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事故災害とその周辺のことばを振り返る用語集

船舶関連の事故とその周辺のことば

原子力潜水艦当て逃げ事故

1982年版本誌掲載。以下、

1981(昭和56)年4月9日アメリカのポラリス原子力潜水艦ジョージ・ワシントン号が鹿児島県沖の東シナ海で日本の貨物船日昇丸に衝突した。日昇丸は沈没したが、ジョージワシントン号は弾道ミサイル搭載潜水艦であることを秘匿するため、現場を立ち去った。ジョージワシントン号は日昇丸乗組員の救助をせず、「あて逃げ」した結果、日昇丸側は船長など2人の死者を出した。アメリカ側は過失を認め、8月31日には日本政府に最終的な事故報告書を提出したが、事故直後の状況などについて、乗組員との証言には相違があった。一応、アメリカ側が頭を下げた形で政府決着が急がれたわけである。その背景には、アメリカ側が、5月のライシャワー元駐日大使による核積載米艦艇の日本寄港証言などで微妙になっている日米安全保障問題、核問題への日本の国民感情を配慮して、事件の解決を急いだ事情がある。しかし事件の全面解決は軍事機密の壁に阻まれて、実現していない状況である。

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ソ連原潜炎上沈没事故

1987年版本誌掲載。以下、

1986年10月3日、バミューダ島沖東1000kmの大西洋でソ連のヤンキー級原子力潜水艦が火災事故を起こした。同原潜にはSSN6核ミサイル16基が積まれ、爆発、放射能汚染が心配されたが、6日、船体にできた亀裂から浸水し、沈没した。この事件に対するソ連側の対応は素早く、4日朝にはモスクワの米大使館を通じて、ゴルバチョフ書記長のメッセージがレーガン大統領に届けられた。折から、10月11日からのレイキャビク(アイスランド)での米ソ連首脳会談をひかえていたためと観測された。沈没地点は水深5500mとされているが、封印された原子炉などがどうなるか汚染が心配されている。

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潜水艦「なだしお」衝突事故

1989年版本誌掲載。以下、

“海の銀座”東京湾口・横須賀沖で7月23日午後3時39分、南下する遊漁船「第一富士丸」(154トン、船長近藤万治=30)とこの航路を横断して横須賀港に向かう浮上航行中の海上自衛隊潜水艦「なだしお」(2200トン、乗員75人 艦長山下啓介=39)が、接近しすぎ、双方が同じ方向に接触回避動作をとったため衝突、遊漁船は船首を潜水艦の丸い胴体に乗り上げ、左舷に傾きながら船尾から瞬く間に沈没、乗客乗員48人のうち30人が死亡した。乗客は伊藤忠商事関係の人たちで伊豆7島を巡り、釣りや海水浴を楽しむ予定だった。衝突の最大原因は潜水艦の回避行動の遅れとの見方が濃厚になってきた。その上潜水艦側の事故後の対応の不手際が指摘された。中でも大きな問題になったのは救助活動の消極性。救助された乗員が「助けて、と言っても、潜水艦の人たちはこっちを見たままなにもしなかった。」と証言、これは後に虚言ということになったが国民の生命・財産を守る使命を負った自衛官が最低の任務を怠ったばかりか、海の男として何がなんでも救助に当たるのが常識、と厳しい批判が集中。海自側は潜水艦の構造が救助に適してなく、救助用装備も不足などと釈明しているが、遭難救助の信号弾を打って他船に救助を求める手段も取っていなかった。また事故の通報にしても横須賀の海上保安部まで21分も要求する始末。海幕長は「規則に則り、なし得る最善の措置をとったと思う。」と高姿勢をとり続け、一般常識とかけ離れた海自の独善の論理で終始、自衛隊の有事即応体制の欠陥を図らずも浮き彫りにした。瓦防衛庁長官は8月24日、政治的、道義的責任をとり辞任した。自衛隊史上、戦闘機が全日空旅客機と接触し、多くの民間人を巻き込んだ、雫石事故(死亡162人)につぐ大惨事である。

