月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
新交通戦争勃発! 陸海空に逃げ場なし!!
執筆者 土屋彰久

新交通戦争勃発! 陸海空に逃げ場なし!!

竹ノ塚踏切事故

非自動車関連交通事故ラッシュとも呼べそうな2005年ニッポン。その口火を切ったとも言えるのが、3月15日に起きた、竹ノ塚踏切事故でした。現場は、東武伊勢崎線竹ノ塚駅横の踏切です。東京の地理に詳しくない人のために説明しますと、竹ノ塚は東京23区の右上の端のあたりになります。ですから、「伊勢崎」とか、竹林ではなく、普通に東京の下町をイメージしてもらえばいいと思います。東京は、戦前はもちろん、戦後も無計画、無秩序、無分別、無節操、無理矢理、無駄、無謀、無慈悲、無……な開発が進められたため、非常に踏切が多く、さらに交差する鉄道、道路の両方共に交通量が多いため、朝夕のラッシュ時には「開かずの踏切」となるような踏切が、そこら中にあります。この竹ノ塚の踏切も、そんな踏切の一つでした。踏切の開閉については、杓子定規に安全を最優先させる規制のために、列車の通過前は当然ですが、通過後も一定時間を経過しないと開かないようになっています。しかし、この通りに、すなわち機械の自動開閉に任せていては、ひどい踏切になると、朝30分のうちに3分どころか30秒しか開いていない、なんてことになりかねません。そこで、少しでも早く、長く踏切を渡れるようにと、竹ノ塚の踏切では、有人踏切として手動で開閉操作を行うことにより、ラッシュ時に出来る限り通行時間が取れるようにしていました。しかし、人間の作業からミスの可能性を排除するのは不可能な話でして、誤って列車の通過前に踏切を開いてしまったために、進入した通行人が通過した列車にはねられて死亡するという、この事故が起きてしまいました。問題は、どこにあったのかと言えば、輸送量の増加に合わせて、立体交差化による踏切の解消を行わなかったことにあると言えましょう。踏切の有人化の方が、道路、または鉄道の高架化や地下化よりはるかに安上がりですからね。

ページの先頭へ 戻る

開かずの踏切

何本もの列車の通過を待つ通行人にとっては、眼前の踏切の全てが「開かずの踏切」に見えてしまいますが、国土交通省は、一応、「開かずの踏切」にも認定基準を設けています。具体的には、ピーク時(主として、朝7〜9時の通勤ラッシュ時)に、一時間のうち40分以上しまっている踏切ということになっています。開かずの踏切は、人口の集中する首都圏、近畿圏を中心に、全国に600ほどあるそうです。また、これに1日あたりの踏切交通遮断量が5万台時/日を越える踏切を加えて、合わせて「ボトルネック踏切」としています。ちなみに、筆者の個人的感覚としては、両方向からの列車が通過する「往復びんた」を連発で喰らうとムッとするくらいでしょうか。筆者の自宅近くにも、開かずの踏切の多さでは最悪と言われる西武線が通っており、まず間違いなく600分の2から3であろうという踏切が思い浮かびますが、幸い、そのような時間帯に通ることがないために、まだ玉子やトマトを投げつけたいほどの殺意に駆られたことはありません。でも、昼間でもジャブ・ジャブ・ストレートぐらいは当たり前ですね。

ページの先頭へ 戻る

踏切交通遮断量

一時間で40分以上という「開かず」度が、主として周辺住民の利便性や気分的なイライラ加減に重点を置いた基準であるのに対して、踏切交通遮断量というのは、自動車の交通を阻害することによって発生する経済的損失に着目したもので、ストレートに経済性を巡る議論の根拠となるものです。数値は、一日当たりの自動車(二輪を除く)の交通量(台/日)×一日当たりの踏切遮断時間(時)として計算されるので、単位は「台時/日」という特殊なものとなります。たとえば、ボトルネック踏切として認定される基準値の5万台時/日の場合、5万台/日×1時間という場合もあれば、5000台/日×10時間という場合も考えられます。そして、名前とはかなり違って、この数値は実際に遮断されていると思われる台数を表すものとはなっておりませんが、客観的な数値として利用する分には問題ないので、このような計算式となっています。もっと実感のある数値にするのなら、列車の運行時間帯に限定して、一時間当たりの交通量(台/時)×一日当たりの遮断時間(時/日)とした方が、よさそうな気がします。

