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外来語の普及から読み解く戦後史〜part.1
著者 木村傳兵衛

外来語の普及から読み解く戦後史〜part.1

GHQ(1945年に登場の略語)  General Headquarters

連合国軍総司令部。「GHQの命により」といえば、その命令は絶対であり、1952年の対日平和条約発効まで日本に君臨した。なお、この年の流行語には一億総懺悔がある。

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一億総懺悔

1945年のことば。敗戦処理にあたった宮様内閣の東久邇稔彦首相は、8月28日に「国民はことごとく反省しなければならぬ」と発言、その後、戦争責任をうやむやにするものだとの批判が強くなり、内閣は1か月半ほどで退陣した。

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ニュー・フェース(1946年に登場のカタカナ語)  new face

英語では新顔・新人を意味するが、日本では新人俳優をさす場合が多い。この年6月に東宝が「ニュー・フェース」を募集したことから流行語となった。なお、この年の流行語にはカストリがある。

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カストリ

1946年のことば。イモなどからつくる粗悪な焼酎を「カストリ焼酎」といい、闇市に氾濫した。それを飲んで気炎をあげるインテリをカストリゲンチャと呼んだ。

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ブギウギ(1947年に登場のカタカナ語)  boogie-woogie

もともとアメリカの黒人音楽のリズムの一つ。リズムそのものは戦前からわが国に伝わっていたが、この年笠置シヅ子の歌う「東京ブギウギ」がブギウギ時代の幕あけとなった。舞台せましと踊りながら歌う笠置シヅ子のバイタリティーが庶民の心をとらえた。なお、この年の流行語には主権在民がある。

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主権在民

1947年のことば。国民主権と同義で、君主主権に対することば。新憲法の前文には≪日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する≫とある。

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ノルマ(1948年に登場のカタカナ語)  norma

ロシア語で、ソ連(当時)の労働者が一定の労働時間内にやりとげなければならない生産責任量のこと。敗戦後、ソ連から引き揚げてきた人々の口から耳なれないロシア語がとびだし、抑留中の強制労働にノルマが課せられていたという実態が語られ、流行語になった。なお、この年の流行語には冷戦がある。

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冷戦

1948年のことば。アメリカを中心とする「自由主義圏」とソ連を中心とする「社会主義圏」の対立を指す。アメリカは「ソ連の脅威」を煽り立てることで覇権を維持し、ソ連も社会主義圏を統制して自らの地域世界の秩序を構築していた。

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ワンマン(1949年に登場のカタカナ語)  one-man

第三次吉田内閣が成立し、長期政権の幕開けとなった。貴族趣味の白たび、イギリス人気どりの葉巻きをトレードマークに、政界を牛耳った吉田茂のことを、人々は〈ワンマン〉と呼んだ。なお、この年の流行語には自転車操業がある。

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自転車操業

1949年のことば。GHQの財政政策(ドッジ・ライン)によって金詰り恐慌をきたした中小企業者は、生産を止めれば会社が倒産する。たとえ赤字覚悟でも工場を運転しなければならないこの状態を、止まれば倒れる自転車にたとえたものが〈自転車操業〉ということば。

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レッドパージ(1950年に登場のカタカナ語)  red purge

5月、マッカーサーが共産党は非合法に近いことを示唆し、共産主義者やその同調者の追放が始まる。これが〈レッドパージ〉。7月には共産党機関紙「アカハタ」を発刊停止に。パージはその後もマスコミ、映画界へと広がった。なお、この年の流行語には貧乏人は麦を食えがある。

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貧乏人は麦を食え

1950年のことば。池田勇人蔵相が米価問題に関し、「所得の多い人はコメを食う、所得の少い人は麦を多く食うというような、経済の原則に沿ったほうへ持って行きたい」と暴言を放った。

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ピーアール(1951年に登場のカタカナ語)  public relations

この年、民放ラジオの幕が開いた。開局すると広告の申し込みは予想を大幅に上回り、一般にも〈スポンサー〉やPublic Relationsを略した〈PR〉、〈ピーアール〉といった新語が浸透し始めた。広告業界は大きく進展していき、本格的にPR時代が到来する。なお、この年の流行語にはノーコメントがある。

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ノーコメント

1951年のことば。「何も言うことはない」という初歩的な英語だが、この時代の日本人には新鮮な響きを持っていた。9月1日、対日講和会議出席のためサンフランシスコに到着したグロムイコ・ソ連首席全権が、記者団から質問の矢を浴びせられたのに対して「ノーコメント」一点張りで押し通して、これが流行した。

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スポンサー(1952年に登場のカタカナ語)  sponsor

ラジオで民間放送が始まった1951年から登場したことばだが、この頃はまだアメリカからの直輸入語で、馴染みがうすかった。なお、この年の流行語には血のメーデーがある。

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血のメーデー

1952年のことば。この年のメーデーは、講和条約の発効3日後で、アメリカ一辺倒の講和への反発があり、国会に提出中の破防法に対する危機感など、人々の間には不満や怒りがあふれていた。デモ隊の2人が死亡、負傷者は双方に1500余人、検挙者1200人をこえ、未曾有の血のメーデーとなった。

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プラス・アルファ(1953年に登場のカタカナ語)  plus α

いくらかのものをつけ加えること。この年の春、合化労連、私鉄総連が賃上げ要求にあたって、一律2000円と「プラス・アルファ」方式をとったことから流行語となった。なお、この年の流行語にはさいざんすがある。

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さいざんす

1953年のことば。英語と日本語がまぜこぜのことばでボードビリアン・トニー谷が人気爆発。、「レディース・アンド・ジェントルメン・アンド・おとっつあんアンドおかっつあん」と言って登場し、「さいざんす」「おこんばんは」「ネチョリンコン」などの流行語を飛ばした。

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ロマンス・グレー(1954年に登場のカタカナ語)  romance gray

和製英語。白髪のまじり出した中年男性の魅力をいう。この年、飯沢匡の同名の小説から流行語となり、イギリス映画「旅情」でロッサノ・ブラッツィが演ずる中年男と結びついた。なお、この年の流行語には空手チョップがある。

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空手チョップ

1954年のことば。相撲界からプロレスに転向した力道山が2月、シャープ兄弟と初試合。空手チョップが得意技。アメリカ人レスラーを空手チョップで次々になぎ倒す痛快さは日本人を大いに励まし、勇気づけた。

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ノイローゼ(1955年に登場のカタカナ語)  Neurose

戦前は「神経衰弱」と言っていたことばで、ドイツ語の医学用語。神経症と訳されているが、原語を使って「ノイローゼにかかってね」と言ったほうが高尚な病気になったような気がするところから日常語になった。なお、この年の流行語には三種の神器がある。

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三種の神器

1955年のことば。このころ暮らしに到来したのが「家庭電化」。1953年に三洋電機が発売した噴流式電気洗濯機が人気を集めた。電気冷蔵庫、電気洗たく機、テレビは、家電「三種の神器」といわれ、主婦のあこがれだった。

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ドライ(1956年に登場のカタカナ語)  dry

乾燥したという意味だが、流行語的には割り切った直線的な生活態度、ものの考え方、行動の型などをいう。ウェットの反対語。なお、この年の流行語にはもはや戦後ではないがある。

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もはや戦後ではない

1956年のことば。7月発表の「経済白書」が、「世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べればその欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや戦後ではない」と言い切り、戦後の経済復興にもピリオドが。

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ストレス(1957年に登場のカタカナ語)  stress

もとは医学用語だったが、機械工業畑で「ヒズミ、圧力、圧迫」という意味に使われていた。現代人の精神的な緊張、圧迫感、抑圧作用が昂ぶると、イライラや頭痛をおこしてさまざまな病気を引き起こす。なお、この年の流行語にはロカビリーがある。

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ロカビリー

1957年のことば。カントリー&ウェスタンをよりビートを強調したものがヒルビリーで、エルビス・プレスリーが震源。ロカビリーは1956年から流行のロックンロールと、ヒルビリーとの合体。このブームは日劇「ウエスタン・カーニバル」で頂点に達する。

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フラフープ(1958年に登場のカタカナ語)  Hula-Hoop

プラスチック製、直径1メートルぐらいの輪を落ちないように胴体で振り回す遊び。1957年夏、まずオーストラリアで流行、日本への上陸は58年10月。フラダンスのように腰を振って輪を回すところからこの名が出た。なお、この年の流行語にはミッチーブームがある。

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ミッチーブーム

1958年のことば。11月、日清製粉社長の長女正田美智子さんが皇太子妃に決定した。初めての民間出身のお妃とあって、「昭和のシンデレラ」として人気の的になり、多くの女性がヘアバンドやカメオのブローチなどのファッションをまね、彼女の学生時代の愛称「ミッチー」が広まった。

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タフガイ(1959年に登場のカタカナ語)  tough guy

日活は石原裕次郎を「タフガイ」というキャッチフレーズで売り出し、映画「嵐を呼ぶ男」では、1館で6日間の観客動員数2万8000人を記録した。「タフガイ」は「疲れを知らぬ男」を意味するが、これに対して小林旭は「ダイナマイトのような男」という意味での「マイトガイ」の名で売り出された。なお、この年の流行語には岩戸景気がある。

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岩戸景気

1959年のことば。なべ底不況の後、史上まれな長期繁栄がやってきた。「神武以来」(神武景気)を上回る高天原の天の岩戸時代以来というわけで、〈岩戸景気〉と名づけられた。輸出の伸びや、個人消費、民間住宅建設の伸びが高まり、需要も多様化した。

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インスタント・コーヒー(1960年に登場のカタカナ語)  instant coffee

この年8月に森永製菓がインスタント・コーヒーを発売。36グラム入り220円。一足早くインスタント・ラーメンは1958年に日清食品が発売していた。なお、この年の流行語には声なき声がある。

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声なき声

1960年のことば。1960年、5月から6月にかけて、日米安保反対のデモが大きな盛り上がりをみせたとき、岸信介首相はこれを無視。「われわれは国民の〈声なき声〉に耳を傾けねばならない」と強気の発言をした。

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