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袋小路派の政治経済学*[ふるさと、どうせい?]
執筆者 土屋彰久

袋小路派の政治経済学*[ふるさと、どうせい?]

ふるさと納税

都会と地方の経済格差、というよりも、もはや人口動態などを見ても、地方が再生不能なレベルまで衰退しているという事実を前に、地方を票田とする自民党にも危機感が広がり、なんとかしようということで出てきたのが、この「ふるさと納税」のアイデアです。中身は簡単な話で、自分の生まれ育った「ふるさと」の自治体に、住民税の一部を分けるという、住民税再配分政策です。ただ、現在のところ、与党の素案では10%となっていますので、あまり大した効果は期待できません。やるなら、5:5でやってみろ、と言いたいですけどね、地方で育って都会で働いている私なんかの場合。ただ、与党の案というのは、住民税の総額は変えないで、その中で都会の取り分を地方に回すというプール方式(もしくはゼロサム方式)になっているところが、インチキ臭いんですよね。実際、野党側の批判も、そのあたりに集中しています。要するに、中央政府は、一切懐を痛めずに、都会の自治体の取り分を削って、地方にいい顔をしよう、という政策なわけです。正に、純小手先政策と言えましょう。私自身は、ふるさと納税の基本的なアイデアには賛成、というか、かねてよりその必要性を訴えてきているくらいですが、そもそも自治体の自主財源率が低すぎる状態で、都会の自治体の収入減を伴うような現在の案には反対です。それよりもまず、地方交付税を増額しろという、全国の自治体と野党が共通して訴える主張の方が、現時点ではスジがいいですね。

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三位一体の改革

→2005年4月号参照

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税源移譲

この6月から、住民税、ガンと増えましたね。政府は、国から地方への税源移譲に伴い、所得税は減ってるから、差し引きは変わらない、というようなことを言っていますが、実は増税も一緒に行われているんです。一つは、メディアでもさんざん言われている定率減税の廃止で、もう一つが、住民税率の一本化です。住民税は、以前は課税所得により5%(〜200万)、10%(〜700万)、13%(700万〜)と三段階に分かれた累進税でしたが、税源移譲に合わせて税率が10%に一本化され、定率税となりました。だから、課税所得(所得から、基礎控除や扶養控除など、様々な控除を引いた残り)が200万以下の人にとっては、税率は倍増の増税なんです。ただ、総額は変わっていない、つまり、課税所得700万以上の人にとっては、減税となります。ついでに細かく言うと、住民税より累進率が高い所得税の割合が減り、住民税の割合が増えるということは、それだけでも、富裕層に対しては減税となり、貧困層に対しては増税となる効果をもたらします。差し引き、変わってるんです。

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基礎控除  basic deduction

所得控除の一種。所得控除は、給与所得や事業所得などさまざまな所得の金額を計算する段階では考慮されなかった各納税者の事情や支出、損害を調整しようということで設けられています。所得税や住民税の場合には、基礎控除は無条件に認められます。定額による定めが一般的。例えば所得税の場合、納税者に38万円。所得税の基礎控除は、扶養控除や配偶者控除とをあわせて課税最低限を意味し、税制見直しの際の重要な検討項目です。

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課税最低限  tax threshold

所得税では、各種の控除によって所得金額が一定額以下の人には税金がかからなくなっており、これを課税最低限といいます。現在、夫婦子ども2人のサラリーマン世帯の課税最低限は年収で325万円。政府税制調査会は、給与所得控除の縮小などにより、課税最低限の引き下げが必要だと言っています。

