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袋小路派の政治経済学*[少子化問題]
執筆者 土屋彰久

袋小路派の政治経済学*[少子化問題]

少子化のデメリット(生産面)

子どもを産もうが産むまいが大きなお世話なはずなんですが、政府は騒いでいます。少子化問題担当大臣なんてのまで作っちゃってます。でも、何が困るんだ?誰が困るんだ?ってことで、困った顔を探してみると、財界や官僚が困った顔をしています。政治家は、まあ、お仲間にお付き合いといった感じで、口ほどには切迫感が感じられず、それが実際の政策の実効性のなさにもストレートに現れていますが、基本的には、政・官・財というこの国の支配層が困っていると言っていいですね。何が困るかというと、人口の減少は生産の減少につながるためです。財界というのは、簡単に言えば人を働かせて儲けている人々の集まりですから、働かされる人(=一般国民)が多い方が儲けは増え、少なくなれば儲けは減ります。また、少子化は人口比率において高齢化を促進し、全人口に対する労働人口の比率を低下させるために、国民経済全体の生産力を低下させることになります。かつてのように、定年のない農村が経済生活の中心であれば、比較的容易に対処できますが、農村を捨て都市に出てきたサラリーマンが主役の現代の日本経済では、定年と年金の硬直性が大きな足かせとなるので、なかなか身動きがとれません。また、官僚の中では、特に財務と厚労が困ります。とりあえず、わかりやすいのは年金の破綻ですが、これは両方に共通する問題です。ついで、意外と間接的でわかりにくいけど深刻なのが、財務官僚を悩ませる累積財政赤字の問題です。日本政府は、これまで借金に借金を重ねて、すでにその額は国民一人あたり600万を超えるに至っていますが、表向き、そのあてとされてきたのは、将来の経済成長でした。ところが、人口が減少に向かうと、その計算がどんなに無理をしても成り立たなくなってしまうんですね。今までの計算だって、もちろん、冷静に見れば破綻してるんですが、その表面化が急速に早まってしまっては、いくら粉飾を重ねても追いつかないので、困っているわけです。一方、政治家はどちらかというと、今後も無茶な借金を重ねていきたいというのが本音なので、少子化を政府支出拡大の口実にするのはいいけど、その逆に緊縮財政を求められては困るということで、ま、お付き合い程度、という感じです。

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少子化のデメリット(消費面)

世の中では、働き手がいなくなって年金が破綻だ、みたいな生産面の話ばかりが躍っていますが、少子化のネガティブ・インパクトというのは、消費面の方が、むしろ深刻なくらいかもしれません。なぜかというと、人間は生まれてすぐに消費生活を始めますが、生産生活を始めるのは、その20年ぐらい後になってから、つまり、影響はまず消費面に現れるからです。そして日本経済は、別に年金や国債の勘定とは関係なく、将来における人口増と消費の拡大を当然の大前提として「発展」してきました。このように、将来に向かって需要の増加が期待できる環境は、あらゆる投資にとって好環境です。そしてそれは当然、現代型経済の特徴である「投資で回る資本主義」にとって最適の環境なわけです。たとえば、人口増の環境下では、不動産投資ほど手堅い投資はありません。なぜなら、有限の土地に対して、それを生活のために必要とする人々がどんどん増えていくということですから、先に買っておけば必ず値上がりします。これが、バブル崩壊以前の土地神話の正体です。もちろん、不動産に限った話ではなく、あらゆる物について需要の拡大が期待できますから、それを前提に積極的な投資が行われてきたわけです。ところが、予定通りに人口が増えないとなると、投資の元がとれなくなります。しかも、それが金利の付いた借金となったらさらに台所事情は苦しくなります。このような状況は、すでに地方に現出しています。今、全国には旧国鉄・JRの赤字線を押しつけられた三セク鉄道が沢山ありますよね。あれは、東京一極集中の弊害の一つとして、地方では早くから人口流出が進み、少子・高齢化&人口減が全国平均よりも急速に進行したためです。少子・高齢化に関しては、東京ではなく地方が最先端なんです。つまり、このまま少子化が進んでいけば、いずれは山手線や東海道新幹線も赤字転落で三セクに逆戻りし、銀座も全国の駅前銀座と同じようにシャッター通りになる・・・ってことはないんですけどね、さすがに。ただ、その波をかぶらずにいられるのは、ごく一部の大都市にすぎず、それでも間接的影響は避けられないでしょう。ま、簡単に言えば、あらゆる投資が損益分岐点を越えられそうにないという、預金で言えばマイナス金利のような投資環境になりかねないわけで、そうなったら、「投資で回る資本主義」の自転車は倒れてしまいます。だから、投資家=資本家=財界にとっては、少子化は年金の破綻がどうのこうのという問題では済まないわけです。