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ゆうしお型潜水艦

昭和50年代〜60年代にかけて、合計10隻ほど建造された通常動力潜水艦。外形は近年の主流である葉巻型ではなく、涙滴型といわれる形をしている。現在は、装備力更新等の事情もあって、練習用艦艇への転用されたり、廃艦されたりしている。衝突事故を起こした「なだしお」はこの「ゆうしお型」潜水艦の5番艦にあたる。

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ナホトカ号沈没事故

1998年版本誌掲載。以下、

ロシア船籍タンカー・ナホトカ号(1万3156トン)が日本海を航行中、1997年1月2日、島根県隠岐島沖で沈没、積んでいた重油約3700トンが流出し、海を汚染、日本海側の沿岸漁業に多大の被害を与えた。ナホトカ号は、カムチャツカ州の1週間分の発電燃料に相当する1万9000トンの重油を上海で積んで、同州に運んでいた。船齢が25年を超えるタンカーは二重船体にすることが義務づけられているが、ナホトカ号は建造26年の老朽船でありながら、二重船体に切り替えていなかった。ボランティアが沿岸に流れついた油の除去を行い、環境保護の問題に大きな反響を投げかけた。

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小樽市

札幌市から約35km離れた、北海道の西海岸ほぼ中央に位置する市で、人口は約14万5000人。小樽運河、北一硝子、寿司店、石原裕次郎記念館など、観光地としても有名。小樽市は、1997年に重油流出事故を起こしたナホトカ号(ロシア船籍)の艦名の由来地であるナホトカ市と姉妹都市提携を結んでいる。

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クルスク原子力潜水艦事故  Kursk submarine disaster

2001年版本誌掲載。以下、

2000年8月12日、コラ半島沖35kmの北緯69度40分、東経37度35分のバレンツ海で沈没したロシア原子力潜水艦(オスカーII型、全長154m)。1994年に就役。魚雷部分での内部爆発という説が強い。乗組員は118人で絶望。89年4月にはノルウェー沖でコムソモレッツ(乗組員42人)が、さらにその前にもロシア原潜の沈没事故が起きている。

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クルスク

ロシアの首都モスクワからおよそ400km南方に位置する工業都市。第2次世界大戦中の1943年7月、クルスク周辺においてドイツ・ソ連間で行われた戦闘「クルスクの戦い」はよく知られるところ。「史上最大の戦車戦」としても有名。この戦闘を境にして東部戦線は次第にソ連軍が優勢になっていった。

2000年8月にバレンツ海に沈没した原潜クルスクの艦名は、この地に由来する。

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ロシア北方艦隊

ロシア海軍のの中でも中心的存在。ロシア海軍には北方、バルト、黒海、太平洋の4大艦隊があるが、西側をカバーする北方艦隊と東側をカバーする太平洋艦隊が実質的にロシア海軍を支えている。2000年8月にバレンツ海に沈没した原潜クルスクは、北方艦隊所属。艦隊司令部はセベロモルスク。

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えひめ丸事件

2002年版本誌掲載。以下、

2001年2月9日、愛媛県立宇和島水産高校のマグロ延縄実習船「えひめ丸」がハワイ・オアフ島沖で浮上してきたアメリカ原子力潜水艦「グリーンビル」に衝突されて沈没した事件。遺族から船内に残されている行方不明者を引き揚げて欲しいとの要求が出された。2月14日にアメリカ海軍は「えひめ丸」の引き揚げの可能性を探る調査を開始、3月12日には「引き揚げは技術的に可能である」との調査報告を発表した。

引き揚げのサルベージ船は8月7日から本格的な準備作業を開始した。しかし、作業は難航し、通算4度目のつり上げに失敗したあと、10月12日に大型サルベージ船「ロックウォーター2」が改めて引き揚げを開始、水深約600mの地点から水深約35mのホノルル国際空港沖の浅瀬までえい航した。この事件は一時日米間の感情問題に発展するのではないかと懸念されたが、8カ月ぶりで解決した。

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緊急浮上訓練

2001年2月のえひめ丸事件において、アメリカ原潜「グリーンビル」は衝突時にこの訓練を行っていた。通常の訓練のほか、運用機能テストやデモンストレーションのために行われる場合もある。事件当時は大勢の民間人や軍のオブザーバーが搭乗しており、デモンストレーション目的に行われたと見られる。

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