ページの先頭へ 戻る

ボトルネック  bottle neck

あれがネックになる、それがネックだったと、日本語でもしっかり「ネック」という言葉の慣用的用法が定着していますが、その元々の語源は、ボトルネック、すなわち瓶の首です。コーラの瓶イッキとか、してみるとわかりますよね、強烈な炭酸で喉がヒリついて……じゃなくて、瓶の首のところが細くなっているために、コップイッキのようにすぐには飲み干せませんよね。このように、一部の通行がスムーズでないために、全体の流れを阻害してしまうものをボトルネックと呼ぶのですが、日本ではその意味から転じて、人間の急所でもある首の部分、すなわちネックだけが残って(普通は、ネックだけがはねられますが)、本来の「足かせ」的な意味に、急所、弱点といった意味合いも加わって、ネック、ネックと言われるようになったわけです。ですから、英語でneckと言っても、そのような意味からはズレているのでご注意を。対策としては、日頃から正確な用法で、「ボトルネック」の方を使うことをお勧めします。あるいは、コーラ瓶よりもっと絞りが厳しい、ニッポン・オリジナルのラムネ瓶と組み合わせて、ラムネックなんて言葉でも新しく作りましょうか。あ、だめだ。ラムネも、レモネードの日本訛でしたね。うーん、瓶の形より名前がネックになってしまった……。

ページの先頭へ 戻る

福知山線事故

竹ノ塚踏切事故では、その深層に潜む短期利益の追求という構造的要因には、あまり関心は集まりませんでした。しかし、遠心力で列車がひっくり返るほどの猛スピードで急カーブに突っ込み、死者だけで107人、負傷者に至っては500人以上という、大量の犠牲者を生んだ福知山線の脱線事故が発生するに至り、世間の目も、ようやく金儲け至上主義の危険性に向けられるようになりました。特に、事故発生直後から、強引に「置き石」説を示唆してみたり、運転手の個人的ミスとして片付けようと、様々な情報操作やリークを繰り返したJR西日本経営陣の、この上なく安全に対して後ろ向きな姿勢は、その金儲け至上主義の異常さをかえって際立たせる結果となりました。

ページの先頭へ 戻る

日勤教育

福知山線事故で、これほどの異常な心理状況に運転士を追い込んだ要因は何だったのでしょう。安全性や合理性を無視した超過密ダイヤと並んで指摘されたのが「日勤教育」と言われる、JR西日本の懲罰的な再教育プログラムでした。この日勤教育は、業務において一定以上のミスを犯した乗務員に対して、そのミスの程度に応じて課される再教育ですが、その内容は、およそ安全確保や運転技術とは無関係な、懲罰的便所掃除や膨大な量の反省文の強要など、執拗な「いじめ」が中心であったことが報じられています。日勤教育を巡っては、その過酷な責め苦に耐えかねての自殺者も発生しており、この事件は現在も裁判において争われています。この事件の第一の被害者は、過去にこのような日勤教育でいじめ抜かれた運転士であったということが理解できない限り、同種の事件はまた、形を変えて繰り返されることでしょう。逆に、日勤教育が生んだ自殺者がその死をもって外の世界に伝えようとした現場の悲鳴に、人々が真剣に耳を傾けていれば、今回の事故は防げたのではないでしょうか。

ページの先頭へ 戻る

JRのいじめ文化

福知山線事故で指摘されたような「いじめ大好き体質」というのは、実はJR各社について言えることで、何もJR西日本に限った話ではありません。なぜかというと、国鉄民営化に際して、当時の最大の労組であった国労を標的として、政府の全面的支援の下に、経営陣による徹底した国労いじめが行われ、それがJRのいじめ文化の原点となったためです。憲法、法律が禁止いているはずの不当労働行為を国が率先して行うわけですから、国労側にしてみれば、法も何も頼れるものはありません。対して、経営側は何をしてもお咎めなしなわけですから、国労の組合員だけで、草むしり&便所掃除隊を組織したり、あるいは来る日も来る日もオレンジカード売りをさせてみたりと、業務命令の名の下に、いじめのオン・パレードとなりました。こうして、立場の強い経営側は、どんな無理難題でも現場に有無を言わさず押し付け、逆らう者は徹底していじめ抜くという、JR各社に共通のいじめ文化ができあがったわけです。

