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不正事件で注目を集めた企業をめぐる用語集

ロッキード事件とその周辺の用語集

ロッキード事件

1998年版本誌別冊付録『20世紀事典』掲載。以下、

1976(昭和51)年2月6日、アメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会の公聴会で、航空機会社ロッキード社が航空機売込みのため、日本、西独などの有力者に多額の工作資金をばらまいたことが明るみに出た。また、ロッキード社のコーチャン副会長が、日本政府当局者にも児玉誉士夫や国際興業社主・小佐野賢治を通して、200万ドルの対日工作費を支払ったと証言。東京地検、警視庁、東京国税局は強制捜査に踏切り、丸紅、全日空、児玉ルートそれぞれで容疑者が逮捕され、7月27日に前首相田中角栄が外為法違反で逮捕、戦後最大の疑獄事件へと発展していった。

さて、ロッキード社はアメリカの航空宇宙企業。1994年マーティン・マリエッタ社と合併し、現在はロッキード・マーティン(Lockheed Martin)社。企業規模はボーイング社に次いで2位。世界初のステルス機F117−A(ナイト・ホーク)を製造したことでも有名。

丸紅は日本の総合商社。富士銀行とともに芙蓉グループ(旧安田財閥系)の中心的存在であった。1858(安政5)年5月、伊藤忠兵衛による「持下り」開始が創業にあたる。21(大正10)年、伊藤忠から「丸紅」として分かれる。第2次大戦中に伊藤忠と合流し大建産業となるが、戦後の過度経済力集中排除法により49(昭和24)年再び「丸紅」となる

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L−1011トライスター

ロッキード社開発した3発(エンジンを3基装備している意)の旅客機。「トライスター」の名称は3基のエンジンを3つの星になぞらえてのもの。全日空(ANA)の国際線定期便第1号機として使用され、1995(平成7)年まで世界の空を飛び回った。通称「エルテン」。DC10(マクダネル・ダグラス社)やA300(エアバス社)などに押され、機材としての評価とは裏腹に販売はふるわなかった。この販売不振も影響して、84年にロッキードは旅客機市場から撤退。

なお、ANAの国際線就航20周年を記念して1/100スケールのミニチュアが発売される。お値段は税込み9万4500円。

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逆指揮権発動

1977年版本誌掲載。以下、

(請訓事項)検事総長が法務大臣に対して伺いをたてる捜査上の重要事項。検察庁法第14条の「法務大臣は、検察官の事務に関して、検察官を一般に指揮監督することができる。ただし、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」に基づき、国会議員の逮捕許諾を要請するとか国家転覆を図った事件など特定の事件につき、検事総長が法務大臣に決裁を求める。法相はこれを拒否して、いわゆる指揮権発動をすることができる。なお、逆に法相が特定人物の逮捕や捜査を督励することを俗に「逆指揮権」と呼び、ロッキード事件の際に話題となった。

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ピーナッツ

1998年版本誌別冊付録『20世紀事典』掲載。以下、

丸紅からロッキード社に渡された領収書にピーナッツ100個などの暗号が記され、検察の調べでピーナッツ1個が100万円の意味とわかった。その他ピーシーズ、ユニットなどの暗号領収書も出て流行語となった。

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山吹(黄金)色のお菓子

進物を装った賄賂をさす隠語。「お代官様、こちらは好物のお菓子でございます」そう言われた悪代官が菓子箱の底をずらすと、そこには小判の束が・・・・というのは時代劇の定番シーン。ロッキード事件ではピーナッツが流行語に。最近では2003年9月の自民党総裁選に絡んで「毒まんじゅう」が流行語大賞を受賞。老若男女、時代、世代を問わず、お菓子というのはかくも魅力的なもののようで。

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記憶にございません

1998年版本誌別冊付録『20世紀事典』掲載。以下、

ロッキード事件の国会証人喚問。テレビ中継の視聴率は15%超。ところが事件の核心に迫る質問に対して各証人が申し合わせたように答えたこの言葉に国民は苛立ちながら呆れ返った。また、流行語にもなった。

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ハチの一刺し

ロッキード裁判丸紅ルート公判において、田中角栄被告の元首相秘書官である榎本敏夫被告の前夫人・榎本三恵子は田中被告の「5億円受領」を証言。のちに心境を語った際の「ハチは一度刺したら死ぬ」のことばは流行語に。ちなみに敵を刺した後に死んでしまうのはミツバチのみで、他種のハチは刺しても死なない。