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地方交付税

制度としては、地方交付税制度でいいのですが、自治体に分配されるものは、正式には地方交付税交付金と言います。地方交付税は、域内だけを対象にせざるを得ない自主財源(狭い意味での)への財政依存度を高めすぎると、経済力の格差が大きい自治体間で、収入に差が付きすぎてしまうために、ある程度は国税として全国単位で集めた上で、自治体毎の財政事情(事業規模や収入など)に応じて、自動的に分配されるもので、広い意味では自主財源の一部です。地方交付税の財源には、所得税や法人税などの主要国税の約3分の1が充てられます。実際の運用においては、東京のような大都市は、地方税だけで財政が賄えるので、交付金が交付されない不交付団体になっており、一方では、収入の半分を交付金が占めるような貧乏自治体もあります。地域間格差の是正策としては、地方交付税を拡充する方が、スジがいいというのは、このように地方交付税が、そもそも格差是正を念頭に置いて設計された税制であるためです。

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応益税/応能税

 「ふるさと納税」は、もちろん、もらいが増えそうな地方からは歓迎されていますが、その分、持って行かれることになる大都会を抱えた自治体は大反対の姿勢を明確にしています。その主たる根拠となっているのが、「住民税の応益性」です。税金の分類には様々な分類法がありますが、その一つに応益税、応能税という分け方があります。応益税というのは、受益者負担の原則により、受ける行政サービスに応じて税額を決定するというもので、「住民としての基本サービス」を前提とするなら、定額税が基本となり、せいぜい定率税まで、という考え方になります。対して、応能税は、担税力のある人々、つまり経済的に余裕のある高所得層から多めにとろうというもので、この場合は累進税が基本となり、場合により定率税も利用されますが、定額税になることは、まずありません。この分類法に当てはめると、所得税は完全な応能税ですが、住民税は、定額税である均等割の部分があり、その上に定率税である所得割が乗るという形で、設計思想は基本的に応益税であることがわかります。ただ、住民税において応益税の原則がとられたのは、一つには住民サービスの基本財源としての性格、もう一つには累進税である所得税とのバランスを考慮に入れてのことなので、税源移譲に伴い、所得税とのバランスが変わるという場合には、本来ならば制度設計から見直さなければなりません。しかし、一連のこうした「小泉構造改革」の基本デザインを描いたのが、定額税主義者の竹中元経済産業相だったことでもわかるように、税源移譲には、国民が気付かないような形で国民の全税負担の中での累進税の比率を下げ、定額税、定率税の比率を上げる(=貧困層には増税し、それを財源に富裕層には減税する)という意味合いがありました。だから、「なぜ応益税なのか」という根本的な問題は置き去りにされて、「住民税は応益税だ」という前提から、議論が始まっているわけです。

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ふるさと創生

かつて竹下内閣が行った、バラマキ政策の極致とも言えるのが、「ふるさと創生」です。これは、全国の市町村に規模に関係なく一律1億をプレゼントするという政策で、竹下登元首相の首相就任に際しての目玉政策の一つとされました。字は違いますが、竹下元首相が田中派にいた当時、派閥内派閥として作った「創政会」と音が重なるのも、そうした意味合いが含まれています。政策の実施に際しては、もちろん地方の活性化が目的に掲げられましたが、制度上の問題もあって、具体的な使い道は自由とされたため、知恵のない自治体では、かなりバカな使われ方もされました。ただ多くは、配り手側の期待通りに、無駄な建築事業に使われました。ふるさと創生は、そのあり方は別として、資金配分の方式としては<逆定額税>型でしたので、財政規模の小さい自治体ほど助かるという、格差是正の効果もありました。

