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パニックとショックの現代用語集
 

その他の社会におけるショック

チャイルド・ショック  child shock

本誌1982収録。以下、

出生児数の急速な減少によって、幼児を対象とした幼稚園では園児数が減少し、閉鎖のやむなきに至った園もあり、そのほか、乳幼児を対象とした産業が危機を向かえるなど、ショックを起こしている現象に対して、マスコミが印象を強く与えるために作った日本製のことばである。

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1.57ショック

本誌1992年版収録。以下、

出産率は第2次ベビーブーム期の1973(昭和48)年をピークに下がりはじめ、「多産多死から少産少死へ」と変化。88年には合計特殊出生率は1.66人。イタリア、西ドイツとともに世界でも最低水準の長男・長女社会となっている。厚生省は「これからの家庭と子育てに関する懇談会」を設置、90年1月末に報告書をまとめた。内容は「深刻で静かなる危機」と危機感を示し、「企業活動のための家庭生活」から「家庭生活のための企業活動」への転換、子育ての男女協同化が可能になるような環境整備を求めている。

すでにこの時点で、各方面の論議をよんでいたところへ、90年6月、89年の人口動態統計で合計特殊出生率が1.57人まで落ち込んだことが発表されると、政財界を中心に高齢者扶養の負担増大や社会の活力低下の懸念から、1.57ショックが起きた。

出生率低下の原因は、教育や住宅事情などによる経済的・精神的負担、出産・育児と仕事の両立の困難さなどがあるが、女性の晩婚化(平均初婚年齢25.8歳、89年)、シングル志向(25〜29歳女性の未婚率は85年現在31%)も大きな原因である。一方、女性の意識は、「国が直接出生率増加の音頭をとる」ことには8割が反対(毎日新聞全国家族計画世論調査、90年6月)しており、きわめて冷静である。90年にはさらに1.53人になった。96年には1.48%まで下がると推計されている。

→1.53ショック

→1.50ショック

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1.53ショック

本誌1992年版収録。以下、

厚生省の1990(平成2)年の調査では、日本の女性一人が生涯に産む平均子ども数(合計特殊出生率)は1.53人を示し、史上最低となったという。その前年(89年)の発表は1.57人であった。この発表は、“1.57ショック”、次いで“1.53ショック”などと呼ばれて、社会的に大きな波紋を巻き起こした。

子ども人口は急激に減少しつつある。91年の人口動態統計によれば、新生児数は122万8000人、出生率(人口1000人当たり)は10・0と、史上最低を更新した。このような子ども人口の劇的な減少傾向は、超高齢化社会の到来、若年労働力の不足、そして何よりも若年人口割合の縮少による社会的活力の衰弱化など、日本の近未来に深刻な課題を投げかけている。

→1.57ショック

→1.50ショック

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1.50ショック

本誌1996年版収録。以下、

女性が生涯に生む子どもの数は1991(平成3)年の1.53から92年の1.50、そして93年の1.46、94年の1.50人と、少子化傾向が顕著になった。93年の0歳児は119万人で第2次ベビーブーム時の205万人の58%になった。高齢化が進んでいる日本は「高齢化社会の中での少子化」という社会構造の中で21世紀を迎えようとしている。

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アタリショック

本誌2000年版「アタリ神話」より。以下、

ファミコンをはじめとする家庭用テレビゲームが全盛を迎える直前の1970年代後半、業務用ゲームのスペースインベーダーが大ブームを巻き起こす。テーブルがすべてゲーム機になっているというゲーム喫茶が数多く誕生、なごや打ちといった言葉も生まれた。この当時アメリカでは、囲碁の「アタリ」という用語を社名にしたアタリ社が、現在のゲーム機と同様、カセットの交換により、様々なゲームを楽しめるアタリ2600というテレビゲーム機を発売し、これが爆発的なヒットとなり「アタリ神話」なる言葉を生み出していた。アタリ社はこれに先駆ける72年秋、「ポン」という名前の世界初の業務用テレビゲームを売り出したが、真っ黒な画面に白い線のラケットで四角いテニスボールを打つという単純なものにも関わらず、ヒットを飛ばし(わが国では「テレビテニス」)、これがテレビゲーム時代の幕開けとなった。

アタリ社が快進撃を続けている頃、わが国でも数種のテレビゲーム機が発売されていたが、ゲーム機そのものにソフトを組み込んで、1台で数種の単純なゲームしか出来ない、高価なおもちゃに過ぎず、アメリカに大きな遅れを取っていた。しかしながらアタリ2600発売から4年後、アタリ社は「アタリショック」と呼ばれる言葉を残していきなり倒産してしまう。最大の原因は、ソフトメーカーによるゲームソフトの粗製濫造であり、これを容認したアタリ社は、ユーザーの支持を失ってしまったのである。そして、これを機にアメリカのテレビゲーム業界は、大不況に陥ってしまった。

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フューチャー・ショック  future shock

本誌1981年版収録。以下、

アメリカの未来ジャーナリスト、アルビン・トフラーが作り出した新語。新しい未来が次々と急激に押L寄せてくる時、人々は十分にそれを受けとめる余裕も準備もないのでショックを受ける。それがフューチャー・ショックである。トフラーは、カルチュア・ショック(culture shock)という文化人類学者の用語からヒントを得てこの新語を作り出したが、カルチュア・ショックとは「1人の人間が別の文化に接するときに受けるショック」のことである。フューチャー(未来)の変化に対して心の準備をしておけばショックは少ない。この未来への対応性を体内に作っておくことが変化の激しいこれからの人間には絶対必要なことになる。

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キャリチャラ・ショック

本誌1994年版収録。以下、

仕事一途の女性がキャリアをチャラにして結婚し、周囲に衝撃を与えること。小和田雅子さんのケースもこれか。

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地球滅亡

本誌1975年版「ノストラダムスの大予言」。「1999年第7の月…」世界は滅亡しかねなかった…が。以下、
『ノストラダムスの大予言』

Nostradamus。日本では『ノストラダムスの大予言』という本が百数十万部を売る大ベストセラーになって一躍有名になったが、欧米では昔から予言者としては知られた名で、百科事典にもちゃんと載っている。

1503年に生まれ1566年に死んだフランスの星占い師で医者だった。アヴィニヨンとモンペリエの両大学で哲学と医学を学んだ当時一流の知識人である。その予言的能力が有名になってメディチ家やフランス王アンリ2世などに重用された。

彼の著書 The Centuries(1555年刊)---「諸世紀」と訳しておこう---は彼の死後その予言があまりに多く適中するので注目を浴びた。特に第2次大戦中にその予言の適中が多かったのでブームを起こしたとアメリカの百科事典は記している。

確かに欧米の予言や占いの本を読むとしばしば出てくる名前である。日本では殆ど知られていなかった。ところが1冊の本でたちまち日本中が知る名前になった。日本における情報の瞬時伝達力には驚嘆するばかりである。彼の予言内容はすでにマスコミの多くで紹介されたが一番有名なのは「1999年7の月人類は滅亡する」というくだりである。果たしてそうなるか。

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