ページの先頭へ 戻る

JR西日本の特殊事情

JR各社に共通するいじめ体質は基本的に同じでありながら、JR西日本のいじめが際立って異常で過酷なものとなったのには、それなりの理由があります。それは、簡単に言うと「分割民営化」の分割の方が元凶でした。旧国鉄の分割民営化によってJRは地域ごとに分割されましたが、こうしてできた各社には、実は経営環境にかなりの格差がありました。たとえば、ドル箱路線の東海道新幹線を抱え、最も経営環境の良好なJR東海、あるいは首都圏を押さえ、東北の赤字路線は、軒並み、三セクにして地元に押し付けたJR東日本は、無理しなくても利益を挙げられる環境にあったのに対して、JR西日本の場合、近畿圏は一大商圏だとは言っても、私鉄との競争が厳しく、「我田引鉄」の名残の赤字線も切り捨てが進まず、客が少ない割に、手抜き工事や海砂のせいでボロボロと崩壊を始めている山陽新幹線を抱えるなど、経営環境が厳しく、民営化後もなかなか利益が出せない状態にありました。このような状況の下、経営陣にできるのは、とにかく労働現場に全ての負担を押し付ける強引なコストカットだけでした。ちなみに、分割民営化後、JR東海は約2万の従業員を保ち、JR東日本は約8万を7万に削減しましたが、JR西日本は、なんと約5万を約3万2000にまで減らしていました。分割直後の人数は、旧国鉄時代に人員の配置基準を基に割り振った人数を引き継いでいますから、安全運行のために自動的に決まった数字と見ることができます。一方、人員削減後の人数は、私企業としての経営の論理で決まった数字です。従業員を減らしていないJR東海でさえ、ホームの監視人員を減らして、新幹線初の死亡事故を招いているように、こうして減らされた人数は、まさに安全を犠牲にしてひねり出した数字と言えましょう。こうした無理な人員削減が可能となったのは、人員削減に抵抗してきた労組を、分割民営化の過程で徹底して無力化することに成功したためでした。そのために、社内においては、カネ(=コストカットの負担)は、取れるところ(=抵抗できないところ)から取れという論理に歯止めがかからず、それが日勤教育のようなさらに過酷で不合理な労務管理につながることになりました。

ページの先頭へ 戻る

我田引鉄

我田引鉄というのは、故事成語の我田引水に引っかけて作られた造語で、政治家(ほぼ全てが保守与党の政治家)が、その政治力を使って、自分の地元に鉄道を引かせたり、駅を作らせたりすることを言います。最も有名な例は、当時の自民党の大物政治家であった大野伴睦が、東海道新幹線をひん曲げて自分の地元に作った岐阜羽島駅で、その「偉大なる功績」を称えて、同駅前には、大野伴睦の銅像が建っています。我田引鉄には、<1>土木工事の需要で関係業者が潤う、<2>地価が上がり、商工業など産業の発展も見込めるので、先行投資しておくとボロ儲け、<3>地元の一般住民に功績をアピールしやすい、といった主だった利点があり、日本では天地開闢、じゃなくて、鉄道の開業以来、ず〜〜〜っと続いています。

ページの先頭へ 戻る

開神丸事故

医療業界では、医療過誤を繰り返す医師を陰で「リピーター」と呼んでいますが、なんと、海難事故の世界にもいたんですね、リピーター。海難事故なんて、そうそう滅多にあるものじゃないんですが、今回、銚子沖の衝突事故を起こした開神丸、実は2年前にも御前崎沖で衝突事故を起こしていたことが明らかとなりました。前回も今回も、事故の第一の要因は濃霧による視界不良でした。しかし、過去に事故歴のある船が、同じようなことを進んで繰り返すものですかね。ただ、当事者の責任を追及するだけではなく、過去にも事故を経験している同じような悪条件の中でも、それでも航行を続けなければならなかった理由や、濃霧の中でどちらの船も、衝突が避けられないような態勢で航行を続けていた根本的な要因についても目を向けなければ、開神丸は自船が沈没するまでは、この先何度、衝突事故を繰り返してもおかしくありません。ちなみに相手船は、前回も今回も沈没しているので、開神丸のようなリピーターにはなれません。