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創政会

まだ田中角栄元首相が健在だった頃、竹下元首相が、田中派の中で「勉強会」として始めたのが、創政会でした。命名の表向きの理由は、「ああせい、こうせいで、そうせいかいになった。」とのことでしたが、それより深い話というのは特に聞かれないので、まあ、実際、その程度のものなんでしょう。この創政会、最初は田中元首相も、「おお、政策の勉強か、よっしゃ、よっしゃ。」といった感じで、好意的だったのですが、そもそも自分自身が、佐藤派を割って田中派を作った経験を持つ田中元首相は、じきに自分と同じことをやろうとしているということに気付きまして、創政会つぶしに動き出します。ところが、それで頭に血が上ったのか、はたまた一服盛られたのか、田中元首相は脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの、人格は半壊状態となり、政治的影響力は急速に低下しました。その結果、田中派の多くは竹下派に移ることになり、元の田中派がバカでかかったために、サイズは小さくなったものの、結局、そこから分離独立した竹下派が最大派閥となりました。この時、竹下派は田中派から正式に独立するにあたって、会の名前も創政会から経世会へと変更しています。ちなみに、経世会の名前は、「経済」の元となった四字熟語の「経世済民」から来ています。

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経世済民

辞書によれば、「世を治め、民の苦しみを救うこと」(大辞林)。小渕内閣の時代に、経済再生内閣の掛け声の実質的役割を担わされた「経済戦略会議」、堺屋経企庁長官ではなく、そのメンバーだった竹中平蔵が1999年に書いた本のタイトルが『経世済民』、発行はダイヤモンド社。

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人口再生能力

ふるさと納税」の元にある地方の衰退、その元にあるのが少子化、そのまた元にあるのが、人口再生能力の喪失です。特に地方では、手間・暇・金をかけて子どもを育てても、働ける年頃になると、若者好みの華やかな生活が可能で就職機会にも恵まれた都会に、みんな出ていってしまいますので、教育という人材への投資が、まるでリターンとなって返ってきません。「ふるさと納税」の発想の原点もこのあたりにあり、都会から地方への税収移転によって、地方の人口再生能力を補強しようという考え方は、基本的には合理的と言えます。これは、人口動態論的に見ても正解です。というのは、都会の中の都会、東京を例にとりますと、戦後のベビーブームなどのような例外的な時期を除いて、東京は江戸の昔から、人口の自家生産はマイナスで、地方からの流入人口によって、その人口を保って来たからなんです。このことから、東京は地方の余剰人口を消費して成長してきた、つまり「人を食って大きくなった」ということ、そして、その規模を保つためには、やはり人を食い続けなければいけない、ということがわかります。ところが、東京一極集中は、地方が生み出す富を、人材という形だけでなく、様々な形で東京に吸い上げて浪費するという構造を作り出してしまったために、地方は余剰人口を生産するだけの経済的な余力を失ってしまいました。こうして、日本の人口再生を支えていた地方でも少子化が広がっていったのですが、弱肉強食を進めた「小泉構造改革」は、この流れにさらに拍車をかける結果となり、強者・東京に良質な労働力を吸い上げられる弱者・地方は、人口再生能力を喪失してしまった、というわけです。

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道州制

ここのところ、年金その他、他の話題がにぎやかなもので沙汰止みになっている感もありますが、道州制は、昔から、繰り返し論じられてきたネタの一つです。実際、ほとんど力ずくという感じで自治体の統合を進めた「平成の大合併」は、道州制推進論者にしてみれば、一里塚どころではない大きな一歩でした。また、2006年には、道州制特区推進法も制定されています。方向としては、政府だけでなく、野党第一党の民主党も基本的に道州制導入を支持していますので、憲法改正論議など、与野党対決の焦点となっている政治課題が一段落すれば、一気に道州制導入に向けた動きが進む可能性もあります。ただ、道州制を巡る議論というのは、まだ全然煮詰まっていない状態ですので、論者によってその主張の中身にはかなり開きがあるのも事実です。たとえば、政府、中央官庁の側は、負担は地方に押しつけたいが、権限は中央に残しておきたいという本音が常に見え隠れしていますし、民主党の主張には、中央の政権奪取の足がかりとなるような強力な地方政権の入れ物が欲しいといったような、政党としての都合も反映されています。また、自治体の首長などを中心に、切り捨て・置き去り候補地関係者の間には、反対論も根強いので、今後、どのような方向に動いていくかは、まだまだわかりません。

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平成の大合併

→2005年4月号参照

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