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少子化のメリット(分配面)

支配層と被支配層の利害は、一致する場合と矛盾する場合がありますが、少子化の問題を巡っても、同じ事が言えます。さしあたって、支配層(政・官・財)にとっては、少子化は悪いことばかりのようですが、被支配層、すなわち一般国民の側から見ると、良いこともけっこうあります。それがはっきりとした形で見られるのが、分配面です。ただし、これは所得ではなく資産の分配の方です。人口増を伴って経済が拡張していく場合、支配層、被支配層、ともに所得が伸びていくために、表面上、両者の利害は一致します。しかし、「金が金を生む」を根本原理とする資本主義体制の下では、経済の拡張期においては、所得水準が上がるほど所得の伸び幅が大きくなるために、所得の蓄積である資産の格差は、むしろ拡大していきます。そして、土地のような有限の資産、あるいはその他の希少性の高い資産に関しては、この所得格差が如実に反映される形で分配に大きな偏りが生じます。たとえば、それが極端な形で進んだブラジルの場合、人口では1%にすぎない富裕層が、国土の50%を「私有」するという、えげつない状況にあります。人口の減少は、基本的にはこれとは逆の作用をもたらします。簡単に言えば、減ることのない土地に対して、欲しがる人がどんどん減っていくわけですから、相場は当然、下落します。実際、値動きの大きい商業用不動産ではなく、住宅用不動産のレベルで見ても、特に下物の土地に関しては、少子化の影響の大きい地方において、一頃から比べてかなり下落しています。つまり、少子化は、富裕層から低所得層への資産の再分配を「市場原理に基づいて」促進する効果を持っているということです。日本のように、アメリカ型の保守二大政党制への移行がほぼ決定的となり、当面、資本主義体制が堅持されるとなると、資産課税強化などによる政策的な資産の再分配は期待できませんので、一般国民が住宅用不動産を無理せず手に入れようとするなら、このメカニズムを利用する、つまり「子どもを作らない」というのが最も有効となります。で、みなさん、実際その通りに行動しているわけですよね、賢い賢い。さらに、分配面のメリットは、私有財産にはとどまりません。たとえば公有財産=社会資本の代表格である道路、これなんかも、人口が減れば車が減りますから、渋滞なしでストレス・フリー交通が実現します。毎日の通勤だって、すし詰め電車とはおさらば。電車に揺られて15分も座っていれば、都心のオフィスに到着です。

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富裕層

→2005年12月号参照

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1.57ショック

これは、1989年度の人口動態統計で合計特殊出生率が1.57まで落ち込み、「ところがどっこい生きていた」で有名な1966年の丙午(ひのえうま)の1.58を下回る史上最低を記録し、各方面に衝撃が広がったことから、言われるようになった言葉です。前年度(1.66)からの落ち込みが、比較的急だったために、一時的な落ち込みで終わるかという希望的観測もありましたが、実際には次年度も最低を更新し、以後、順調に下落を続け、2005年度には1.25まで落ち込むなど、長期低落傾向に歯止めがかかる気配はありません。こうして振り返ってみると、やはり、1.57ショックが一つの画期となっているようですね。

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1.50ショック

→2003年04月号参照

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丙午(ひのえうま)