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灰色高官

1998年版本誌別冊付録『20世紀事典』掲載。以下、

一般的にはロッキード事件に関して疑惑を持たれる国会議員を呼ぶが、1976(昭和51)7月27日前総理田中角栄の逮補によって灰色高官の頂点は黒色に変わった。続いて佐藤孝行元運輸政務次官、橋本登美三郎元運輸相も逮捕され、疑惑はさらに広がった。10月15日のロッキード問題調査特別委員会で稲葉修法相は「捜査の対象となっている“灰色高官”は18人」と中間発表、さらに11月2日には法務省が灰色高官18人中5人の氏名を公表、田中角栄元総理大臣、二階堂進元官房長官、佐々木秀世元運輸相、福永一臣自民党航空対策特別委員長、加藤六月元運輸政務次官の名前があがった。

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よっしゃ、よっしゃ

1998年版本誌別冊付録『20世紀事典』掲載。以下、

ロッキード事件の初公判で、検察側が明らかにした田中角栄のことば。丸紅の5億円提供をともなう請託を、田中が「よっしゃ、よっしゃ」と引受けたというところから流行語となった。

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椎名裁定/青天の霹靂

1974(昭和49)年、金脈問題で退陣を決めた田中角栄の後継者選定にあたり、当時党副総裁の椎名悦三郎のいわゆる「椎名裁定」により三木武夫が次期首相に。同じく候補と目されていた大平・福田のように大派閥に属していたわけでもなかった三木は「晴天の霹靂」と話した。「クリーン三木」のキャッチフレーズも有名。

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三木おろし

1998年版本誌別冊付録『20世紀事典』掲載。以下、

ロッキード事件の徹底的究明をかかげる三木政権を退陣させようとする工作が自民党内に続いて起こった。

1976(昭和51)年5月、椎名副総裁が「三木では総選挙が戦えない」と退陣を迫った。8月には党内反三木陣営の挙党協の先陣に立つ福田赴夫が、「統率力の欠如」を理由として退陣を要求した。これに対し三木首相は“三枚腰”のねばりと“したたかさ”でしのぎ、この年の自民党は三木おろしをめぐる党内紛争に終始したが、12月の総選挙で自民党は大きく議席を減らし保革伯仲となったため、ついに三木は辞職し、福田が総理の座についた。

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共和バブル汚職事件

1993年版本誌掲載。以下、

元北海道・沖縄開発庁長官、阿部文男自民党代議士(69)が長官就任前の1989(平成1)年7月から90年10月にかけて、鉄骨加工メーカー「共和」(90年11月倒産)から北海道内の自動車専用道路の予定地の情報や全天候型スポーツ施設建設事業への参入の請託を受け、総額5億3000万円の資金を得ていたとされる汚職疑惑事件。

共和から政界にはこのほかに5億円近くが流れており、関係を指摘された政治家は元首相を含む10人を超えた。東京地検特捜部は1月13日に9000万円の供与を受けた受託収賄罪の疑いで都内に病院に逃げ込んでいた阿部元長官を逮捕。現職国会議員としての逮捕は、田中角栄元首相以来16年ぶり。元長官は北海道議を経て、69年以来衆議院議員。自民党宮沢派の事務総長(事件発覚後就任、逮捕後に離党)であり、同事件は発足2カ月余の宮沢政権を揺さぶった。阿部元長官は検事に「総選挙のたびに借金がかさみ、泥棒してでもおカネが欲しかった」と言ったものの、初公判では金は「政治献金だった」と賄賂性を否認、また請托の事実も否定して検察側と全面対決。しかし、贈賄側の共和の森口五郎副社長(48)は請託の事実を認めている。党内の議員辞職を求める声さえも無視し、議員の座に居座り続けた。阿部元長官は共和に対して選挙資金、事務所経費、猟官運動資金、酒食の接待等から後援している女優とのペア・ウオッチの代金に至るまで金品の無心は度を越し、この点で前例がない事件で、ロッキード事件やリクルート事件の構造汚職と異なる昔ながらの個人汚職の側面が強い。リクルート事件が国会で追及されていた真っ最中の出来事。特捜部は91年7月、大手商社「丸紅」と共和による鉄骨資材の架空取引事件を摘発。詐欺罪などで逮捕した共和の森口副社長の供述や押収資料の中から巨額の使途不明金があるのを解明するうち、阿部元長官との密接な関係が浮かび上がった。政治改革への積極性よりも政治に金が必要との認識のほうが強く、金に飛びつく政治家がいかに多いかという事実を明らかにした事件。

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