ページの先頭へ 戻る

海難審判  marine accident inquiry

海難事故が起こると、陸上の交通事故の裁判に相当する海難審判が、海難審判庁で行われます。これは、特別裁判所を認めない日本の司法制度において、例外的な制度ではありますが、行政機関による前審として認められています。ですから、地方海難審判庁の裁決に不満がある場合には、その上の高等海難審判庁となりますが、高等海難審判庁の裁決に不満がある場合、通常の高等裁判所に上訴することが可能となっています。

ページの先頭へ 戻る

便宜置籍船  flag-of-convenience ship

本人の自覚は、「島国」として自覚の方が強いようですが、日本はバリバリの海洋国家でして、港には様々な国々の船がやってきます。そのようなわけで、外国船が海難事故の当事者となることも珍しくありません。銚子沖の衝突事故も、一方はマルタ船籍の外国船でした。しかしこの世界、実質的には日本の船でありながら、形式的には外国船籍というのがけっこうありまして、便宜置籍船と呼ばれています。便宜置籍船の船籍国のはしりはアフリカの小国リベリアでして、これは税金の安さという非常にわかりやすい理由からでした。しかし、今日、日本に来る便宜置籍船の船籍国のナンバー1は、パナマとなっています。これは、パナマ運河の通航料が安くなるのが主たる理由です。基本的には、この二カ国で大部分を占めていますが、最近は、もっとせこい理由でもこまめに便宜置籍船とするケースが増えており、船籍国も多様化しています。たとえば、船員の人数や資格などの規制がゆるい国や、マグロなどの国際的漁業規制に参加していない国などに籍を置き、そのメリットを生かして儲けるといったやり方です。前者は、海難事故の増加に直結する、そして後者は、海洋資源の枯渇を加速する脱法行為ですが、この規制緩和の風の中、金儲けに横槍は入りません。

ページの先頭へ 戻る

パイロット  pilot

パイロットというと、今では飛行機の操縦士のことを第一に意味するようになっていますが、元々は水先案内人のことを言います。水先案内人というのは、地形や混雑具合などの要因から、航行が困難な水域において、船長を補佐する職業です。日本では公式には国家資格として「水先人」とされており、資格を取るのはなかなか大変ですが、最近では女性の水先人も出てきているそうです。水先人による水先案内が提供される水域を水先区と言いますが、日本には全部で39の水先区があり、その中でも10の水域は、一定以上の大きさの船舶に水先人の搭乗が義務づけられる、強制水先区となっています。人間の仕事にはミスがつきものなので、水先人が乗っていても、事故を起こすことはあります。そして、規制緩和によるコストカットの圧力は、この水先案内の現場にも及んでおり、強制水先の規制が緩和されたり、料金が引き下げられたりしています。