江戸時代から続く迷信で、丙午の女は気性が激しいとか、家を焼き尽くすとか、男を喰い殺すとか、無茶苦茶な話になっています。由来としては、干支の丙と午がどちらも「火」に当たるというところに、八百屋お七が丙午だったというデマ(本当は二年違いの戊申)が油を注いで、古典的都市伝説として定着するに至ったという説が有力です。実際、この丙午伝説は、時代を超えた「都市伝説」ぶりを見せておりまして、前回の1906年の丙午の際には、10%程度の出生率の落ち込みでとどまっていたものが、高度成長真っ直中で都市化が進んだ1966年の方が、25%ほどの大幅な落ち込みを見せているんです。これはもちろん、60年前と比べて「家族計画技術」が格段に進歩したことも大きな要因として考えられますが、本来が江戸ローカルだった丙午伝説が、東京が一元的な情報の発信地となって中央のメディアが全国的な影響を持つようになったことや、常に話題を求めるメディアの習性により過剰に関心が煽られるなど、メディアの行動それ自体が、人々の行動を誘導する効果をもたらした側面も大きいようです。

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八百屋お七

浄瑠璃や歌舞伎の演目として有名で、井原西鶴の『好色五人女』でも取り上げられている八百屋お七ですが、お七は実在の人物で、事件も実際に起こったことです。演芸などではかなり脚色されており、事実の詳細については不明な部分もありますが、概要は以下のような感じです。江戸、本郷(駒込との説も)の八百屋の娘、お七は、天和の大火で焼け出された避難先の寺で、避難生活の最中に寺小姓といい仲になります。しかし、避難生活が終わって、新しい家に戻ると、二人は離れ離れになってしまいました。それでも彼氏のことが忘れられないお七は、「火事になればまた会える」と考え、放火事件を起こします。この放火自体は大事にには至らず、お七は捕らえられ、齢十六(満だと14歳)で火刑に処せられました。このように書くと、短絡的思考の典型のようですが、当時の特有の事情もありました。というのは、寺小姓というのは「遊郭に売られた女」の「寺に売られた男」バージョンで、寺を離れることができなかったので、手紙のやりとりや軽いデートぐらいは可能でも、若い二人が一番したかった「御休憩」までは無理で、そのためには、それが可能だった頃の状態を再現する必要があったということです。ですから、そのためにとった手段の極端さを見れば、視野狭窄で短絡的なことはたしかですが、その気持ちもわからないではないということで、ある種の共感を呼び、人気演目として定着するに至ったというわけです。ちなみに、避難先の寺や相手の寺小姓について、定説に近いものはありますが、それでも諸説ありますので、明記は避けました。

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合計特殊出生率

少子化問題を論じる時に、最もよく言及される数値がこの合計特殊出生率です。これは、実は単純な出生数や出生率のような生の数字ではなく、これらのデータを基に算定された、「こんな感じだと、一人の女性が一生に何人ぐらいの子どもを産みそうか」という、厳密に言うと予測値でして、それ故の限界というのもあります。特に、ライフサイクルやライフスタイルの変化が進んでいる時などは、今年の40歳女性の生殖行動は、今年の20歳女性の20年後の生殖行動の参考にはあまりならないんですが、数値の算定は同じ行動をとるとの前提で行われます。ただ、もちろん、全体的な傾向をわかりやすく示す数値であることには変わりありません。ちなみに、2.08あたりが、人口の自然増・減の分かれ目と言われています。

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人口純減

少子化そのものは、合計特殊出生率で見れば、実は戦後の第一次ベビー・ブームが去った50年代半ばで、もう2.00を少し上回るぐらいの水平飛行ラインに落ち着き、第二次ベビー・ブームが終わった70年代後半からは、2.00を回復することはなく、とっくに人口減の時代に入っていました。しかし、衛生・栄養状態の改善や、医療技術の進歩により、すでに生まれている人々の寿命がそれ以上のペースで伸びたために、当然、高齢化は激しく進んだわけですが、人口そのものは、その後も増え続けてきました。しかし、それもさすがに追いつかなくなり、2005年に初めての人口純減を記録し、いよいよ本格的な人口純減時代の幕開けとなりました。

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