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日本人は「3」が大好き!新しい「3」の名数総覧
 

“第3”というありかた

第3インターナショナル(コミンテルン;国際共産党)

本誌1951年版収録。以下、

1917年のロシア10月革命の勝利とその影響によるヨーロッパ各国における革命的高揚と第2インタナショナルの首領共の裏切とによって、新しい共産インターナショナル(コミンテルン)創立の気運は急激に高まり、1919年モスクワにおいて創立大会が開かれることになった。19カ国50名の代議員が参集したこの創立大会で採用された宣言には

「われわれの任務は労働者階級の革命的経験を統括し、日和見主義および社会愛国主義の朽ちかけた不純物を運動より一掃し真に革命的な国際プロレタリアートのすべてのカを結集し、それによって全世界における革命の勝利を容易ならしめ、且つ促進するにある」

その後20年7月の第2回大会ではコミンテルンの根本的任務、プロレタリア革命における共産党の役割、民族問題ならびに農業問題に関するテーゼが採用され28年7、8月の第6回大会では旧規約を改正し新しいコミンテルンの綱領が作られた。特に1929年から始まった世界大恐慌を予言し迫り来る帝国主義戦争に反対する闘争のテーゼはその後の歴央が示すごとく特徴的である。35年第7回大会における反ファシズム闘争のための「人民戦線戦術」採用は極めて重要な決定である。コミンテルンは日本の革命運動にたいしても、27、32年テーゼ等を通じて指導を与えた。

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第3勢力

本誌1958年版〔外交用語解説〕収録。以下、

Third powers 西欧民主主義ブロックと共産主義ブロックが米ソを各々中心にして対立している現在、この何れにも属しない中間の政治勢力をいう。しかしインドのネール首相などはこれにもっと積極的意味を含ませている。同首相は53年2月半ばの国会で次のように説明している。「第3勢力がアジア諸国の軍事同盟を意味するものであればナンセンスである。それは米ソ両ブロックのいずれにも属さず戦争を好まず、平和を愛する国々が互に平和のために協力するものでなければならない…むしろこれは第3地域と呼ぶべきである」と。ここに示されたように、第3勢力は米ソ両勢力以外の国が軍事的に結合して集団安全保障体制を作るというのではなく、戦争の局外に立ち、さらに戦争防止に働きかける積極的希望をもった国家の集りである。

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第3勢力

本誌1958年版〔政治用語解説〕収録。以下、

左翼と右翼、急進と保守が対立するなかで、中間的な立場をとる政治勢力。国内と国際の両方に用いられる。フランスのシューマンを幹部とする人民共和派が、自らを第3勢力と名乗ったことに起源を発する。インドが、米ソの対立の間に立って、アジアの第3勢力と称していたが、最近、平和地域というように名称を改めた。わが国の自由主義者で平和論を唱えるものも第3勢力と呼ばれている。

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第3地域

本誌1958年版収録。以下、

インド首相ネールのいったことば。彼の定義(53年2月16日の演説)によれば、「消極面から見れば戦争を欲しない地域、積極面から見れば、平和のために活動し、お互いに協力する地域」。→第3勢力

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第3世界

本誌1977年版収録。以下、

the Third world 第2次世界大戦以後、根本的に変化した世界政治と経済のなかで、発展途上国に対して、便宜的に用いられる言葉。アメリカを先頭に西欧、日本、オーストラリアなど20力団ほどの発達した資本主義国家、つまり「西の世界」を第1世界、ソ連を先頭に中国、北朝鮮、ベトナム、キューバなどの16の社会主義国家、つまり「東の世界」を第2世界という。この「東西」2つの世界に対し、資本主義世界にありながらも、「西の世界」に客観的に対立し、完全な政治的・経済的独立をめざしてすすんでいるアジア、アフリカ、ラテンアメリカの100以上の発展途上諸国を第3世界という。しかし、最近中国は自らを第3世界に属するといっている。また最近「第3世界」の中で、最も後進的な諸国を「第4世界」と呼ぶ動きもあるが、これは当をえていない。

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第3世界論

本誌1991年版収録。以下、

中国の世界戦略は、文化革命当時の中間地帯論に代わって最近では第3世界論に基づいて展開されている。世界の政治勢力の分化・再編が起きており、発展途上国の活躍、社会帝国主義の出現による社会主義陣営の消滅、西側帝国主義集団の四分五裂が現在の世界政治の特徴である、とする。

