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〈ブーム〉の反対語=〈××離れ〉〈脱××〉〈失われた××〉の用語集
―― 衰退は復活のはじまり
 

ポスト××

post〜 は「××の後の」「次の××」「後期の××」の意。

ポスト・モダン(post‐modern)

1991年版本誌より。本誌では77年版〈現代舞踊用語〉から掲載。以下、

脱近代と訳されている。モダン・デザインからの逸脱を主張して、1970年代末から盛んにポスト・モダンというコトバが語られている。現象的にみれば、画一的かつ均質化したモダンに対して差異を主張する。インターナショナルなものに対して、たとえばエスニックなものや地域的デザインを対置させる、大量生産に対して少量生産にする、生産的イメージに対して、消費と遊びのイメージを対置させる、などのデザイン的な特徴をみせている。たとえば、ミラノのスタジオ・アルキミアの未完の家具にみられる分裂的デザインや、コーヒーセットのシリーズ・プログラム6にみられるエクレクティシズムや、メンフィスの家具にみられる遊戯的デザインがその典型だとされている。しかし、はたして本当に、市場経済の論理が支配するモダニズムからの本質的な脱出ができたのか否かは疑問であろう。つまり、デザイン的にみれば、少量多品種化の傾向を示す、一連のポスト・モダンのデザインは、むしろ電子テクノロジーを背景にして出てきたものだといえる。

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ポスト・モダニズム(post‐modernism)

1991年版本誌より。以下、

モダニズムのあとに生まれた芸術・文化の運動で、最初は建築の領域で用いられた概念であるが、まもなく一般的に使われるようになった。モダニズムが機能主義と結びついて比較的単純な要素からなっていたのに対し、ポスト・モダニズムでは、異質な要素を重ね合わせたり、過去の作品からの引用がなされたりする。その意味で、ポスト・モダニズムは、思想の領域のポスト構造主義と対応している。モダニズムの場合と同じく、ポスト・モダニズムも建築・デザインの領域で具体的な作品となって現れている。それらの作品はしばしば折衷主義の傾向を見せているが、それはポスト・モダニズムにおいては、なにかひとつの強力な原理による支配がなく、さまざまな要素を寄せ集めなければならないからである。キッチュはそのひとつの表現形式である。

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ポスト構造主義(post‐structuralism)

1991年版

「ポスト」は「…以後の」という意味をもつ接頭辞で、したがってポスト構造主義とは、構造主義のあとに来る思想のことである。構造主義は、あまりにも人間それ自体を重視しすぎて、関係というものを軽視した実存主義に対する批判として登場したのであるが、今度は、構造主義の人間軽視に対する反作用としてポスト構造主義が現れてくる。そのため、ポスト構造主義では、構造主義でほとんど無視されていた宗教や歴史の役割がふたたび重視されるようになる。

構造主義のもっとも重要な考え方は「交換」であって、そのために構造を形成するもろもろの要素は相互に交換が可能な、同質のものである必要があった。ところが、歴史的な要素をふたたび導入したポスト構造主義では、もはや交換は主要な原理ではなく、それに代わって、ノイズ・できごと・暴力などの要素が考慮され、また構造というものの存在を認める場合でも、それを構成する要素が相互に異質であることが求められる。そのような異質な要素が重ね合わされることによって、重層的なものが形成されることになる。ドゥルーズ、ガタリのいう「リゾーム」という概念などもこうしたポスト構造主義的な動きを早くから感知して構想されたものといえるだろう。

構造主義のばあいには、それを代表するアルチュセールやレヴィ=ストローズのような思想家の名前をあげることができるが、ポスト構造主義には、スター的な思想家は見当たらない。むしろ、さまざまなマイナーな思想がからみ合って、主流を見出すことができないところに、ポスト構造主義の特徴のひとつがあるといえよう。そのために、はっきりした思想の動きとして把握することがむずかしくなっている。また、ポスト構造主義とポスト・モダニズムは深く関係しているが、一般には前者は思想の領域での動きを指し、後者は文化・芸術の領域での動きを指すものとされている。

