月刊基礎知識
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阪神タイガースが強い、名古屋だけ好景気…ということに
―― 大阪と名古屋その他を考えるの用語集
 

基礎概念

阪神地域

本誌1996年版収録

日常的によく使われる地域名であるが、実際には人によってその範囲が大きく違う。広義には大阪市と神戸市を含む大都市圏の範囲を指す。やや狭く考えても、大阪市と神戸市、およびその間にある諸都市を含む範囲とされる。しかし、狭義には、大阪・神戸両都市の間の都市化が進んだ地域(尼崎・西宮・芦屋・宝塚など)を指す。1995(平成7)年1月の兵庫県南部地震に対して、マスコミ主導で「阪神大震災」の名がよく使われ、政府はこれを「阪神・淡路大震災」としたが、知らない人は、大阪市も大被害を受けたように思ってしまう。外国では神戸の大地震というように一般に報道しており、同じ地震・震災でも、地域名のつけ方に大きな違いがある。この地震報道に際して、最初は淡路島北部(端)沖合で起きたとされ、多くの人が阪神や神戸の大被害を直感できなかったこともいわれている。特に大阪市の震度が低く、しかもおくれて報道されたことが、初動体制のおくれの一因となったと考えられている。いずれにせよ、地名・地域名が人に与える影響は大きい。

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関西圏  Kansai Region

本誌1991年版収録

大阪・京都・神戸を中核とした広域圏。東京中心の東京圏と違って、大阪の絶対的地位はそれほど高くないが、全体としては大阪の中心性が強く、それは都市景観や通勤人口流によく現れている。琵琶湖沿岸、奈良盆地、紀ノ川流域、播磨平野はもとより、さらに遠隔地までが関西圏に含まれる。どこまで範囲が及ぶか必ずしも明確でないが、京阪神圏より広く、近畿圏より狭いとみてよいかも知れない。人口約2000万の巨大都市圏でもあり、東京圏に対抗できる高度な機能を集中させている。

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阪神文化圏/阪神間の文化

阪神文化圏/阪神間の文化という地域文化は、大阪と神戸の間(具体的には尼崎市、西宮市、芦屋市、伊丹市、宝塚市、川西市、三田市、猪名川町)をエリアとし、そこに住むお金持ちの力を背景にもつ高度に洗練された文化をさす。ただ、それはよく似たような名をもち、ある程度エリアの重なる「阪急文化」とも、東京のまた西武文化、東急文化という言葉とも2つの意味で大きく異なっている(後3者はある意味で共通している)。

1つには、鉄道会社(あるいはその関係や親戚筋)によって沿線都市にしかけられた文化ではないということ。阪急は古く小林一三によって、東急はそれよりは少し新しく五島慶太によって、西武は80年代以降、堤清二(これのみ鉄道・沿線とは関係が薄い)によって計画された文化だが、阪神文化は、阪神電鉄グループが意図したものではない。単に地域名によるもの。

2つには、他が現在でも有効な文化圏であるのに対し、阪神間文化は、主として谷崎潤一郎が『細雪』で書いていたような第2次大戦より少し前のモダニズム文化期、ブルジョア文化期をさすということ。現代の資産家は、地域全体を文化でリードするような影響力を発揮しないのだ。

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芦屋

兵庫県南東部,六甲山地の麓の傾斜地にある市。人口7万人強。大阪方面の富裕商人の別荘地として発達したが、1920年、阪急電鉄(→阪急文化圏)が通るにいたって高級住宅地に。阪急文化の担い手にして、日本随一の高額所得者居住地域。ことに六麓荘地域が格上とされる。隣接する夙川も、阪急神戸線が通っていて芦屋同様の高級住宅地。

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阪急文化

阪急電鉄は、京都〜大阪〜兵庫の3府県域で営業する私鉄であるが、ターミナル・デパート、高級住宅地、文化・レジャー施設等々をしかけて、日本で最初に戦略的な沿線文化を形成したことで特筆される。またその都会的で洗練されたちょっと高級な沿線文化を阪急文化という。フェミニンでゴージャスな文化の代表・宝塚歌劇団もその一部。小林一三が1910年代から着手し、今日なお有効である。「高級」かといって上流階層しか手がだせないかというと、そうではなくて、(サービスの提供価格の面で)庶民にも開かれたいたことがじつに上手いところで、人々の上昇志向と幸せをのせて、より拡大を続けることができた。東京の東急沿線文化と一脈通じるところがあるが、もちろん東急のほうがエピゴーネンで、阪急の成功をみて拵えたものである。年季の入りかたが違う。

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大阪式三本締め

打〜ちまひょ(パンパン) もひとつせ(パンパン) いおうて(祝うて)三度(パパンパ)。

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またも負けたか8聯隊、それでは勲章9聯隊

郷土連隊主義をとっていた旧日本陸軍の徴兵制度では、各聯隊の兵隊はそれぞれの土地の出身者で占められていた。つまり聯隊が強ければ、その土地の人間が屈強だということになるし、弱い聯隊のある土地は、ひ弱な人間の土地とされがちであった。「またも負けたか8聯隊、それでは勲章9聯隊」という俗謡すらあるくらい、低い評価の固まっていた8聯隊は大阪出身者の部隊、9聯隊は京都出身者の部隊。今日的に日本軍の戦い方をみれば、部隊が弱いとされたからといって嘆くには及ばずで、この2聯隊の粘りのなさは「劣勢の戦いに無理をして命を落とすのは馬鹿げている」という関西人らしい合理的判断によるものだという解釈もなされている。

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今太閤

大坂の大恩人豊臣秀吉は、お百姓の身分から機知と根性で大出世、関白太政大臣になった人。今太閤とよばれた人は、阪急電鉄の創業者・小林一三(→阪急文化)。松下電器産業の創業者・松下幸之助。故・田中角栄元首相。故・永田雅一元大映社長。女今太閤は、吉本興業の始祖・故・吉本せい。

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