現代世界は相互に関連と矛盾する3つの世界から成っている。第1世界は帝国主義・覇権主義・植民地主義の政策をとる2つの超大国アメリカとソ連である。彼らは現代における最大の国際的搾取者、抑圧者であり、新しい世界戦争の策源地である。2国のうちでは、社会主義を呼称するソ連が特に悪辣である。第2世界は、超大国と発展途上国の中間にある発達国である。第2世界には野蛮な植民地支配を維持している国(ポルトガルなど)もあるが、超大国の支配、威嚇、搾取、経済危機の転嫁を受け、従属国の地位におかれている。第2世界諸国の超大国に反対する闘争は日ましに発展している。第3世界は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカその他の地域の発展途上国である。第3世界諸国は、世界の歴史の車輪の前進を推進する革命的原動力であり、植民地主義、帝国主義、とりわけ超大国に反対する主な力である。中国の外交路線は第3世界論に基づくといわれているが、実際の外交活動は、第3世界よりもアメリカおよび第2世界の諸国に対して活発になっている。

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第3世界結集外交

本誌1978年版収録。以下、

中国は1974年2月から、ザンビアのカウンダ大統領の訪中をはじめ、招待外交を復活した。アルジェリアのブーメジエン革命評議会議長、タンザニアのニエレレ大統領、セネガルのサンゴール大統領、ブット首相、キプロスのマカリオス大統領、チュニジアのブルギバ大統領らがあいついで訪中している。これは、アメリカとソ連という2つの超大国の覇権主義による世界支配に対抗するため、中国を第3世界の一員として位置づけ、第3世界を結集させようと意図しているものである。中国が、第3世界の一員であることは、国連に中国代表が初登場したときの最初の演説において言明されていた(71年11月、喬冠華代表演説)。

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第3世界/第4世界/第5世界

本誌1983年版収録。以下、

一般には、先進資本主義諸国を第1世界、ソ連・東欧の社会主義諸国を、第2世界、発展途上諸国を第3世界という。1974年の国連資源総会では、中国の小平代表は、米ソの超大国を第1世界、中国を含む発展途上国を第3世界、その中間の日本や欧州を第2世界と呼んだ。しかし、第3世界の中でも、資源に恵まれた諸国と資源を持たない諸国との間に立場の差異があることは、74年2月の回教国首脳会議や、3月の非同盟諸国会議、途上国77カ国グループ会議でも表面化し、4月の資源総会でも、資源もなく工業化のための資本も技術もない約31の「後発発展途上国」(LDDC Least Developed among Developing Countries)に第4世界という名を与えられた。さらに、その他にもとくに73年の石油危機によって「もっとも影響を蒙った国」(MSAC Most Seriously Affected Countries)を第5世界と呼ぶこともある。途上国中にみられるこのような差異と亀裂は「南南問題」と呼ばれている。

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第3の道

本誌1983年版収録。以下、

1982年1月11日から13日までポーランド軍事政権成立の衝撃下にイタリア共産党中央委員会が開かれた。13日、ベルリングエル書記長の社会主義のソ連型モデル拒否、「第3の道」として新しい社会主義追求の提案が圧倒的に支持された。同じ時期にスペイン共産党のカリリョ書記長もソ連をモデルとする共産主義運動は過去のものになったと再度明言した。

このイタリア・スペイン両共産党の動向は新次元での西欧左翼の形成に向うものである。すでにイタリア共産党とフランス社会党の政治ブロックとして発展しつつあり、西欧の共産主義、社会主義の運動に一つの画期をなすものである。対して1月24日のソ連共産党機関紙プラウダは次のように非難している。「イタリア共産党の指導者たちがいっている狡智な理論的・政治的な“新発明”(第3の道、ユーロコミュニズム、欧州左翼の同盟、第3の局面など)はマルクス・レーニン主義から逸脱するものである」と。

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第3政党論

本誌1969年版収録。以下、

自民党の左、社会党の右といった程度の中間政党、つまり修正資本主義というやや進歩的な立場をとる第2保守党が必要だとの意見がある。それが第3政党論で、そのねらいは、もしも自民党が国民から見放されると、政権は左派系の強い社会党に行くおそれがあり、それを避けるためにも必要とするところにある。

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第三の新人

本誌1958年版収録。以下、

戦後派作家のうち、とくに最近文壇にあらわれた人々を指していう。戦後いちはやく、あるいは比較的早く戦後派新人としてみとめられた梅崎春生、椎名麟三、野間宏らが第一とすればそれよりややおくれて登場した武田泰淳、堀田善衛らが第二、それにたいして小島信夫、安岡章太郎、吉行淳之介、三浦朱門、小沼丹らをさしていうのである。それ故、年齢的な区別でも文学傾向の上での区別でもなく、甚だ漠然としている。ただ第一第二の新人に比べて総体に年齢が低く、戦争の時期が彼等の青春の時期であったこと、従って戦争ないし敗戦がその精神に与えた影響も幾分相違があることも認められる。文学的傾向として彼等以前の戦後派がどぎつく、かつ観念的であり、論理性、倫理性が強いのに反し、きめが細かく、非論理的、私小説的傾向もみられる。