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ポストオイルショック

1989年版本誌収録。以下、

第1次石油危機から16年、第2次石油危機から10年経って、その経済・社会、エネルギー需給への深刻な影響がほぼ消えて、危機感も風化し、オイルショックを知らない世代も多くなった。日本着原油価格は、インフレを調整すると円高もあってほぼ第1次石油危機の起きた1973年度なみに下がっている。省エネルギーの鈍化もあって、エネルギー需要の増勢は強まり、欧米や開発途上国のエネルギー需要も87年にはそれぞれ2%、5%と伸び、世界では3%近くの増加となっている。

情勢は変わっており、これまでの認識にもとづいた長期エネルギー需要見通しは上方修正が必要となってきている。供給面では低価格、安全性、環境制約等で大幅な遅れが懸念されており、長期的にはエネルギー供給不足が起こるのでは、との問題提起もある。

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ポスト産業化(post industrism)

1991年版本誌収録。以下、

重化学工業を中心とした経済から、サービスや情報産業を中心としたソフト産業社会へ移行することを示す言葉。経済の発展とともに第1次産業(農・林・水産業)の比重が減少して第3次産業の比重が増大するのは一つの経済法則であって「ペティの法則」と呼ばれている。戦後の日本経済でも就業労働者は第1次産業から第2次産業および第3次産業へ移行し、第2次産業の就業人口比率も1975(昭和50)年の34.1%をピークに減少し、89年には第3次産業の就業人口比率は58.7%になっている(87年にアメリカは71.5%、イギリスは69.4%、フランスは63.6%、西ドイツは54.4%)。一般に、労働生産性の上昇率はソフト産業のそれは工業部門に比べて低いが、雇用吸収力は大であり、ポスト産業化とともに、従来の物財産業を中心にした通商産業政策や財政金融政策はその再検討を余儀なくされている。

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ポスト冷戦(Post Cold‐war)

1991年版本誌収録。以下、

「冷戦終焉後の新しい国際社会」。第2次世界大戦後40年以上の長期にわたって続いていた「冷戦」構造も、1980年代の末期から90年代の初頭にかけて続けられた米ソ2大スーパー・パワーの宥和への努力により、ほとんど解消した。しかし、これでようやく「ピース・ディビデント(平和の分け前)にあずかれる」とホッと一安心したのも束の間、サダム・フセインの突出によって、人類社会は「ひょっとするとこれまでよりももっと危ないかもしれない新しい危機的状況が醸成されつつあるのかもしれない」という恐るべき事実に気づいた。すなわち、圧倒的な力(スーパー・パワー)が消滅したばかりの過渡的な間隙を突いて、「核兵器の拡散」や「地域紛争」が日常茶飯のこととなり、地球社会がアナーキー(無秩序)とカオス(混乱)の虜となり始めているのではないか、という不安である。

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ポスト・サダム(post Saddam,beyond Saddam)

1991年版本誌収録。以下、

「サダム・フセイン後」。イラクのサダム・フセイン大統領による一方的なクウェートへの侵攻と併合は、あらためて「ポスト冷戦」人類社会の意外なモロさ(脆弱性=バルネラビリティー=フラジリティー)を白日のもとにさらけだした。しかし、このような暴虐がいつまでも放任されているわけもないから、「サダムフセインが失脚ないし死亡して、事件が一件落着の方向にむかうのは時間の問題だ」とする見方が欧米ではかなり早くから大勢を占めており、「むしろ同様の問題が頻発するであろう今後(ポスト・サダム・フセイン)のほうが心配だ。原油の生産や供給、価格などをはじめとする国際社会の諸問題についての恒久的な安定や均衡を確保するための新しいシステムが早急に確立されねばならない」という提言が強く打ち出されていた。日本としても、このテーマのもとでいかに主体的な役割を果たせるのか、を考えるほうが喫緊の急務であろう。

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