ページの先頭へ 戻る

羽田空港の停電

映画の『ダイ・ハード2』を見た人は、憶えているかと思います。テロリストに乗っ取られた管制塔からニセのデータが送られ、吹雪の夜という悪条件の中、乗客満載のジャンボは着陸に失敗して見事にドドーンと炎上しました。敵役の凶悪さを際立たせるための演出とは言え、随分と気楽に大量殺人をやってくれますよね。『13日の金曜日』シリーズで、ジェイソンが生涯?かけて殺した人数の何倍になるんでしょう。映画の中とは言え、気楽に大量殺人を楽しめるアメリカ人の根性に私は寒い物を感じます。まあ、毎回、3人は殺さないと事件が解決に向かわない「火サス&土ワイ」の国の住人ですがね、私も。話はいつの間にか、映像エンタテイメントの中の殺人に飛んでしまっていましたが、本題は管制塔の重要さです。今回の羽田空港の事故では、たまたま昼間で天気がよく、機長の判断によるマニュアル着陸が可能であったために、停電時に着陸態勢に入っていた数機は、無事に着陸できましたが、これは不幸中の幸いで、最悪の飛行条件と最悪のタイミングが重なっていたら、『ダイ・ハード2』も十分にありえました。本来は、そんなことが起こらないよう、管制塔の電源は、電力会社から供給される通常電源の他に非常用の自家発電の電源があり、さらに間にバッテリーを置くことで、電源供給の一時的なストップにも対応できる設計になっています。それなのに、どーして停電?と思いますよね。結論を言うと、通常電源供給には問題なかったのですが、配電盤に不具合が発生し、バッテリーの手前で電源供給が切れ、警報が鳴っていたにもかかわらず、それを無視して対策をとらなかったのだそうです。警報が無視された理由は、「工事中の警報は無視する」という長年の慣習が羽田空港にはあり、その日もどこかが工事中で、管制塔の皆さん全員、その慣習に従っていたためなんだそうです。いくらシステムがフェイル・セーフにできていても、それを運用する人間がフェイルを連発しては、システムの耐性にも限界があるってことですね。警報はもちろんですが、もっと人の声に耳を貸しましょうよ。

ページの先頭へ 戻る

フェイル・セーフ  fail safe

フェイル・セーフというのは、故障や破損など、一部の不具合(フェイル)が、全体の破綻につながらない(セーフ)ような構造、設計のことを言います。フェイル・セーフの発想自体は、我々が意識もしないくらいに、日常生活の中に定着しています。たとえば大学受験では、第一志望以外に「すべり止め」も含めて、複数の大学を受験するのが当たり前ですし、同じ地域で競合するスーパーやホームセンターの定休日が、お互いに違う日に設定されていることも、消費者にとってはフェイル・セーフなお買い物システムを構成してくれています。あと、パソコンの普及に伴って普及してきている家庭向けUPS電源(停電時に、ある程度の時間、電力を供給し続けられる電源装置)なんかも、お手軽なフェイル・セーフの典型です。また、安全に直接に関わる領域では、意識的にフェイル・セーフの設計がなされています。たとえば、車のブレーキは、油圧式であるため、ブレーキホースの一カ所にでも穴が開けば液漏れを起こしてダメになってしまいますが、四つの車輪を一系統にまとめはせずに、二つの車輪ずつ、二系統に分けることで、どちらか一つがやられても、もう一つは残ってブレーキがかけられるように設計されています。フェイル・セーフ化が最も徹底されているのは、お察しの通り、飛行機関連です。車と違って、エンジン止まったからと言って、押せばいいってもんではないですからね。たとえば、ジャンボ・ジェットはエンジンが四つもついていますが、なんと三つがダメになっても、残りの一個で何とか飛べるようにできています。あと、食中毒の場合に備えて、機長と副機長は同じ食事は摂らないなんていうのも、結構、有名な話ですよね。ついでですが、イギリス王室には、飛行機が落っこっちゃってもいいように、王位継承権のある兄弟は同じ飛行機には乗らない、なんて慣行もあるそうです。

ページの先頭へ 戻る

フェイル・アウト  fail out

「フェイル・アウト」というのは、一部で使われている和製語で、英語としては正しくありません。まあ、気持ちはわかりますよね、要するにフェイル・セーフの反対で、一部の不具合が全体の破綻に直結するような構造のことを言っています。では、本家の英語では正しくはなんと言うのかと言いますと、これが特にないんです。商売柄、ネイティブの英語の先生と話す機会も多いので、色々と聞いてみましたが、それそのものに相当する成語はないそうです。そんな中で、私の発案したフェイル・バング(fail-bang)は、ネイティブの先生方にも、「おお、それはそれっぽくてイイ」と、なかなか評判がよかったので、皆さん、気に入ったら使ってみて下さい。そういう意味の言葉は、必要とはされているはずなので、日本で使用が定着したら、英語圏の国々が逆輸入してくれるかもしれません。