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第3の紙

本誌1969年版「ポリスチレン・ペーパー」の項より。以下、

polystyrene paper ポリスチレンを発ぽうさせて薄くのばして紙にしたもの。木を原料にしない、合成の紙で、光沢、弾力性に富み耐水、耐湿性もよい。加工も容易で、着色や他の紙、はくとの張り合わせも自由なので夢の紙といわれる。昭和36(1961)年から生産がはじまり、スチレン・ペーパー(styrene paper)、第3の紙として、37年4月以降、市販された。

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第3の味(イノシン酸ソーダ)

本誌1960年版収録。以下、

グルタミン酸、コハク酸ソーダ(合成酒の味つけ)につぐ第3の味で、昭和35(1960)年に商品化。

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第3の医学

本誌1971年版「リハビリテーション」の項より。以下、

更生指導とか、更生保護などと訳されることもあるが、現在では、原語をそのまま使うことが多い。言葉それ自体は権利や身分の回復を指し戦争による傷病兵を再訓練した結果、社会復帰の効果が極めて著しかったことに始まる。障害のある個人を身体的、精神的、社会経済的に社会的人間として能力を最大限に発揮するような計画、援助が目的でそのため医師、看護婦、作業療法士などの医療チーム職業指導グループ、心理学者、社会事業家から成るチームが総合的に指導、援助する必要がある。リハビリテーションは治療医学、予防医学についで第3の医学といわれる。昭和44(1969)年には有資格の理学療法士は888名、作業療法士は220名である。

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第3の人生

本誌1977年版収録

老年期のこと。アメリカではゴールデンエージともいい、ヨーロッパでは第3の人生とよぶ。老年期は60代を初老期、70代を中老期、80代以降を高老期と区分するのが普通である。しかし暦年齢が精神的、生理的「老い」と必ずしも一致するものでないことはいうまでもない。誰もが「生きがい」のある老年を求めているが、実り多い老年は中年以降の暮しかたから得られるものである。老年を第3の人生ととらえる視点は、おとなになるにつれて余儀なく仕事を選択してきたことが、自己の別な可能性を捨ててきたものとみて、その発見に努めようとするものである。

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第3のロマンティシズム

本誌1974年版収録。以下

the third romanticism 伝統的、古典主義的なもの、リアリズムに反抗し、個性を重んじ、知性よりも感情の優越を強調したCMが、アメリカでは最近第3のロマンティシズムと呼ばれている。例:あるスラックス・メーカーのCM。アニメーション技法を用い、道路の両側に街路樹を画く。その木の幹がスラックスに変リ、ダンスを始める。もとよりスラックスの色、模様はそれぞれ違う。このような画面の連続に対し「私が共和党を支持したとき、あなたは他党に投票した。あなたが笑っても私は笑わない。私はギター、あなたはサックス。私とあなたは違う。でも大した違いでない」、「あなたはこのスラックスをはく。私もはく。大した違いでない」といった、ナレーションが流れる。このCMでは人間が椅子に座ったまま室内を飛んだり、樹木が前述のように踊り出す。それだけに、自然的表現はとられず、空想の世界の描写が中心となる。CM手法には前衛映画技法が採用され、現代文明への批判精神が目立つというもの。CM全体は「アングラ・タッチの野性的浪漫主義」で貫かれているだけに、この種のCMを“第3のロマンティシズム”のCMという表現で、アメリカ広告業界は呼んでいる。

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第3の家族

本誌1991年版。以下、

従来の親子、夫婦関係に次ぐ新しい結縁関係。1人暮らしの気楽さと、縁を結ぶことの安心感、便利さを併せもつこの関係を選択して暮らすシングル高齢者が目につき出したことから吉広紀代さんが命名。知人どうしが近くに住み、血縁を超えた緩やかな結縁で新しい生活形態をつくるなどさまざま。

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ラジオ体操第3

本誌2000年版収録。以下、

現在、ラジオ体操人口は全国で2000万人−3000万人といわれる。東京都だけで250カ所以上の常設会場が年間を通して設置されており、ラジオ体操の人気は高齢者を中心に根強い。1928(昭和3)年に国民の体格向上、健康増進などを目的に当時の逓信省(現郵政省)簡易保険局がNHKの協力などを得て開始したラジオ体操だが、46年までは第1から第3まであった。何度かの内容改訂をへて現行のラジオ体操第1は51年から、第2は52年から実施されている。ところが現行の第1は家庭用、第2は職場用、対象年齢の上限もそれぞれ50−60歳と想定していたため現在の70代、80代には難しい動作が少なくないといわれていた。そこで郵政省は来年度予算に5000万円を計上、高齢者にも無理なくラジオ体操を行えるよう、ラジオ体操第3を作ることを検討している。

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