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秋から冬にかけてますます気になる食のキーパーソンからキーワード
 

河原成美

かわはらしげみ。1952年福岡県城島町生まれ。ラーメンチェーン「一風堂」の創業者で、TVチャンピオン「ラーメン職人選手権」3年連続チャンピオンでもある。夢を追い続ける熱血漢として、日本のラーメン文化振興に力を注ぐ実業家として、多くの人にその印象を残している。

一風堂

1985年10月、福岡市中央区大名に1号店オープン。店名は、新しさを逆手にとって、あえて重厚な名前をつけたという。レストランバーを成功させたノウハウを盛り込み、女性でも入りやすいような、和風の外観、シックな内装などにこだわった。スープは一昼夜かけて煮込んで可能なかぎり濃く取り、また福岡ではめずらしく、豚骨ラーメンにくわえて醤油ラーメンも提供していた。食べ残しがあったときは、客に悪かった点をたずね、どんどん味を改良していったという。その後福岡を拠点に、関東(横浜・東京)、東海(名古屋)、関西(大阪・京都・神戸)、北海道(小樽)へと店舗を拡大。2003年10月現在、全国に23店舗を数える。各店舗の店長にスープの味やオリジナルメニューを任せているのが特徴。

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九州産業大学

河原の出身大学。1960年創立の中村英数学園、やはり同年設置認可の九州商科大学を母体に、1963年九州産業大学と改称。美術や演劇に興味をもっていた河原(1952年福岡県生)は高校卒業後、上京。美術学校への入学を目指すが、1年半で挫折。九州産業大学の商学部に入学し、在学中は劇団活動や飲食関係のアルバイトに精を出した。九州産業大学出身の有名人は、ほかに長渕剛、江頭2:50、松村邦洋、松尾スズキなど。

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執行猶予

有罪の判決をうけても、刑罰の執行を一定期間猶予してその間を問題なく過ごせば刑の効力を失わせる制度。河原は大学卒業後、地元のスーパーチェーンに就職したが、美術や演劇の道をあきらめた挫折感から悪友たちと窃盗に手を染め、身柄を拘留される。この期間に、河原はこれまでの人生をふりかえり、読書に明け暮れ、心にたまっていたものを吐き出すことができたという。裁判の判決は執行猶予3年。

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AFTER THE RAIN

1979年11月オープン。河原が最初に経営したレストランバー。執行猶予の判決を受けた河原が再スタートをかけて開始。博多駅近くの小さな店舗だったが、連日満員の大盛況となり、オープン3年目には、目標だった天神地区(福岡の中心)に移転。もう一つの目標であった「30歳で年収1000万円」も達成した。

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長浜一番

河原がラーメンの修行先として選んだ店舗。博多の名店「しばらく」の流れを汲む。「AFTER THE RAIN」を成功させた河原は、「女の子が気軽に入れるラーメン屋をつくる」という計画を抱いて、1年間、同店舗でラーメンの修行を続けた。河原は合間を見て厨房で独自のラーメン創造を試みていた。修行期間にはラーメン店の食べ歩きも精力的に行い、「一風堂」オープン前の1年間だけで150軒は回ったという。

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力の源カンパニー

本社所在地、福岡市中央区。河原が代表取締役をつとめる株式会社。一風堂のオープンに際して設立。事業内容は、一風堂の運営・管理、テイクアウト商品の販売、他の飲食店舗(福岡市中央区の「虎的厨房」など)の経営、商品開発、飲食商品の開発および販売、食材・食品製造および販売のほか、飲食事業に関するコンサルティングも行っている。

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新横浜ラーメン博物館

通称ラー博。横浜市港北区。新横浜の街の活性化を目指して、当地育ちの館長・岩岡洋志が考案。土地は岩岡の父親が所有していた。1994年3月オープン。一風堂はオープン時のテナントの一つ。河原は最初、ラー博への出店に懐疑的だったが、岩岡をはじめとするスタッフの熱意に感じ入り、決意。オープン後は予想を上回る入場者数のため、過労で倒れるスタッフも出たという。一風堂の東京進出の足がかりともなった。2001年6月に退館。

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「TVチャンピオン」

テレビ東京系の人気番組。料理、似顔絵、住宅リフォームなど、さまざまなテーマで全国から集った出場者が競い、チャンピオンを決めるという内容。河原は1997〜99年(放送は98〜00年)まで連続して「全国ラーメン職人選手権」に出場、3連覇を成し遂げた(その後殿堂入り)。最初に優勝したとき、選んでくれた北海道松前町の住民に深い感謝を覚え、「一生をラーメンにかけよう」と決心したという。

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日清食品

1948年設立。1958年8月、世界初のインスタントラーメンである「チキンラーメン」を発売、同年12月、中交総社から日清食品へ商号変更。1971年には「カップヌードル」を発売。2000年、名店の店主と共同開発したラーメンを、というコンセプトのもとに「日清名店仕込み」を開発。河原はこれに協力、札幌の「純連(すみれ)」と「一風堂」がともに販売され、年間1200万食を売り上げた。2000年の日系流通新聞年間優秀製品賞の最優秀賞も受賞している。同社はほかにも、「行列のできる店のラーメン」シリーズなどを発売。河原は引き続き「名店仕込み」シリーズに協力するかたわら、2003年11月には、系列会社日清ネットコムと共同でラーメン店「麺翁百福亭」をオープンさせる。店名は河原が心酔するインスタントラーメン発明者・安藤百福(日清食品会長)の名から。

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コンサルタント  consultant

店舗や企業経営への助言・指導をおこなう専門家。「力の源カンパニー」では、実際の店舗経営から培ったノウハウをベースに、事業計画からサポートにいたるまでコンサルティングサービスを業務の一環としている。劇団経験のある河原は飲食業の展開を演劇にたとえており、効果的な演出を力説する。味だけではなく、BGMや照明を重視するのも河原流。

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「一風堂の秘密」

河原の著書。サブタイトルは「ラーメン職人河原成美が明かす繁盛店のつくり方」。2001年12月、経済界刊。自らの生い立ち、一風堂の成長、新横浜ラーメン博物館の岩岡館長との対談、繁盛する店のつくり方など、盛りだくさんな内容。ちなみに、繁盛する店の条件は「バックヤードの整理整頓、店舗内外の掃除、挨拶、の3つができていること」というシンプルなもの。

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