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国連がとめられなかったアメリカの覇権
―― 大国とは…の特集
 

“中国”

人類の長い歴史の中で、ひとたび覇権国となった地域が、いまでも大国の地位を保っている非常にまれな例である。

覇権主義

本誌1978年版収録。以下、

「覇権主義」(中国語も同じ)という用語があらわれたのは、1972年2月の「米中共同声明」、いわゆる「上海コミュニケ」からである。英文の表現は“ヘゲモニー”(hegemony)となっている。日本の新聞は“支配権”と訳したが、北京発行の日本語版『北京周報』は“覇権主義”と訳した。1973年8月、中共十全大会における周恩来報告には、「米ソ両超大国の覇権主義に反対しなければならない」、75年1月の新憲法には「超大国の覇権主義に反対しなければならない」とある。「覇権主義」とは、ソ連のブレジネフによる対外政策、とくに、アメリカがベトナム戦争に失敗したあと、アジアに集団安全保障を実現させようとしたことを、非難したものである。また、アメリカがソ連とむすんで、第3世界を押さえつけようとするうごきを示すとき、中国は、これを、「2つの超大国」の「覇権主義」と呼んで非難している。

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ソ連の覇権主義12項目

本誌1978年版収録。以下、

1975年4月下旬、中国を訪問した社会党“新しい流れの会”にたいして、中日友好協会副会長・張香山(チャン・シァンシャン)が、中国がソ連を「覇権主義」とよぶ具体的事実を列挙したもの。それによると、<1>外国に派兵し、侵略し、奴隷化している、<2>世界に広く軍事基地をおき、他国の主権を侵害している、<3>軍隊を派遣し、他国を侵略し、民族自決の闘いを弾圧している、<4>海軍艦隊を拡張し、全世界の海をわがもの顔にしている、<5>兵器を大量に販売し、世界最大の軍事商人である、<6>核兵器を大量に開発し、核独占をはかり、他国を恐喝する道具としている、<7>軍事予算を拡大し、軍備を拡張している、<8>他国の内政に干渉し、他国政府の転覆をはかっている、<9>周囲の領土を不法に占領し、返還しない(日本の北方領土、中国の珍宝島)、<10>従属国から搾取し、経済協力の名を借りて“第3世界”からも搾取している、<11>他国の共産党に自分の政策に従うよう、強要、<12>帝国主義政策を推進するため、一連の理論をデッチあげている。

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反米反ソ統一戦線(2つの超大国論)

本誌1973年版収録。以下、

中国共産党は1965年よりアメリカ帝国主義とソ連社会主義を同一視し、この双方に反対する統一戦線を主張、日本共産党へも同調を要求した。69年の中共第9回大会ではソ連を社会帝国主義と規定し、アメリカ帝国主義と並んで全世界人民の敵だとし、これを打倒するための統一戦線をよびかけた。日共は、中共の主張はインドシナ間題を軽視し、反帝・平和の統一戦線を妨害する分裂主義、大国主義的干渉であるとし、激しく批判、日中両党の最大の論争点となっている。中国共産党は71年の国連復帰前後から反米反ソ統一戦線論を2つの超大国論に切りかえてソ連批判をつづけている。

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中ソ和解問題

本誌1983年版収録。以下、

ブレジネフ・ソ連共産党書記長が1982年3月24日にタシケントで行った演説で一挙に浮上してきた。ブレジネフ演説は前提条件なしで中国と関係改善のための交渉に入る用意があることを強調し、2つの中国論不支持を表明している。中国とアメリカが81年11月以来のアメリカの台湾への武器売却問題などで揺れていたときだけに、ブレジネフ演説は米中ソ3国関係の行方に大きな波紋を投げかけた。中国は今回のブレジネフ提案の内容を国内向けに報道するなど異例の対応をみせている。中国では79年9月の現代ソ連文学討論会でソ連の国内政策は基本的には社会主義であるという意見が大勢をしめたりして部分的にはソ連見直し論が存在していたが、80年にはソ連研究所が設立され、82年以降は党の有力者が今後他国の党に修正主義などのレッテルを貼らないとの方針を示したり、有力な経済学者がソ連経済研究のためにソ連を訪問したり、中ソ貨物輸送協定が調印されるなどの積極的動きが一段と多くなってきた。中ソ和解は、両国国境にはりつけになっている軍隊の維持費削減など両国にとって大きなメリットがある。だが両国の対立は単なるイデオロギー上のものではなく、複雑な国益が絡んでいる。その根は古く中華人民共和国以前にすでに存在するし、中国ではソ連人技術者引揚げなどによる対ソ不信感も強い。部分的な国家関係改善や両党のイデオロギー上の容認はあり得ても、両国関係、両党関係の全面的な関係改善は容易ではない。

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チャイナ・カード

本誌1989年版収録。以下、

China card トランプ・ゲームに擬した外交策略で、第3国との関係においてある国を利用することを指し、この場合は、対ソ戦略に中国を利用することをいう。アメリカはソ連を牽制するために中国と正式の外交関係を樹立したが、これはアメリカがチャイナ・ガードを使ったのだと表現される。逆にいえば中国はソ連にたいして「アメリカ・カード」を使った、ということになる。しかし、ソ連のアフガニスタン侵攻事件以降の米中軍事協力の進展にもみられるように、「チャイナ」はもはや単なるカードではなくなっている。中国自身、今後、しばしば「アメリカ・カード」「ソ連・カード」を使用するようになろう。

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戦略的競争相手

本誌2003版収録、以下、

strategic competitor 中国を「戦略的パートナー」とよんだクリントン政権を批判して、ブッシュ共和党政権が対中政策の転換を強調した言葉。中国は「敵」ではないが、「友」でもなく、戦略的利害が対立する存在という意味であり、関与(エンゲージメント)と封じ込め(コンテインメント)を混合した戦略として、「コンゲージメント」(Z・カリルザッド)という新語も登場した。中国の台頭をアジアにおける長期的な不安定要因としてとらえ、それに対抗する戦略態勢の再編を進める傾向は、「9・11」以後のブッシュ政権にも続いている。

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覇権条項

本誌1985年版収録。以下、

1974年11月から、日中両国政府間において平和友好条約の締結交渉が始まったが、78年8月に至るまで同条約の締結が遅れた原因となった最大の懸案条項である。日中両国は、72年9月の日中共同声明を基礎に条約案文をつくることで原則的に合意していたが、共同声明第7項を明文化することで、日本政府は躊躇した。第7項は、「日中両国間の国交正常化は第3国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきでなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは集団による試みにも反対する」と規定している。日本政府の反対理由は、覇権のような政治的内容を条約に明文化することは、性質上なじまないとするものだったが、これは表向きで、実質は、中ソ対立の折柄、中国寄りとみられ、ソ連を刺激することになるのを警戒していたためとみられた。

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