらに、少子化で子どもは減っているはずなのに、学校でのいじめはひどくなるばかりです。これは、大人社会における生存競争の激化のしわ寄せを喰って、子どもの減り方より、生活空間の収縮がもっと急激なペースで進んでいるためで、子ども社会の中でも、生存競争がむしろ激化していることの表れです。子どもは社会の鏡とも言われるように、外部環境に対して素直に反応します。そして、その「鏡」を見て、心ある大人は次の行動を考えます。街に子どもの笑顔があふれていれば、子どもを産む気にもなるでしょうが、その逆では、まず子どもの顔に笑顔を取り戻すことを考えるのも当然と言えましょう。で、政府は何を始めたかと言えば、いじめの有無を学校、教師の評価のポイントに加えることす。その結果、現場からの報告件数は激減し、統計上の数値だけは大きく向上しました。でも、ほくそ笑んでるのは官僚や役人だけで、子どもたちの笑顔は戻っていません。

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都市集中

出産年齢と重なる若年人口の都市集中も、少子化に拍車をかけています。若年人口の地方から都市への移動は、核家族化を必然的に伴いますが、結果として、都会で子どもを持とうにも、家は狭いわ、面倒見てくれるじいちゃんばあちゃんはいないわと、条件の悪さに苦しむことになります。都会の生活は、現金収入は多いですが、子どもを産む条件としては、田舎の大家族に格段に劣ります。そもそも江戸の昔から、東京は都市としての生活条件の厳しさから、人口動向は出生ベースではほぼ一貫してマイナスです。それでも東京の人口が増え続けてきたのは、地方からの流入人口が、その減少分を補って余りあるためです。ここまで来ると、話が見えますよね。昔、地方から江戸に出てきたのは、跡取りになれずに食い詰めた若者が中心でした。見方を変えれば、田舎で作りすぎた余剰人口が、江戸の減少分を補っていたということです。これに対して今の地方では、跡取りになるはずの長男まで、どんどん都会の華やかな生活にあこがれて東京に出ていってしまいます。つまり、若年人口の都市集中を放置するということは、子作り世代を子作り困難地域に押し込むということでもあるわけです。しかし、政府の採ってきた政策は、人口動向を見れば丸わかりなように、都市集中の放置はもちろん、地方の振興策さえ、中高年向けの利益誘導型の政策ばかりで、若者にとっての地方の魅力を損なうようなものばかりでした。なら、田舎に戻ればいいのかというと、そううまくもいきません。それは、都市と地方の経済格差が大きすぎるため、地方に戻っても満足のいく収入はそうそう得られず、子どもを産むための経済的余裕はやはり、生まれないためです。ですから、地方に残った跡取りも、昔のように沢山は子どもを作りません。あらゆる面で、東京が地方のエネルギーを吸い上げて浪費する、この構造が人口動向には少子化として投影されているということです。

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人口ピラミッド

人口ピラミッド、普通は年齢で切ったもののことを言いますが、ここで話題にするのは、別の人口ピラミッドです。本来は、いろいろな指標で切っていいんです、その指標の性質上、ピラミッド型になりそうなものなら。もう、察しはついていると思いますが、ここでは、所得で切った人口ピラミッドをネタにしてみます。人工の建造物であるピラミッドも、自然の山である富士山も、その高さを支えるのには、それだけ広い土台なり裾野が必要ということは、わかりますよね。人口ピラミッドも、それは同じなんです。裾野が細ると、その分頂上も低くなる、だから頂上付近の人々は少子化を騒いでいるわけです。しかし、裾野が細ってきた原因というのは、そもそも上にいる人間が重すぎる、つまり、働いても働いても、その利益の大半を上に吸い上げられてしまい、支える力がなくなってしまったためなんです。だから、裾野を回復させるためには、本来なら、上にいる人々を減らしたり、山を低くなだらかにしたりして、下の人々の負担を軽くしてやらなければなりません。ところが、日本では逆のことをやっています。上の人々が、その所得水準を維持するために、さらに下の人々から搾り取る、つまり人口ピラミッドで言えば、頂上の高さを維持するために、とんがり帽子のように鋭く切り立った形に削り上げているような感じです。しかし、この形になると、下の人々はより多くの上の人々を支えなければなりませんから、力尽きてバタバタと倒れていきます。小泉政権の5年間で記録した、自殺者の累計17万人という惨憺たる数字は、日本全体で進められてきたこのような動きの一端に過ぎません。このような状況では、上にいる人々がどんな対策を考えたところで、その動機が自分たちの所得水準の維持である限り、少子化には拍車がかかるばかりと考えた方がいいでしょう。

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