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〈ブーム〉の反対語=〈××離れ〉〈脱××〉〈失われた××〉の用語集
―― 衰退は復活のはじまり
 

脱××

いちばん近いところでは「脱ダム宣言」というのがあったが、じつは「脱××」といういいかたは、70年代から80年代の流行。「××離れ」よりはポジティブな“離れ”かたで、新たな型を構築してゆこうというニュアンスがある。当時の解説を今日的に読めば、「脱」せねばならないという問題意識はあったものの、それを脱却するのがいかに難しく、また新たに構築することがいかに難しかったか(じっさい問題解決が、20年を経た今日まで先送りにされていたりする)がわかる。

「脱」

1973年版〈脱社会・管理社会用語〉本誌収録。以下、

現代人の奇妙な脱願望のあらわれについて語られることが多くなっている。この現象は、おそらくダニエル・ベル(著書「イデオロギーの終焉」で有名なアメリカの社会学者)の、あのポスト・インダストリアルソサイエティを、脱工業化社会と、いみじくも日本語に移しかえたことからも来ているであろう。

脱○○には、○○を脱して、どこへ行くのか、またどこへ行けばよいのかそれが明示的に示されていないところが、とくにうまく出来ている。

たしかにわれわれの社会についてのさまざまな確信は壊れはじめている。最近まで、科学技術の進歩が社会の繁栄に、人間の幸福に直接的に結びつくということに疑いがさしはさまれることはほとんどなかった。

ところが、野放し的に科学技術の進歩を推進してきたことが、人類を破滅の危機に追い込むのではないか、諸悪の根源は科学技術にあるのであり、その成果をもとに、社会の計画・制御をしてゆくことにこそ、間違った人間の思い上がりの根源がある、と考えられ始めている。

そうした意味において、管理社会(最適化社会)の計画・推進という考え方と、それはすべて人間に対する自由の束縛であり、人間と自然の破滅への道であるという考え方の、この2つは、今後も鋭い対立をみせていくであろう。

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脱工業化社会(postindustrial society)

1972年版〈未来学用語〉本誌収録。以下、

工業社会のつぎの段階の社会の呼称。現在の高度工業社会ないしは産業社会の将来がどうなるかについての研究のなかから生まれてきた未来の社会構成体についての新しい概念。産業革命以降の工業を中心とする社会をわれわれは工業社会(industrial society)と呼んでいるが、20世紀末にかけての巨大な転換は、ある意味で産業革命を上まわるものであり、これを通じて形成されてくる新しい社会は、その多くの特徴からみてむしろ工業社会の後の段階の社会とみなすべきものだというのがこの考え方の前提であり、それは工業社会以前の社会(preindustrial society)に対応するものとみなされる。このことばはアメリカの社会学者リースマンやベルらによって用いられ、しだいに一般化するにいたった。脱工業化社会の特徴についてはさまざまな性格づけがなされているが、多かれ少なかれそこでは、豊かさと余暇、発達した情報ネットワークと知識の中心的役割などが強調されているといえるであろう。

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脱情報化社会(情報増幅社会からの脱出)

1973年版〈脱社会・管理社会用語〉本誌収録。以下、

現代人はかつてない大量の情報の氾濫の中でおぼれかけている。そしてこの大量情報の洪水から逃れたいという潜在欲求を現代人のほとんどが持っている。社会の情報化が進むほど、大量の情報の洪水の中から必要とする質の高い情報を判別・選択し、必要なときに検索し、加工し、新しい情報を生み出したりする、より高度な情報処理能力が要求される。供給される情報の質が粗悪であれば、われわれの生活はけっして幸福にはならない。むしろかえって、人間は欲求不満になり方向感覚を喪失してしまうであろう。今後、情報環境の質の改善という問題を、真剣に考えないと、この面から大きな社会問題が発生してくることになる。至急に対策がのぞまれているのである。

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叛・脱・告発の時代

1973年版〈脱社会・管理社会用語〉本誌収録。以下、

われわれ日本人は、とくに戦後近代的。西欧的な科学技術体系をとめどもなく導入発展させることに血道をあげてきた。そして、その成果を、経済成長を一本槍的に目指した社会政策と直結することによって、社会の豊かさと繁栄を追求してきた。それはかなりうまく達成され、60年代の擬似的国民目標として機能した。これがわれわれの幸福を実現する最良のやり方だと考えられてきた。花よりまずダンゴであった。

ところが、右のようなやり方で「片隅の幸福」は達成しえても公共的なレベルでの貧困をよりきわだたせた。また何がしかを得たことが、かえって欲求不満の顕在化と“管理されること”からの自由を求める方向への原動力となってきているのは歴史の皮肉である。折しも環境問題から発した反技術主義の高まりと重なって、60年代の終りから70年初頭にかけて、反管理、脱社会、社会的告発、異議申し立ての時代が始まるのである。

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脱サラリーマン

1971-72 あたりの流行語。

1973年版本誌〈社会風俗用語〉収録。以下、

サラリーマンが、サラリー(給料)をもらう立場から脱却して、独立しようという考え方。略して脱サラ。会社勤めでは自分に向いた仕事ができず、それに見合う収入ももらっていないと考えるサラリーマンが増えている。別の会社に移ってもどうせ同じだから、いっそ独立して好きな仕事をしようということになる。国家試験などで資格をとるもよし、身にわざがなければラーメン屋も悪くないと、脱サラの入門書が巷にあふれている。

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脱就職

1974年版本誌収録の言葉であるが、現実はその後20数年変わらずであった。1990年のバブル崩壊後、慢性的不況によって脱就職族が“結果として”大量に生まれるが、もちろんこれは当人の自発的な《脱没個性》とはいいきれない。

1974年版本誌収録。以下、

有名高校から有名大学を経て、一流会社へ就職するのがこれまでの若者の夢だった。少なくとも、それが出世するための一番堅実な道だった。ところが、どう価値観が変わったのか、いまの大学生の間では「一流会社に就職して出世する」という考え方ははやらない。むしろ、自分に納得のゆく生き方ができれば、人生に悔いなしとする。したがって、旧来の就職形態にこだわらず、大学を出て板前になったり、日雇い労働者になったりする若者がどんどん増えている。脱就職が、脱没個性でもあるわけだ。

〜きわめて前向きな概念であるが、多くの就職学生にとって現実はその後20数年変わらずであった。つまり、やはり安定的な大企業を志向したわけだ。1990年のバブル崩壊後、慢性的不況によって脱就職族が“結果として”大量に生まれ、あるいは大企業すら《安定》を失って、お決まりの就職構図が崩れつつあるが、もちろんこれは当人の自発的な《脱没個性》とはいい難い。

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脱経済時代

1977年版本誌収録。以下、

さまざまな産業公害が火付け役となって、企業がこれまで信奉してきた、企業は利潤追求のためにあるという“利潤原理”や、よりよい製品・技術でという“競争原理”が根底から揺るぎ始めている現代社会をさしていう。

いまや企業は、広い視野からの自覚と人間中心の理想社会の実現に向かって努力を迫られているが、水俣病患者に対するチッソに見られるごとく、企業の意識の遅れがめだつわが国では、企業がその根本的体質の欠陥をぬぐいさるのは、容易なことではない。

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脱石油

1980年版本誌収録。以下、

先進工業国は、OEC、IEAなど国際的協議の場で、早くから石油依存の軽減を申し合わせてきたが、1979年のイラン政変による石油輸出停止、およびこれに続く中東産油国の増産忌避の空気の高まりをみて、いよいよ本格的に、石油以外のエネルギー源開発を進めることになった。

具体的には、原子力、石炭、地熱、太陽熱などの開発・利用を促進することになるが、最近までの風潮では、原子力発電の安全性にたいする嫌疑、石炭利用に伴う公害の嫌悪感などにより、脱石油の実行は常に目標から遅れていた。

政府は、この遅れを取り戻すため、一連の助成措置を強化することを考えている。エネルギー転換促進税は、そうした助成措置のための財源となるものであるが、脱石油がいかに推進されるかについては、この新税の是非もふくめて、国民の論議を呼ぶことになりそうである。

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脱本業

1973年版本誌収録。以下、

従来の中心業務にあまり関連のない業務に進出することをさした俗語。一種の多角経営化であるが、その中でも関連性の薄いものへの進出をいう。たとえば、ある商事会社は、鋼材・非鉄金属・鉄鋼原料など、鉄鋼関係を中心にしていたが、全額出資で牧場経営会社を設立し、競走馬の生産に乗り出した。脱本業の理由はいろいろあるが、危険分散、本業の将来性不安への活路打開、人材活用などである。

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脱・世襲型企業

1993年版本誌収録。以下、

『日経ビジネス』誌の調査(1992年1月6日号)によって分類されたもので、オーナー、創業者一族がトップの座を生え抜きに譲り、一族は会長などの名誉職や大株主として残っている企業をさす。これに対してオーナー、創業者一族が依然社長を務めている企業を世襲企業、またそれとは全く逆にもはや創業者一族やオーナーが存在しない企業をサラリーマン企業と呼ぶ。同調査によると、脱・世襲企業は過去30年で売上高の伸び率が最も高いこと、それに続くのが世襲企業で、サラリーマン企業が最も低い。業種別に見ると、世襲企業が脱世襲企業を上回ったのは自動車のみで、サラリーマン企業で伸び率がトップになったのは食品だけであった。その理由として、世襲企業は経営者自身が大株主であること、またサラリーマン企業は企業間の株式持ち合い構造のために経営者行動に対するチェック・アンド・バランス機能が作動しないことが挙げられる。

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脱・飽和市場(post‐saturated market)

1986年版本誌収録(初出)。以下、

飽和状態になっているマーケットからの企業努力による脱出作戦。企業多角化、異分野への進出、成長分野への参入などによって、ゴーイング・コンサーン(先進企業体)としての存続を図る脱出志向は、業種・業界の如何を問わず、一層強化されそうである。

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脱ハイパー主義(post hyperism)

1996年版本誌収録。以下、

超時代の超克。最近の若者は「超おもしろい」とか「超つかれた」……などと何にでも「チョー」という接頭辞を付けてしゃべる。これはモーレツ時代からバブルの絶頂期にかけての「大きいことは良いことだ」(ビッガー・イズ・ベター)主義が次世代を担うべき子供たちにまで伝染してしまった悪弊の最たるものの一つと考えられる。すなわち、この国にスーパー・マーケットが出現した頃から「何ごとにつけても“スーパー”であることはすばらしいことなのだ」といった感じが蔓延しはじめ、やがて「その上をゆくと思われる“ハイパー”のほうがもっとすばらしい!」といった感じでエスカレートしていったのだ。しかし、ハーバード大学の佐藤隆三教授の指摘によれば、「ハイパー(hyper)という英語は決して良い意味ではなく、ましてやスーパー(super)よりさらに上位などということではない」(『フォーブス』日本版1995年10月号)のであって、むしろハイパー・インフレ(悪性インフレ)とかハイパー・アシディティ(胃酸過多症)……といったふうに悪い意味に使われることが多いという。すなわち、(1)後発先進国(韓国・台湾・シンガポール等)における超企業主義、(2)成熟資本主義たる欧米諸国の超自己主義、(3)かつての共産圏での超国家主義、(4)発展途上国での超制度主義、の4つの“超(ハイパー)の価値体系”がそれぞれ行き詰まった結果、人類社会全体に根源的な変化の波が押し寄せてきた。それなのに、依然として日本だけがそのような“ハイパー主義”の幻影にとらわれており、いまわれわれを脅かしている空前の危機も、ハイパー企業主義やハイパー制度主義などを駆使することによって何とか乗り切れる、と考えている人が意外なほど多い。しかし、過ぎたるは及ばざるが如し、“脱ハイパー主義”こそがチョー大事なのではあるまいか。

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脱政党

1972年版本誌収録。以下、

明確な政党支持の態度を示さない有権者の政治意識。所属する政党とか、推薦母体のいかんにかかわらず、候補者自身の人柄とか識見を主眼として投票する傾向を指す。政党側もそれを意識して、はっきりとした所属政党を名乗らないで「○○を明るくする会」であるとか「○○をきれいにする会」などという市民団体をバックとして候補者を出すようになった。物価高や公害などに対する国民の政治不信からきたものであろうが、逆に既成政党が国民の心理をつかんでいないところにも、その理由がある。

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脱政治傾向

1973年版〈脱社会・管理社会用語〉本誌収録。以下、

都市の住民にはとくに、脱政治、脱政党といわれる現象がつよくあらわれている。つまり、世論調査の方法で有権者に支持政党を質問した時に「支持する政党なし」とする答えが、都市では目立って多いし、その割合が最近になるほどふえているという現象である。A新聞社の選挙調査予測よると昭和39(1964)年以前には、支持なし層は15-20%程度であったが、最近では40%を確実に超えている。かつての支持なし層の特性は、政治についての知識も関心もないために、どの政党を支持してよいかわからないといったものであった。

ところが最近の支持なし層は、政治の知識もあり関心がありながら、既成政党に失望しているゆえに、支持なし層に分類されるという、政治関心型支持なし層となってきている。こうなってくると、“政党使い捨て時代”という状況があらわれる。これが都市化のもたらす新しい状況の一つであり、これにうまく対応できている政党はいまのところないといってよい。

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脱都市心理

1973年版〈脱社会・管理社会用語〉本誌収録。以下、

大都市は人々にとって大きな魅力の源泉であるとともに、大きな欠点をもかねそなえた、一大生活空間なのである。大都市には、いわば、心理学者のいう接近-回避のコンフリクト(葛藤)状況が現出されている。いまやわれわれが日常それを経験しているように、都市の状況は耐えがたいものになってきつつある。しかしまたそれに耐えて生きていかねばならない条件も、ますます増えつづけている。つまり大都市は、その生活環境としての混乱と劣悪化によって、回避すべきものとなっていると同時に、その魅力のゆえに接近したいものである。これが接近-回避のコンフリクトである。現代人はいま、都市というものにたいして、ときがたいアンビバレント(両面価値)な心理状態におちいっている。こうした傾向はけっして望ましいものではない。しかし容易には解消しえぬコンフリクトである。

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脱文明

1973年版本誌〈時代感覚用語〉収録。以下、

過去数百年続いた「工業化」時代から、いまは「脱工業化」社会へ入っているという。工業文明が荒らした緑の野山へ「脱工業化時代」の若者たちは帰ろうとしているのではないだろうか。若者は未来を志向するという。若者の目ざす方向がこれからの社会の方向を示している。とくに最近のように若者が年配者や権力者の支配から自由に発想し、行動する時代には、若者の志向はそのまま未来をさし示しているのである。15世紀、グーテンベルクが活字を発明してから始まった工業化時代は、20世紀も半ばを過ぎた今「脱工業化、脱文明時代」へと脱皮しようとしている。

文明化の波が自然との調和を破壊し、公害をひき起こすとするなら、脱文明化の動きは自然との調和を回復しようとするのだろう。「遠目のきく」芸術家たちは、すでにこの脱文明時代の到来を予言していた。「都会は人の住むところではない」といったのはロダンである。森の哲学者といわれ、名作「ウオルデンの森」を著したソローもこの一人だろう。少数の「真の芸術家のみが前を見る」「大衆は前を見ているつもりでもバックミラーを見ている」といったのはマクルーハンだが、バックミラーを通して過ぎ去った過去を見ている大衆ですら、緑の田園に最高の憧れをもち始めたという事実は「脱文明時代」がすでに始まったことを示している。

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脱セクト時代

1973年版本誌〈社会風俗用語〉収録。以下、

脱○○ブームにあやかったわけでもあるまいが、新左翼の各派から脱して(脱セクト)、独自の行動に走る過激派の小グループが出てきた。この集団は、集会やデモには黒ヘルメットで現れるが、特定の既成組織に属していないため、公安当局ではその実体をつかめず、手を焼いている。朝霞の自衛隊員殺しをはじめ、既成セクトの闘争スケジュールに関係なく、ハプニング的な行動をとるのが特徴だ。官憲への反発に加えて、既成セクトへの不満が、こうした脱セクト時代の到来を招いたといえる。

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脱新左翼

1982年版本誌収録。以下、

学生や若者の左翼、新左翼離れの現象が著しく、各派全学連大会の参加者数をみても、数年前にくらべると3、4割減で、全盛時代の三派全学連時代以来、4ケタ=1000人台の数字を記録したことはない。この背後には、学生、若者に全体的な、政治離れ、運動離れの現象があり、大学のマスプロ化、大学の大衆化による学生の意識の多様化や、経済事情の悪化による就職難への思惑からの現実化、保守化もある。と同時に、左翼、とくに新左翼のこれまでと現在の活動のあり方に対する批判、不満も大きく、10年前の大学闘争のあの大衆的な全共闘運動後、またもむき出しになった党派のエゴ、狭隘な武装闘争至上主義への反発も強い。さらに、左翼、新左翼離れの大きな要素として、現実の社会主義、共産主義への広範な幻滅、絶望感をあげなければならない。このところのベトナム・カンボジア、中国・カンボジアといった社会主義国家間での軍事介入と戦争、さらにソ連のアフガニスタンへの軍事介入、またカンボジアでの大量虐殺、ベトナム、カンボジアから多くの難民流出、「4つの近代化」などにみられる中国の物質文明、資本主義への傾斜など、現実に存在する社会主義、共産主義国は新左翼が掲げた革命の理想、神話を打ち砕き、新左翼運動への広い魅力喪失状況を強めている。

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脱春闘

1985年本誌収録。以下、

春闘(によるベースアップ)という方式は、昭和30(1955)年以来、わが国の労使関係の一つのパターンとして定着してきたが、これはもともと、一方で、インフレによって消費者物価が毎年上昇するため、ベースアップをしなければ実質賃金の維持ができないということと、そして他方、日本経済全体としての成長率ないし生産性向上がそれを可能にしてきたこと、の2つの条件の上に成り立っていた。しかし最近のように、インフレによる物価騰貴の趨勢が収束しまた国民経済の成長率が頭打ちになってきた状況の下では、従来のような春闘方式のスケジュール的画一的統一要求は戦術的に見直すべきだとする議論が出てきている。その他、官・公・私間および私企業間の格差の増大ということも全労働者一体の共同闘争としての春闘からの「脱皮」を現実の声としている。

春闘共闘委員会や主要単産の側には春闘そのものの廃止論はないが、経済の成長率や雇用状況に合わせた低成長型の春闘を、という見直し論は少なくない。

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脱家族化現象(post nuclear-family phenomenon)

1982年版本誌収録。以下、

1960年代から70年代にかけてのもっとも現代的な家族関係は、核家族(ニュークリア・ファミリー)であるといわれた。しかし、最近のアメリカでは、そのような家族の最小単位である核家族さえ嫌って、「ノン・ニュークリア・ライフスタイル」を求める動きがさかんに起こっている。これを「脱家族」化現象と呼ぶ。すなわち、かつてのヒッピー・コミューンやセックス・コミューンなどとはかなり趣の異なった共同生活を送る人々が、ものすごく増えてきているのである。独身女性、子連れの男やもめ、年金生活者の老人…など、主義・信条の違った老若男女が一軒の家を借りて「雑居生活」を営むという80年の新しいライフスタイルなのだ。食堂・台所などは共有で、電話・ガス・電気料金は均等分割、食料品もまとめて買い、テレビやステレオ、自動車も共有にする。バラバラになった人間たちが、ふたたび連帯感を取り戻しはじめたのだろうか。

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脱病院化社会

1984年本誌収録。以下、

イヴァン・イリッチの書いた本の題名。現行の医療のあり方をみると、病人は医師の便宜上、分類された“病気”の一つとしてとらえられる。こうした非人間化は、病人に対してだけではなく、健康な人間に対しても及んでいる。私たちは、ゆりかごから墓場まで、すきまなく管理され、“健康である自由”も失ってしまったとこの著者は主張する。病気になったら病院がある---この恵まれた医療環境から脱却するところに本当の幸せがあるのではなかろうか。幻想ではない本当の健康とは何かを、この本は問いかけるのである。

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脱国民国家(post nation‐state)

1993年版本誌収録。以下、

中央集権国家とは対照的に、国家の主権が各地方に分散されたり、国家の枠を超えた国際機関や他国の地域と構成する地域文化圏に分散されている国家のあり方。とくにヨーロッパでそうした現象が顕著に出ている。旧西ドイツの場合、各州の教育や文化は連邦政府の制約からかなりの自主性を保持している。大学教育の場でも、スイスやオーストリアの外国の大学との共通単位を取得できるほど開放されている。90年10月の東西ドイツ統一に際し、旧西ドイツは国家よりも地域(州)の自立性を重んじる「脱国民国家」という考え方を打ち出した。また、ドイツという共通文化を、一定程度の人口をもついくつかの地域文化圏が構成しているという新しい国家概念を示した。ドイツ国家は、その主権の一部を欧州共同体(EC)へ預けると同時に、地域文化圏へ分散させている。こうした傾向は、その程度は別にしても各国でみられる。従来の国家主権は事実上、対内的にも対外的にも挑戦を受け、その意味を大きく喪失している。

しかし、脱国民国家という考え方は、旧ソ連邦の崩壊、旧ユーゴスラビア連邦の崩壊、独立国家共同体(CIS)の混迷、中東のパレスチナ問題の未解決、EC統合を予定した「マーストリヒト条約」(欧州連合設立条約)に対するデンマーク国民の拒否の態度(デンマーク・ショック)などに現れているように、必ずしも一般的なものとはなっていない。むしろ反対に、主権を他の上位集団へ上納したり、他の下位集団へ分散したりするよりも、主権を強化したり集中させたりするメカニズムも働いている。とくに統合と小国の主権との調整は困難である。

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