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事故災害とその周辺のことばを振り返る用語集

航空・宇宙関連の事故とその周辺のことば

雫石事故

1998年版別冊付録『20世紀事典』掲載。以下、

1971(昭和46)年7月30日、岩手県雫石上空で全日空旅客機と訓練中の自衛隊機が衝突、乗客162人が全員死亡した。

原因は、訓練機が定期航空路に侵入、ニア・ミスつまり異常接近を犯したことによる。

自衛隊機が民間機を訓練のための標的にしていたことなどが国会で追及され、増原防衛庁長官が政治責任をとって辞任した。

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日航機羽田沖墜落事故

1982(昭和57)年2月9日、福岡発羽田行きのDC8機が羽田空港着陸直前に海中に墜落。乗客24人が死亡し、乗員を含む150人が負傷した。警視庁の調べで片桐機長の異常な操作による人為的事故と判明し、日本航空の責任は逃れないこととなった。警視庁は片桐機長を鑑定留置し、妄想型精神分裂症の診断が出た。

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逆噴射

1998年版別冊付録『20世紀事典』掲載。以下、

羽田空港で1982年2月9日、日航機が墜落、24人の死者を出した事故は、片桐機長が4基のエンジンのうち第2、第3エンジンで逆噴射をかけ、次いで機首を下げる異常操作を行ったことが明らかになった。

そこから流行語になり、異常な、おかしい、当を得ない、本来あるべき言動とは逆のことをするなどの意味で「逆噴射してる」などと使った。

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チャレンジャー事故

1987年版本誌掲載。以下、

1986年1月28日午前11時38分フロリダ州ケネディー宇宙センターから打ち上げられたスペースシャトル「チャレンジャー」は、発射1分13秒後、大爆発を起こし、海中に墜落、乗員のスコービー船長ら7人が全員死亡した。世界の宇宙開発史上最大の事故となった。乗員の中には初の市民参加の女性宇宙飛行士で高校教師のクリスタ・マコーリフさん(37歳)や、日系のエリソン・オニヅカ飛行士も含まれていた。全米および世界各国に実況中継されている最中だったため多数の視聴者が、大爆発を起こしバラバラの期待が白煙を吹いて四散する悲劇的シーンを目撃した。事故原因は外部燃料タンク(ET)の両側に取り付けられた固体燃料ブースターのうち右側ブースターの外壁継ぎ目に以上がおき、燃料ガスが吹き出て裂け目が広がり、ETとの接合支柱が破壊され、先端部分がETに衝突、ET内の液体燃料が大量に漏れて引火爆発したと見られている。この事故でNASA部内の安全管理に問題ありとされ、シャトルの打ち上げ計画は大幅に遅れることになった。シャトルによるアメリカの各種宇宙計画、日本はじめ各国の科学、商用の宇宙利用計画も軒並み変更のやむなきに至った。

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水爆搭載機水没事故

1990年版本誌掲載。以下、

米週刊誌「ニューズウィーク」が1989年1月に伝えた事をきっかけに、米空母タイコンデロガの攻撃機が水爆を搭載したまま1965年(昭40年)12月に沖縄近海で水没したという事実が米政府によって確認された。この時期はベトナム戦争で米軍が北爆を始めた時期である。日本政府による現場での放射能検査では、特に危険なしとの結論がでたが、沖縄を初めとする各地で原水協、原水禁、核兵器廃絶運動連体、日本平和委員会などが抗議声明を出したり、反対運動を行った。

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中華航空機墜落事故

1995年版本誌掲載。以下、

わが国の航空機事故史上2番目の大惨事となったこの事故は、人間と機械の争いが事故の発端だった。1994年4月26日夜8時15分、中華航空140便エアバスA300−600R型が名古屋空港の着陸に失敗、墜落炎上して乗員乗客271人のうち264人が死亡した。墜落時点ではかなりの乗客が生存していたものの、爆発炎上によって命を落としたらしい。同機は何の支障もなく着陸態勢に入ったのだが、どういう訳か、突然に自動操縦の「ゴー・アランド(着陸復行)」モード、即ち着陸やり直しにセットされた。副操縦士は「着陸」モードに直そうと操縦かん操作で機首を下げようとした。コンピュータは機首を上げようとし、副操縦士は機首を下げようと相反する操作を続けたわけだ。その結果、同機は高度120mまで降下。

そこで、今度は機長が「着陸復行」を開始。機体は急上昇したものの、空気流入量の乱れによって不燃状態(コンプレッサー・ストール)となり、失速して降下。再び、機首を上げたものの電源が切れ(原因特定できず)、後部からほぼ水平に墜落した。どうして着陸復行モードになったか、電源はどうして切れたのか。また、モード・ボタンを押せばモードが変わるのに、なぜこの簡単な操作ができなかったのか。この機種は80年はじめ、欧州連合国によるエアバス社が、コンピュータ画面を見ながら操縦する機種として華々しく登場させたハイテク機。緊急時の最終的判断は人間がする、という米国系の航空機メーカーと違って、エアバス社は、コンピュータが主導権をとる設計思想。同型機は世界で約160機が就航中である。その後、操縦かんに力を加えると手動に切り替わるように設計変更されている。運輸省航空事故調査委員会は「原因は特定できず、人為ミスと機器故障の両面。」との中間報告。結論は95年に出される模様。また、機長と副操縦士の両人からアルコールが検出されたり(生存者の1人が機長の飲酒を目撃したと発表(9/28))、緊張感を欠いた操縦室での言動なども問題視されている。補償問題は日本と台湾の考え方の違いで日本人遺族には厳しい前途が予想される。8月16日までに生存者7人のうち5人が退院している。

