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大人の総合学習「国連事務総長」
執筆者 畑江 嘉門

大人の総合学習「国連事務総長」

事務総長  Secretary General

国連事務局は事務総長と職員で構成されますが、事務総長は国連の行政職員のトップです。任期は5年。安全保障理事会の推薦を受け国連総会が任命します。アジアや欧州など各地域の出身者が持ち回りで務めるという慣行があります。事務総長は国際平和を脅かすと認められる問題は安保理に注意を促すことができます。

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安全保障理事会

→2003年04月号参照

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コフィー・アナン  Kofi Annan

第7代国連事務総長。1938年生まれ。ガーナ出身。62年国連事務局入り。97年1月、国連職員生え抜きとして初の事務総長となりました。2001年に再選。その年、現役事務総長としてノーベル平和賞を受賞(国連本体とともに受賞)。国連を活性化させた手腕、エイズ、人権問題、テロ防止が評価されたものです。そしていま、イラク戦争で分裂した国連を再び束ねられるか、大きな課題を背負っています。2004年2月の来日時には初めて国会演説を行い、日本の対イラク支援政策や自衛隊派遣を評価するとともに、北朝鮮による日本人拉致問題にも言及しました。05年には国連石油食糧交換計画の不正への関与疑惑により、独立調査委員会の調査を受けています。

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潘基文(パン・ギムン)

2007年1月に第8代国連事務総長に就任する大韓民国の外交官、政治家。1944年6月13日生まれ。忠清北道陰城郡出身。ソウル大学校外交学科を卒業し、外交部に入部。駐インド韓国大使館副領事、外交部国際組織条約局国連課長を経て、ハーバード大学ケネディ行政大学院に留学。駐米大使館総領事、金泳三大統領の外交安全保障担当大統領特別秘書、国連大使等を歴任。04年から外交通商部長官(外務大臣)を務めていましたが、「韓国政府は国連の援助で作られ、国際社会が韓国の自由の守護を支え、朝鮮戦争後の復興においては国連の援助に相当な借りがあるので恩返しをしたい」と発言。06年末に任期を終えるアナン国連事務総長の後任として当選しました。

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アジア出身の事務総長

アジア出身の国連事務総長は1971年に退任したビルマ(現ミャンマー)のウ・タント氏以来2人目となる。 4回目の非公式投票では、タイのスラキアット前副首相、ラトビアのビケフレイベルガ大統領ら6候補のうち、常任理事国すべての支持を集めたのは潘氏だけで、他候補には常任理事国から1〜3票の不支持票が投じられました。 投票後、2位のタルール国連事務次長(インド)は「潘氏が次期事務総長となることは明白」とし、立候補の辞退を表明しました。 非常任理事国の日本も、潘氏支持を表明しました。大島賢三国連大使は「アジアの優れた候補から選出するという目的に沿った方向で事態は動いている。日本政府としての態度を最終決定した上で、正式投票に臨む」と語っています。

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常任理事国  permanent members of the security Council

常任理事国とは安保理で常任の議席をあたえられた五つの理事国を指します。そもそも国際連合の「United Nations」が「連合国」を意味するように、第二次世界大戦の主要戦勝国たるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国が常任理事国で、それぞれ拒否権が認められています。これは、第二次大戦の主要戦勝国に特権的地位と責任とを与えようとした国連創設者の意図によります。俗にP5(ピー・ファイブ)ともよばれます。

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非常任理事国  non-permanent members of the Security Council

国連の安全保障理事会における常任理事国以外の10の理事国。任期は2年で毎年半数改選、引き続き再選されることはできません。国連総会で選出され、地理的に配分されている。当初6カ国であったが、1965年以降アジア・アフリカ諸国を中心とする加盟国数の増加傾向を反映して、10カ国に増加しました。日本は06年度末まで9回非常任理事国を務めています。現在の非常任理事国は、アルゼンチン、デンマーク、ギリシャ、タンザニア、そして日本(06年まで)で、コンゴ共和国、ガーナ、カタール、スロバキア、ペルー(07年末まで)です。

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安保理の法的拘束力

安全保障理事会(安保理)の決議は国連総会に優先する法的拘束力をもっています。国連の安保理は、冷戦下ではアメリカとソ連(当時)の拒否権の応酬で機能不全に陥りました。2003年4月までに拒否権は239回行使されました。冷戦後は地域紛争や人道・開発援助などの多様な需要に対応し切れず、イラク戦争でも米・英の軍事行動を阻止できなかった国連、とりわけ安保理のあり方が問われていました。このような安保理のあり方を国際社会の現状を反映したものに改めるため、いま取り組まれているのが国連安保理改革です。

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ポスト冷戦  Post Cold‐war

→2002年09月号参照

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ハイレベル委員会

アナン事務総長は2003年11月、国連改革に関する諮問機関「ハイレベル委員会」を設けました。ハイレベル委員会が2004年11月30日に公表した最終報告書には2つの安保理改革案が盛り込まれました。国連改革には国連憲章改正が必要です。総会で加盟国の3分の2以上が賛成したうえで、常任理事国5カ国を含む3分の2の加盟国が批准することが必要で改革の実現には非常に高いハードルがあります。

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国連憲章  Charter of the United Nations

国連憲章は1945年6月、大戦終結の2カ月前に署名され、10月24日に発効しました。この日は国連発足の日であり、「国連デー」とされています。国連憲章は国連の基本文書であり、国連の目的と原則、加盟国の地位、紛争の平和的解決、侵略行為に関する行動、経済協力、といった国際間の主要原則が成文化されています。

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日本の常任理事国入り

日本政府は、「国連改革」を機に、「安保理常任理事国入り」を目標としました。日本政府の戦略は、<1>米国の支持を取り付ける、<2>同じく常任国入りを目指すドイツ、ブラジル、インド(G4)とともに多数派を確保する、<3>ODA(政府開発援助)の実績を背景にアジアやアフリカ諸国の支持を固める――というものでした。これに対し米国は「日本が安保理常任理事国になるのは支持する」としながら、安保理の大幅拡大を嫌い、G4案には公然と反対。G4の隣接国の韓国、パキスタン、イタリアなどもG4案に強く反発し、反対派のグループも拡大しました。そこでG4はアフリカ連合(AU)と組んで多数派工作をはかりましたが、一本化できず、早期の日本の常任国入りは絶望的になりました。

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