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がんばれ知事さん!〈地方自治改革〉の用語集
 

革新自治の時代

革新(自治体)連合

1976年版本誌収録。以下、

広義には、全国の革新都市間の相互協力、狭義には、革新首長のもとにある首都圏下の3都県(東京、埼玉、神奈川)と2大市(横浜、川崎)の連帯をさす。

前者では、たとえば、産炭都市への資金援助としての労働金庫への預託や農業生産都市と消費都市間の生鮮食品その他の直接交流などにみられるように、可能な連帯、提携を市民サイドから発想してゆく点にみられる。後者では、過密の首都圏下での深刻な共通課題である自動車排気ガス規制や多摩川などの水質汚染、さらに、緊急災害時における相互支援体制などに、力を注ぐとともに、直接、首都である東京を革新自治体で包囲し、占拠することによる政治的効果をねらっている。国家権力の重みがことのほか大きいわが国で、市民生活に沿って、自治体が連携し合うという発想は今後重要さをますであろう。

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全国革新市長会

〜1981年版本誌収録。以下、

1964(昭和39)年に結成された革新系市長の連帯組織で、80年9月現在の加盟市長数は114。はじめは数少ない革新市長の親睦団体的な色彩が強かったが、経験交流や政策対応努力を強めるとともに超過負担解消を求める意見書提出や訴訟の支援、都市づくり綱領策定、朝鮮国籍書替問題などに取り組むに至って、国内政治上、無視できない集団になった。各種自治体問題の調査、革新自治体の職員研修および機関誌の発行も主要活動の1つになっている

〜1984年版。以下、

〜加盟市長数はかつて100を優に越えていたが、50年代に入って革新都市の後退がはじまり、58年の統一地方選挙でも革新市は4つ減少したため、現在では100を切っている。

〜1985年版。以下、

〜59年7月現在では80市になっている。

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知事官選

1969年版本誌収録。以下、

近年、地方自治と民主政治に対する反動機運に乗じて、知事官選論(→内務省)を唱えるものが、保守派の政治家と官僚の間に現れてきた。その理由は、公選知事であると、とかく貧弱な地方財政を無視して住民にサービス政策をとること、選挙運動に地方公務員が動員されやすいことなどである。けれども知事官選は、憲法第93条に定める「地方公共団体の長…は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」という条文に違反する。さらに選挙にともなう情実任免については、すでに地方公務員法でこれを取り締まることになっているから地方団体の人事委員会を強化すれば解決できる。住民に奉仕するのが本来知事の任務であり、もしこれによって、地方財政が紊乱するようなら、自治体法に定めた罷免権を住民が発動して、立派な知事を選べばよい。それよりも地方自治が円滑にゆかないのは、中央の自治庁による官僚統制が多いからだと地方団体側は主張し、目下のところ、知事官選は世論の大反対をうけている。そこで知事官選案の趣旨を生かす代案として道州制が唱えられ、道州の長官を任命制にしようという動きや、知事を地方議会の選任する間接選挙制にして、事実上、革新系知事が出現することを防ぐ策動も現れている。知事官選が実現すれば、官尊民卑と中央集権の根強い伝統をもつわが国では、地方自治と民主政治は形骸化するものとみてよかろう。

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武蔵野ショック

1984年版本誌収録。以下、

昭和58年4月の統一地方選を直前にして、東京・武蔵野市で台頭した市職員の高額退職金問題。当時の革新市長に対抗して出馬した保守系候補の土屋正忠が、いわゆる“4000万円”退職金の実体を暴露、その引下げを選挙戦の最大のスローガンとしてたたかい、前市長を僅差で破って当選した。武蔵野市は前々市長時代から5期にわたって革新市井が続いており、市民参加や老人ケアなどの先駆的行政の実績で、全国的にも革新市政の象徴的存在としてその名を知られていたが、“4000万円”退職金の攻勢1本で敗れたといわれる。

武蔵野ショックとは、こうした敗戦が革新陣営に対して与えたショックをいうが、それのみではない。土屋新市長は当選後直ちに退職金引下げの公約実現に着手したが、市職労との対立模様や、武蔵野市のみならず全国の他の自治体の高額退職金の実体がマスコミで大々的に報じられたため、ショックは全国的なものになり、該当する自治体での見直しが迫られることになった。

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東京都の財政問題

1976年版本誌収録。以下、

日本の冨と文化と知識の集中している東京は当然、財政上豊かであると思われやすい。だが税財政のしくみによって都としてつかえる金は流動人口の集中する都の実情に応えられるほど十分ではない。

そのうえ、美濃部都政下(→美濃部亮吉)で、積極的に、福祉施設を先導的に行ったため、今まで、日陰者扱いされてきた人々にはかなり手がさしのべられてきた反面、その経費等が職員増加に伴う人件費の増大をともなって急増した。これまでの高度成長下では収入増によって表面化しなかった都財政の支出増加が不況下のインフレによって、顕在化し、50年度の都知事選挙では、福祉のやりすぎ、高い人件費への攻撃となり、全国に大きな影響を与えるに至った。

やりすぎるほどの福祉をやったとは到底いえない現状で、都が財政上、赤字になりかねないのは、公共料金値上げを抑制してきたという都自身、総合的に経費の洗い直しを大胆に行うことが必要である。と同時に、首都としての大都市財政の需要に応じうる税財政の改善が計られなければならない。

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