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国際航空事故補償  compensation for damages relating to international transportation by air

1995年版本誌掲載。以下、

国際航空に従事する航空会社は、旅客、手荷物、貨物および郵便物の運送について、旅客および荷主に対して責任を負うだけでなく、航空運送行為によって損害を受けた第三者に対しても一般的な責任を負う。

国際航空事故に関する補償については、1929年のワルソー条約以来、数次にわたって取極めを行い補償限度額を引き上げてきたが、55年のハーグ議定書で、航空会社に大きな過失がない場合の限度額を約2000ドルと定めるにとどまっている。

各航空会社の約款によって限度額の引上げを認めているので、アメリカ、ヨーロッパの航空会社は独自に限度額を高くしているが、それでも日本円換算で1500万円以下。

日本は、92年に国際線の限度額を撤廃し、世界の航空会社にも呼びかけているが反応は鈍い。

94年5月の中華航空機墜落事故では、台湾がワルソー条約に加入しておらず、国内法で上限を150万台湾ドル(約600万円)と決めていることから、日本人遺族の交渉は難航している。

※編集部註:「改正ワルソー条約」は重大過失があった場合に賠償制限は適用されないとされており、名古屋地裁判決ではこれに則って、副操縦士の行為を重大過失と認定。中華航空は損害の全額を賠償するよう判決を下した。

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ミールの事故とロシアの宇宙開発

1998年版本誌掲載。以下、

1997年6月、ロシアの宇宙基地ミールで、地球から打ち上げたプログレスがドッキングに失敗し、その後、電力やコンピュータの不具合も重なり、おりしも宇宙ステーション計画の一環でNASAの宇宙飛行士が乗り組んでいたこともあり、大きく報道された。

ロシア側は平静を保っているが一歩誤ると、乗組員の緊急脱出、ミール自身の放棄にもつながりかねないし、また、かなり老朽化していることに対する懸念が強く指摘された。さらに、宇宙ステーション・アルファにおけるNASAとロシアの共同開発そのものに対しても不安が浮き彫りになった。

わが国宇宙開発事業団が、JEMの打ち上げ前に、ミールで行うJM‐R計画への影響が心配される。

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米中軍用機衝突事故  US-Chinese warplanes collision incident

2002年版本誌掲載。以下、

2001年4月1日、南シナ海上で偵察飛行していたアメリカ軍機EP3とそれを牽制していた中国軍機が衝突事故を起こした。中国側パイロット1名が死亡したほか、中国領海南島に緊急着陸したアメリカ軍機の乗員24名が中国当局に拘束されたため、米中間の緊張状態が高まり、事故責任、乗員送還、謝罪表現、機体返還、再発防止措置をめぐって意見が対立した。両国とも接触原因が相手国にあるとの立場を変えていないが、4月12日の乗員解放、7月3日の機体解体後の返還作業完了により実質的な問題は解決した。しかし中国の強い反発にもかかわらず、アメリカは偵察飛行を継続しており、再発防止措置の構築が急務となっている。

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スペースシャトルコロンビア号の事故

2004年版本誌掲載。以下、

スペースシャトル「コロンビア号」は宇宙の微小重力環境を利用した各種の科学実験を行うために、7名の搭乗員を乗せて2003年1月17日に打ち上げられた。しかしながら、打上げの際、外部燃料タンクを覆っていた断熱材の一部が剥がれ落ち、コロンビア号の左翼前端部に当たり、翼の表面を破損したことにより、コロンビア号が地上大気圏に再突入した際の大気との摩擦熱により破壊された。コロンビア号上では、世界各国からの88種類の実験が行われ、日本も高校生によるたんぱく質結晶成長実験などを行ったが、これらの実験成果物もコロンビア号とともに失われた。

コロンビア号の空中分解はケネディ宇宙センターに帰還する16分前のテキサス州上空で起き、コロンビア号の破片はテキサス州、ルイジアナ州にまたがる東西約200kmの範囲に落下した。これらの破片を集めることにより事故原因の究明が行われた。この事故の後、NASAは打ち上げられたスペースシャトルの状態を軌道上で点検し、必要な場合にはスペースシャトルの熱防護システムを宇宙飛行士が修理する体制が整ってから打上げを再開する予定にしている。しかしながら、軌道上での修理の可能性が不透明なことや、老朽化したスペースシャトル(1981年に初飛行し、すでに20年以上も使われている)の後継機の開発予定が不透明なことなど、問題も多い。スペースシャトルの後継機の開発構想はこれまでにもたびたび登場しているが、すべて、研究開発の途中段階で計画が打ち切られている。

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スペースシャトル  space shuttle

2004年版本誌掲載。以下、

アメリカが開発した反復使用可能な有人宇宙連絡船。ジェット機のような翼をもち地球を周回する軌道に乗り、最後に大気圏内に帰ってきてグライダーのように水平飛行して着陸するオービター(orbiter 全長37m)と液体燃料タンクおよび2基の固体ブースターから構成される。オービターには、前部に乗員室、後部に機器搭載室(payload bay)があり、ここで宇宙の実験をしたり、軌道上の宇宙ステーションへの多数の乗員の輸送、資材の補給のほか軌道へ各種人工衛星を運ぶことなどを目的としている。

1981年4月、「コロンビア号」で初の軌道飛行に成功。その後「チャレンジャー号」「ディスカバリー号」「アトランティス号」の4機が順調に飛行してきた。25機目の、86年1月のチャレンジャーの事故で利用計画が大幅に遅れたが、88年9月に再開された。92年に最後のエンデバー号が参加し4機に戻った。オービターは50回以上使用可能で、打上げ経費を大幅に安くすると期待されたが現在のところ実現していない。

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