ページの先頭へ 戻る

航空業界のコスト・カット

日本政府が、規制緩和の美名の下に空の護送船団を解いて以降、航空会社は国内外の激しい競争に晒され、過酷なコスト・カットを強いられてきました。しかし経営陣はご多分に漏れず、経営陣やパイロットなど、社内の高所得者層の収入の維持を最優先し、下の方にだけ負担を押し付ける私益優先の不合理なコスト・カットを強引に進めたために、整備部門という最下層に、そのしわ寄せが行くことになりました。運転手や乗務員は、バスや列車より飛行機の方が地位も収入も上ですが、整備はそうとも言えないんですよね。もちろん、相手が相手なだけに、それなりの水準にはありますが、環境がひどいんです。何がひどいって空気です。ジェット燃料はガソリンより重く、しかも排ガスの浄化装置もなにもないもんで、飛行場の空気ってほんと最悪なんです。あの環境の悪さを考えると、普通の自動車整備工の倍もらっても、仕事する気にはなれません。つまり、空の安全を根底において支えている整備部門が、実際には劣悪な労働環境の下に置かれているということなんです。しかも、それでもなお日本で整備をすると高くつくということで、外国に行った時に、現地の整備工場で整備を済ませるという、国境を越えた整備の外注化まで、積極的に進めているんですね。しかし、値段が安ければ、それだけ品質面のリスクも増大します。整備不良が原因と見られる最近の不祥事は、そのリスクが当然の如く現実化したものと言えましょう。安全は金で買う物なんです。必要な金を削れば、その分だけ危険を買うことになります。経営陣やパイロットだって、1000万もやれば十分ですよ。それ以上の上積みで安全が買い増せるとは思えません。整備部門を始め、金はもっと他の所に有効に使って、効率的に安全を買いましょう。そうでなければ、我々は航空会社に金を払って、割り増しになった死の危険を買わされるということになります。パイロットがしくじれば、飛行機は落ちますが、整備士がしくじったって、飛行機は落ちます。どっちがしくじっても飛行機が落ちるのに、パイロットの給料は2000万、整備士は200万て、それが本当に安全を買うための適正価格だと思いますか、みなさん。

ページの先頭へ 戻る

外部不経済  external diseconomics

外部不経済というのは、経済主体がその経済活動で発生する費用負担を外部に転嫁することです。なんか、そういう言い方だと、よくわからないですよね。典型が公害なんですが、たとえば水をよく使う工場が川の水を汲み上げて、それを製品の洗浄などに使って汚れた状態にして川に排出すると、工場はそれによって利益を得ます(これは「内部経済」と言う)が、川の汚染によって回りのみんなが損をします。要するに、企業が儲けのために、回りに派生的損害を押し付けるのが、外部不経済ってやつです。詐欺商法なんかとは違い、儲けることと損害を与えることが一体になっているわけではないので、企業はその気になれば、たとえば排出空気、水の浄化装置を設置するなど、外部不経済を防ぐことはできます。しかし、その金がもったいないので、知らんぷりを決め込むと。最近話題のアスベスト被害なんかも、典型ですね。工場の近隣地域への被害の拡大は、工場側が有効な飛散防止措置を採らなかったことを実証しています。それでも、製造業なんかは目に見えるから、まだましな方です。交通関係でそれをやるとどうなるか?そう、安全性の低下に直結します。誰だって、事故を起こしたくて仕事をしているわけではありませんから、安全対策を怠ったからと言って、即、事故が発生するわけではありません。しかし、コスト・カットは短期的には利益に直結します。これは簡単に言うと、事故の発生確率における100万分の1と1万分の1の差は体感できるものではないし、1万分の1程度でも、そうそう事故は発生しないので、100万分の1にするほどの厳重な対策は採らず、1万分の1程度にして、対策費を安く済まそうということです。たとえばJR西日本の福知山線事故を例に取れば、新型ATSを設置するよりも、ボーナス・カットや日勤教育のプレッシャーで運転士を締め上げた方が安上がりだったので、そうしたということです。しかし、そうした選択を重ねれば、当然、事故の発生確率は上がっていきますから、そのうち、実際に事故が起こるわけです。数々の悲劇の構造を検証し、その元凶へと遡っていくと、結局の所、日本経済の宿痾たるこの外部不経済の文化に行き着きます。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS