月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
色とイメージの用語集
 

黄色

yellow がイメージさせるものには肯定的なものが少ない。臆病・妬み・陰気・裏切り…、アジア人。欧米の絵では太陽・光が黄色く描かれるのに。とはいえフランス語 jaune にはいい意味がある。フランスでいちばん人気の自転車レース「ツール・ド・フランス」で、前日までの総合成績1位の選手だけが着ることのできるジャージ(マイヨ・ジョーヌ maillot jaune)が文字どおり黄色いから。とはいえ、政治・思想的にも黄色は裏切り者の色(黄犬契約)。

黄犬契約

yellow‐dog contract 労働組合へ加入しないこと、または労働組合から脱退することを雇用条件とする労働契約。雇用者の不当労働行為にあたる。

ページの先頭へ 戻る

イエロー・ジャーナリズム

本誌1991年版より。以下、

yellow journalism <1>大見出し主義、<2>センセーショナリズム、<3>感情に訴える(わいせつな表現など)、<4>ニュースを自分で作る(デッチあげ)、などの傾向をもつジャーナリズム。

19世紀末、ジョセフ・ピューリッツァーの『ニューヨーク・ワールド』紙に連載中だった「イエロー・キッド」(続き漫画の主人公である中国人の子どもの名前。黄色のインクで印刷されていた)の書き手をウィリアム・ランドルフ・ハーストの『ニューヨーク・モーニング・ジャーナル』紙が買収して新聞に載せたことに始まる。イエロー・ペーパーともいう。

ページの先頭へ 戻る

黄色文明

本誌1991年版より。以下、

ヌード雑誌、流行歌のテープなどを指す。文革後の活発な対外交流の中で、香港→広東ルートや外国人観光客の持ち込むこの種の雑誌やテープが増え、1980年に税関に没収された分だけでも前年の5倍を数えた。81年以降、「夜来香」(イエライシャン)や「何日君再来」(ホーリーチュンツァイライ)などの歌がエロとされた。雑誌に美人写真やヌード図案を掲載することが批判された。日本の一部の週刊誌も中国に持ち込むことが禁止されている。最近ではポルノ雑誌やビデオの製作・販売まで出現している。90年7月には、最高が死刑というポルノ取締り規則が公布された。

ページの先頭へ 戻る

イエロー感覚

本誌1982年版収録

yellow sensitivity 終戦直後の“進駐軍時代”に生まれ、学園紛争時代に青春を過ごした30歳代前半の日本人は、いま何を考え、どこへ行こうとしているのか?

好むと好まざるとにかかわらず、彼らが日本の中堅世代になってきた今日、この問いかけは重要である。34歳の女性アート・デザイナー、宮迫千鶴が書いた『イエロー感覚』という本が、静かな衝撃を与えている。「雑居的な時代に育って、これまでの日本の流れからも押し出され、日本そのものがエキゾチックなものに見えてしまうの。それが“イエロー感覚”ってわけ。だから、お金を稼ぐのは、最低限度の生活ができるだけでよい。それよりも、自由な時間をどれだけ獲得できるかが大切なの」と、彼女はいう。こんな世代が増えつつあるいま、“経済大国ニッポン”は確実に変質をせまられているといってもよいだろう。

ページの先頭へ 戻る

イエローキャブ

本誌1994年版収録。以下、

yellow cab 黄色い車体のアメリカのタクシーの俗称だが、海外に行ってその地の男性と安易に関係をもつ日本女性、日本国内の繁華街や基地周辺で外国人男性と関係をもつ日本女性の意味で、テレビのワイドショーや雑誌にとり上げられるようになった。エイズをテーマにした家田荘子の大宅壮一ノンフィクション賞受賞作『私を抱いて、そしてキスして』にも出てくる。

ページの先頭へ 戻る

黄害(黄禍)

本誌1969年版収録。以下、

走る列車がもたらす糞(ふん)尿禍。国鉄各線の列車は東海道新幹線を除いて糞尿タンクをもたず、走る勢いにまかせて、まき散らしている。都市公害、安保公害について登場した新しい黄害に、ようやく目が向けられるようになったものの、予算化はまだ先のこと、当分“黄金の国”はつづきそうである。

ページの先頭へ 戻る

黄色いダイヤ

数の子の異称。獲ったあとの数の子は本来茶色だが、1960年代前半に漂白・殺菌技術が開発され鮮やかな黄色となった。黄色いダイヤの異称がついたのはその後のこと。ニシンは北海道で江戸末期から約100年間ほど豊漁がつづいていたが、1950年代半ばからぱったりと獲れなくなり、数の子の価値も上がった。

ページの先頭へ 戻る

黄色いリボン

本誌1992年版収録。以下、

yellow ribbon もともとは、遠くに離れてしまった男性が戻ってくることを願って、女性が木にくくりつけるリボンのこと。湾岸戦争の際は、前線に出た兵士の無事を祈って、兵士の出身家庭が玄関に飾ったことから始まり、アメリカのあらゆるところが、黄色いリボンで埋まった。たとえばニューアーク市は、バレンタイン・デーに「イエローリボン・シティ」を宣言し、1万1000本の木と1万5000人の住民にリボンを用意したという。

ページの先頭へ 戻る

黄色い羽根 1

石川県腎友会が、腎臓移植の啓発・推進のために行っている募金のシンボル。全国的なものではない。

黒い羽根緑の羽根赤い羽根青い羽根

ページの先頭へ 戻る

黄色い羽根 2

1957年の用語。アジア親善基金のための羽根。1957(昭和32)年の2月から3月にかけ、お目見えした。黄色はアジア人の黄色人種を意味するもので、日本が国連に加盟したのを機会に、戦争中、迷惑をかけたアジアの各国民への罪ほろぼしの一端として親善物資を送り、友好関係を深める目的の募金運動である。

黒い羽根緑の羽根赤い羽根青い羽根

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS