月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
袋小路派の政治経済学*[企業買収、会社は誰のもの]
執筆者 土屋 彰久

袋小路派の政治経済学*[企業買収、会社は誰のもの]

株主民主主義

「株主民主主義」という言葉は、村上ファンドによる東京スタイル株の大量取得事件あたりから、よく聞かれるようになった感があります。それまで、企業経営を巡って議論されてきた民主主義というのは、たとえばドイツの共同決定方式、あるいは旧ユーゴの自主管理労組のような、従業員の経営参加を志向する文脈において言われていたものでした。これに対して、「株主民主主義」というのは、同じ「民主主義」という言葉を用いながら、それまでの動きとは正反対の方向性を打ち出したものでしたが、テレビでもさかんに使われたために、それなりに認知されるようになりました。このような言葉がろくにその含意や文脈を検証されることもなく、すんなりと受け入れられた背景としては、<1>それ以前の従業員参加型民主主義の動きが、日本においては著しく低調だったこと、<2>日本では、「民主主義」それ自体に対する理解が不足しているにもかかわらず、逆に絶対善のように捉えられていること、<3>この言葉を定着させようという意図が、大手メディア、あるいはその背後の勢力にあったことなどが指摘できると思います。そんなわけで、ここで軽く検証したいと思いますが、株主民主主義というのは、出資比率に応じて議決権に差が設けられており、しかも株主による株式保有に制限はないという点で、現代民主主義の基本原理の一つである「一人一票の原則」とは、完全に対立するものです。これを国内政治に置き換えると、一人で東京都知事の選挙権を20票持ち、神奈川県知事の選挙権を10票持ち、しかもそれを自由に売り買いも貸し借りもできるという、無茶苦茶な話になります。こうしてみると、「民主主義」という言葉を持ち出すことが、いかに不適当かというのがわかりますよね。要するに、中立的な立場から公平な報道をしなければいけないはずのメディアが、「株主民主主義」という言葉を自分から使うというのは、実はそれ自体ですでに、それを主張する勢力にエールを送っているに等しいということです。もう一つ、付け加えておくと、株主総会は、数が多い方が勝つ、つまり小選挙区制の選挙と同じでして、その点はどうやっても動かせませんから、日本の選挙程度の「民主性」は最初から保証されているんです。そんな株式会社の運営が非民主的だと言う一方で、落選候補への投票が完全に無視されてしまうような、肝心の国政の運営の民主性を問題にしないってのはないですよね。

ページの先頭へ 戻る

共同決定方式

共同決定方式というのは、旧西ドイツ時代から、ドイツで採られている企業経営のルールで、最初は石炭、鉄鋼産業に導入されましたが、後に全業種の大企業に対象が拡大されました。これは、取締役会の監督機関である監査役会(日本には、これそのものからしてありません)の役員の半数を労働者代表が占めることを定めた制度で、このような制度に支えられて、ドイツの労働者は企業経営に対して、強い影響力を保ってきました。このような制度の基礎には、企業の社会的責任(CSR)を重視するという特に大陸ヨーロッパにおいて優勢な考え方があります。これは、企業活動の社会的影響の大きさを考え、株主−経営者という閉じられた関係にとどまらず、従業員からさらに周辺住民や消費者といった企業活動の様々な利害関係者(最近は、ステークホルダーと言われたりもする)に対しても、企業は一定の責任を果たして行くべきという考え方です。ただし、CSRを追及していくと、それだけ企業側の負担は増え、他国の企業との競争には不利に働くことも多いため、ドイツの企業経営者からは、過大な負担がドイツ経済全体の成長を阻害しているという批判も強く、生産拠点を国外に移す動きも目立ってきています。

ページの先頭へ 戻る

企業の社会的責任(CSR)  corporate social responsibility

企業活動というのは、社会の直接、間接のバックアップなしに成立するものではありませんし、騒音や汚染などの環境負荷も伴いますので、企業も社会の一員として、社会全体の利益との調和を考慮し、その活動においても一定の社会的責任を果たして行くべきであるというのが、CSRの基本的な考え方です。これに対して、直接的な出資者である株主の利益のために活動するのが企業の責任であるとするのが、私的所有権と経済的自由に重きを置く原理主義的な資本主義の考え方で、いわゆる新自由主義の基本的な主張でもあります。最近の日本では、政官財にメディアも加わっての新自由主義化の動きの中で、会社は株主の物という風潮が強まってきていますが、実は、その本家と目されるアメリカにおいても、世論調査の数字などを見てみると、企業は株主の物であるという意識は、むしろ日本ほども強くはなかったりします。そうした状況からは、一部の勢力の都合に合わせて、日本の世論が誘導されている姿が透けて見えてきます。ただ、グローバリズムの進展により、日本がヘドロの海にそびえ立つゴミの山になったところで、別に困ることはないような外資が、日本の優良企業の株式を大量に確保しているような現在の状態では、「国際競争力の強化」を口実にCSRの歯止めが失われることになれば、日本が好き放題に食い散らかされる可能性は高いと言えましょう。

ページの先頭へ 戻る

M&A  merger & aquisition

近年のアメリカ型企業買収の本格化により、定着してきた言葉の代表格がM&Aです。、実際に行われているのは、ほとんどが企業買収なので、M&Aというのは企業買収、それも敵対的買収のことを指していると思っている人も多いと思いますが、本来は、円満な対等合併や部門買収なども含めて、M&Aと総称されています。アメリカでは、同族経営に代表される日本型の閉鎖的な企業風土とは対称的に、起業や事業の売買がさかんに行われてきました。だから、株式を公開するというのは、アメリカの感覚では「いつでも会社売ります」という意味合いが含まれており、売る気がない場合には、株式を公開しなかったり、最初からパートナーシップの形態を採ったりします。これに対して日本では、株式市場がある種のバクチ場としていびつな発展を遂げてきたという経緯もあって、資金調達のために株式を公開するだけで、経営権を手放す気は毛頭ないというのが暗黙の前提となってきました。だから、表面上は同じような株式市場を運営しているように見えて、M&Aに対する感覚というのは、日米では正反対と言ってもよかったんですね。しかし、表向きはアメリカのあり方の方が筋が通っているので、出るところに出ると、日本側は文句は言えません。それでも、かつては持ち合いのような様々な“理論と現実を隔てる壁”によって、外資による買収を阻止してきたのですが、その壁を一つ一つ崩された結果、その気はなかったはずなのに今さら非公開に戻すこともできないしと、退路を塞がれた状態でタコツボから引きずり出されてしまったというのが、今の日本企業の置かれた状況です。こうして、これまでの動きを振り返ってみると、外資、というかアメリカは、チェスのように先の先を読んで仕掛けてきたということがよくわかります。対する日本の財界は、囲碁、将棋を嗜む経営者は少なくないくせに、まるで先が読めていなかったようです。いや、そうとも言い切れないですかね。今日の状況を見越して、さっさと外資の軍門に下った企業は、今、大威張りで“日本の”財界を仕切っています。日本経団連会長を輩出しているキャノンなんて、外資の保有率が50%超えていますからね。

ページの先頭へ 戻る

同族経営

企業買収の文化とは対照的とも言えるのが、同族経営の文化です。最近、パロマ、不二家、あるいは三洋電機など、大企業の同族経営が表立って問題とされることが相次いでいますけど、同族経営自体は、別に日本の専売特許でもなんでもなく、世界中どこを見ても、別に珍しいものではありません。ただ、元々が身分制の封建社会から、一足飛びに上からの近代化が行われた日本では、富裕層がそのまま企業経営者に移行し、事業が家業化していったこともあって、そこに後から加わることになる新興企業家も、一代で築き上げた事業をやはり子孫に家業として伝えていく傾向が特に強いという事情があります。対して、日本とは対照的に際立ってドライなアメリカの場合、「一山当てたら、後は遊んで暮らす、もしくは次の山を探しに行く」というのが当たり前というところがありまして、企業名に創業者の名前が残っていることは意外と多いくせに、企業自体はとっくに売却済みなんてのが普通です。同族経営の企業というのは、大抵、風通し激悪の前近代的体質を誇っているので、不祥事が発覚するたびに、改革の必要性を世に痛感させるなどして、“近代的で合理的な”外資の進出を心理的にサポートするような効果をもたらしたりもしています。たしかに、日本経済のさらなる発展のためには、そろそろ同族経営の文化を克服して、次の段階に進んでことは必要でしょう。でも、政治の世界で同族経営を歓迎しているこの国民に、その意志や能力があるかというと、かなり疑問が残ります。

ページの先頭へ 戻る

脱・世襲型企業

→2002年09月号参照

ページの先頭へ 戻る

三角合併

これこれ、これなんです、今回のネタは。元々、株式交換による企業合併が解禁された1999年の段階から視野に入ってはいたんですが、2005年の会社法制定により、株式交換における「合併対価の柔軟化」が進められ、同法の施行から1年の猶予期間を経た2007年の5月1日から、いよいよ解禁となります。ここのところ、この三角合併を巡る議論が賑やか(←「お前もだろーが」と言われるのはわかってます)なのは、これにより外国企業による国内企業の買収がさらに容易になり、実際に買収が進むと見られているためです。法律上には、別に「三角合併」として定型化されているわけではなく、「合併対価の柔軟化」に伴い、可能となる企業買収の一形態が、その図式から「三角合併」と呼ばれているにすぎません。で、実際、どういう図式になるのかという話ですが、外国企業G社が、国内企業K社を買収しようという場合、金で株式を買い集めるのが第一の手段で、国内に子会社g社を作って、g社とK社の株式交換により吸収合併するのが第二の手段となりますが、この吸収合併の際に、g社の株式ではなくG社の株式を交換のネタにできるというのが「合併対価の柔軟化」のポイントで、そのようなやり方による第三の買収方法が「三角合併」と呼ばれています。だから、見方によっては国内子会社g社を経由した「迂回買収」と考えてもいいんですね。実際、手続面で言えば、必ずg社を経由するので「迂回買収」の方が適当とも言えるんですが、実質面では、K社の株主に対する合併対価として、G社の株式が直接提供されるに等しいために、手続の流れはG→g→Kの線、資本の流れはG→Kの線で表現されることになり、きれいに三角形ができあがるというわけです。

ページの先頭へ 戻る

三角合併解禁

三角合併の三角たる所以はわかっても、それだけでは、国内企業にとって脅威となると言われても、ピンとこないですよね。そこをもうちょっと説明しましょう。実は、大企業のレベルで言うと、日本の大企業はシェアや収益力の割に、外国企業よりも時価総額が小さいんです。ただ、これには為替相場や経済文化、企業風土など、様々な要因が関係しているので、それが実力相応の数字というわけでは、必ずしもありません。逆に言うならば、実質と名目の間に差があるならば、その差を突けばビッグ・ビジネスのチャンスということになります。そして、そうした儲け方は、すでに規制緩和後に村上ファンドやライブドア、あるいはスティール・パートナーズなどが、ガンガンやってきているんですね。ただ、それでも、以前は現金が必要だったんです。ここまで来ると、話は半分くらい見えてきたと思います。株価というのは、実態からかけ離れたレベルに持ち上げるのは簡単です。ただ、それをそのまま現金化するとなると、売りに押されて株価が下がっていくので、現金になった段階では大きく目減りすることになります。これが、株式交換ということなら、市場で売ることはないので株価が押し下げられることはないので、割高な会社の株を持っていって、割安な会社を乗っ取ってしまえば、ボロ儲けとなります。これを小さな形でやったのが、ニッポン放送の買収をテコに、「資本提携」の名の下に、割高な自社株を大量にフジテレビ側に押しつけたライブドアです。実質的には同じようなことを、外国企業が国内企業に対して、ガンガン仕掛けられる、それが三角合併解禁の意味するところです。ま、言うなれば、ブクブクと太った贅肉体質の外国企業の“脂肪株”と、絶不況ダイエットで絞りに絞った筋肉体質の国内企業の“血肉株”とが、ちょろっと交換されるという話です。で、そのお先棒を担いでいるのが、橋本、小泉、安倍と続く自民党政権であり、外資の代弁者と化した財界トップなわけです。

ページの先頭へ 戻る

株式交換

現在のところ、まだ友好的買収においてしか認められていないので、その弊害が噴出するには至っていませんが、元々、三角合併解禁への道筋は、1999年の株式交換による企業合併の解禁によってつけられたという経緯があります。株式交換というのは、簡単に言えば、吸収される会社の株主に、合併後の会社の株を提供するというもので、わざわざ金を動かさなくても、吸収・合併による企業再編が進めやすいという利点があります。たしかに、未公開企業同士で全株主が同意しているような場合には、非常に好都合です。しかし、上場企業同士の場合、同じ企業の株主の中でも利害の対立はありますし、さらに合併割合≒交換割合の算定を巡っては、双方の株主の利害は完全に衝突することになります。加えて、一方の上場企業が他方を普通に買収する手順を考えると、売れば売るほど安くなる自社の株を売って得た現金で、買えば買うほど高くなる相手企業の株を市場で買い付けることになるわけですから、スタートの時点でたとえ時価総額が等しかったとしても、途中で弾切れになるのは確実です。もちろん、この問題は、見方によってどっちが異常か分かれる問題でもあるので、一概には言えないことも事実です。ただ、忘れてはならないのは、このような問題点があることを重々承知の上で、上場企業の間で行われることを念頭に置いて、このような方式が解禁されたということ、そして、この方式をうまく使えば、株価を不当に吊り上げておいて、市場を通さずに実質的に換金することが可能だということです。少なくとも、株式交換の解禁により、犯罪的な企業乗っ取りが格段にやりやすくなったことは確実です。

ページの先頭へ 戻る

敵対的買収  Hostile Takeover Bids

三角合併も含めて、株式交換は友好的買収においてしか利用できないので、三角合併解禁如何にかかわらず、今後も敵対的買収はさかんに行われると見られています。ただし、敵対的買収により、友好的買収に必要な議決権を確保すれば、その後は株式交換が可能となるので、三角合併の解禁は、敵対的買収の増加を間接的に後押しするであろうとは見られています。ちなみに敵対的買収というのは、「現経営陣の同意がない」という意味なので、別に「この会社を潰してやろう」とか、「ギタギタにしてやるぅ」というような、一般的な敵意の類に基づいているという意味ではありません。ただ、現実にはギタギタに切り刻んで、オイシイところだけを切り売りし、残りカスはペッペと吐き散らしていくようなケースもけっこうあるので、意外と名は体を表しているのかもしれませんね。特に、最近の敵対的買収のスタイルは、日米の経済文化の違いに目を付けて、最初から資産切り売り型の短期投資の戦略で仕掛けてくるものが多いので、騎馬民族対農耕民族、肉食獣対草食獣といった図式と重なる感じで、やられ放題の感があります。もう少し具体的に言うと、日本の投資ビジネス(=金融業)の従来型の収益システムは、貸出・投資先の安定的な経営の上に、長期に渡って薄く利を取るというものなので、投資先の経営基盤を破壊するようなやり方は控えてきたんですが、アングロ・サクソン流のやり方は、とにかく短期で利ざやを出せばよいという感じなので、売れる物はガンガン売って投資を回収し、それで潰れたら次の獲物を探すというスタイルで、この方が短期の競争には決定的に有利なんですよね。まあ、同じ馬に乗って荷物を運ぶビジネスで言うと、道中で馬がへたってきたら、自分は降りて歩くのが日本流、死ぬまで走らせて、死んだらその場で解体して肉を売っ払って、また新しい馬に乗り換えて走っていくのがアングロ・サクソン流と考えると、その違いがわかりやすいでしょう。そうなると、乗られる馬の立場で考えれば、やはり外資は基本的に「敵対的」ということになるのかもしれません。

ページの先頭へ 戻る

TOB  takeover bid

敵対的買収において、最も一般的な手段がTOBです。ちなみに、TOBというのは、実は和製略語でして、外国では略さずに“takeover bid”と言わないと通じません。似たようなものに、UFOを「ユーフォー」と発音する和製発音もありますが、こちらも外国では「ユーエフオー」と言わないと通じません。まあ、外国に行って、「おい、ユーフォー飛んでるよ!」なんて言う機会は滅多にないですけどね。日本での正式な用語は「(株式)公開買い付け」で、原語である“takeover bid”の直訳「乗っ取り勝負」に比べると、かなりかしこまった印象ですね。基本的には、上場企業の株式について、市場外で発行済み残高の5%を超える量を買い付ける、もしくは、取得後に保有割合が3分の1を超えるような場合には、この公開買い付けの手続によらなければなりません。この手続に入ると、買い付けの期間、価格、株数を公表し、この期間は他の手段で購入する事はできなくなります。当初はこの規制に、「大量の取引が行われる時間外取引でも市場内取引に含まれるのでTOBの必要はない」という抜け穴が空いていたのですが、この穴を突いてライブドアがニッポン放送株を大量取得するという事件が起こったことから、制度が手直しされ、時間外取引もTOB規制の対象とされるようになりました。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS