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袋小路派の政治経済学*第8講[派遣]
執筆者 土屋 彰久

袋小路派の政治経済学*第8講[派遣]

労働者派遣法

企業業績を上向かせた最大の要因はと言えば、これまでの原則禁止から原則自由へと180度の転換を見せた、労働者派遣法の大改正でした。正式名称「労働者派遣事業の適正な運営の確保および派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」、通称は「労働者派遣法」と呼ばれ、1986年7月に施行されました。その後1999年7月に大幅に改正公布。さらに派遣可能期間の延長と対象業務の拡大を軸にした、改正法が2004年3月から施行されています。

これにより、一般労働者(=一般生活者)の所得がぐいぐいと圧縮され、企業の利益に付け替えられたもので、企業側の業績は、業種によっては過去最高益を連発するほどの回復を見せる一方で、その犠牲となった一般労働者の生活はどんどん苦しくなっていったというわけです。だから、企業、中でも国内の景気の影響を受けにくい輸出産業と一般国民の景況感に大きな差が出るのは当然ということです。まあ、最近は求人倍率の上昇など、たしかに数値の上では一般国民の生活に関連が深い分野でも、景気回復の傾向が見られますが、それも毎年3万人を自殺に追い込むほどの下方圧力によって、どん底まで押し下げられた底の底からの話です。5分の1になった所得が5分の2に戻ったからと言って、所得倍増と素直に喜べます? しかも、それも数多の同朋を自殺や過労死に追い込んできた労働条件切り下げ競争に、やっとこさ生き残っての結果としてです。さてさて、それではこの「労働者の死神」にして、「企業の救いの神」である労働者派遣が、果たして政府・与党・経済界が喧伝するように「日本経済の救いの神」なのかどうか。

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派遣(労働者派遣/人材派遣)  temporary service

普通、というか、“以前の普通”、企業は労働者を直接雇用して、その職場で働かせていました。これに対して、派遣元の企業を通して、間接的に雇用するのが派遣です。具体的には、派遣労働者は派遣先の指示を受けて働きますが、直接の雇用主は派遣元の派遣会社の方で、給料も、同じ職場の直接雇用従業員とは別の給与体系に基づき、派遣元から支払われるという形になります。派遣ビジネスの始まりは江戸時代の口入れ屋で、戦前の労働抑圧型の経済体制の下でも、当然、規制は無きに等しく、派遣にしろ請負にしろ、労働者供給業は盛んに行われていました。これが、敗戦後の民主化で状況が一変しまして、手厚い労働保護法制の導入により、職業紹介事業は職業安定所の行う公行政に一本化され、多重搾取構造の象徴であった職業紹介・労働者供給業は、一部の例外を残して姿を消しました。ただ実際には、偽装請負などの形をとって、水面下で脱法行為が横行していました。このような問題状況に対処すべく、80年代半ばに専門的な職種に限定して、労働者派遣業を解禁するなどの立法措置がとられましたが、実態に合わせて派遣労働の適正化を図るという表向きの立法趣旨とは裏腹に、そもそもが脱法行為の追認という方向性を持っていたため、企業側の姿勢に大きな変化はもたらしませんでした。このような状況に拍車をかけたのがバブル崩壊後の長期不況で、雇用の流動化が進む中、一時的な専門技術者の雇用という本来の趣旨からは外れて、人件費圧縮のための派遣労働者の利用が広がりました。こうして「派遣のうまみ」を覚えた経済界からの要望を受けて、新自由主義路線へのシフトを進めていた政府は、規制緩和政策の一環として、それまでの原則禁止を原則自由へと転換する労働者派遣法の大改正を1999年に行いました。ちなみに、2003年の改正では、諸条件がさらに緩和されており、脱法行為や派遣業者の暴利行為が横行する実態とあいまって、ほとんど法律の存在意義そのものが問われるような状況に陥っています。

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派遣の利益

派遣が、まだそれほど広がらなかった頃、派遣の原則自由化は、労使双方に利益をもたらしているように見えていました。魚釣りでも大物がバンバン釣れるように、何でも解禁直後というのは、良い側面の方が先に出てくるものです。これは経済学的には、《コスト(抵抗)が小さく、利益が大きいものから先に実行される》という、合理的選択&効用逓減の法則の応用で説明がつくんですが、政治学的には、《まずはプラスの側面を強調して既成事実を積み上げ、オイシイところは後戻りの心配がなくなったところで後からいただこう》という、初歩的な深慮遠謀として解釈できます。まあ、いずれにせよ、企業側は人件費の圧縮が容易になる一方、労働者の側でも、当初は「自分のライフスタイルや人生設計に合わせて働ける」とか、「残業なしで定時に帰れる」といったプラスの側面が評価されていました。とりあえず、ここで第一ツッコミを入れておくと、正規雇用だと定時に帰れず、ライフスタイルや人生設計を犠牲にせざるを得ないという、フツーの職場の異常さの方が問題なんですけどね。ただ、こんな側面をプラスに感じていられたのも、派遣労働者が少ない最初のうちだけでした。派遣労働者が激増して競争が激化した今では、代わりはいくらもあるし、どんなムリでも派遣会社は顧客である派遣先の意向を最優先するので、サービス残業を断ればクビになるのが普通ですし、そのような長時間・低賃金・不安定という劣悪な労働環境の中、労働者の人生は思いっきり犠牲になっています。そのようなわけで、派遣労働が一般化した今日では、労働者側のメリットはほとんど無きに等しいと言えましょう。これに対して、儲けまくっているのが企業側です。理由は簡単。需要の動向に合わせて機動的に人員を増やしたり減らしたりできるという、表向きのメリットもありますが、何より正規従業員を派遣労働者に置き換えることによって人件費をかなり圧縮できるというのが大きいんですね。さらに、新車の購入じゃないですけど、派遣で事足りる仕事なんてどこの会社にやらせても同じですから、複数の派遣会社に競わせることで、派遣労働力の調達コストもさらに圧縮が可能です。こういうオイシイ話が待っているから、最初のうちは何食わぬ顔で静かにしていたってわけです。

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派遣のコスト

ビジネスとして見てみると、派遣業は特に何も生産することなく、雇用者と被用者の間に立って仲介料をせしめるわけですから、全体としては雇用コストの上昇要因となります。ただし、雇用者、被用者双方にとって、長期雇用のリスクを分散できるというメリットがあるので、その限りではまったく無駄なコストというわけではありません。ただこれは教科書的な話でして、リアルな話としては、企業にとって派遣業者というのは、非常に便利な労働力買い叩きの代理人なんですね。具体的に言うと、この短期間に企業業績だけが急回復し、派遣業界が急成長したのは、派遣を利用して正規従業員にかかっていた人件費を大幅に削減することで浮いたその利益を山分けにしたからなんです。だから、人件費が限界まで圧縮されるまでは、企業の側は派遣のコストを実感することはあまりないので、しばらくは両者の蜜月は続いていくことでしょうね。ただ、この間の派遣を利用した利益の出し方というのは、年収600万の正規従業員を200万の派遣労働者に置き換えて、その浮いた400万を200万ずつ山分けにするというのが基本形でして、無知な企業が派遣業者に言われるままに、「それでも十分に安い」と思って派遣労働者の取り分の倍以上の費用を支払っていることも少なくないので、実際にはかなり多額のコストが企業側にも生じています。しかし、なんと言っても一身にその不利益を被っているのは労働者の側です。低賃金で働かされる派遣労働者は、当然、そうですが、彼らは同時に正規従業員に対する当て馬でもあり、職場における彼らの存在は、「しっかり働かないと、お前も派遣にすげ替えだぞ」という無言のプレッシャーとして、正規従業員をもサービス残業当たり前の低賃金・長時間労働に駆り立てる効果を持っています。

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派遣のリスク

「労働者に待遇以上の働きを期待するのは間違いである。」この言葉を、まともな勤めを経験したことのない経営者の皆さんに送ります。ま、派遣労働者使いまくりのIT企業で頻発する、派遣労働者によるデータの持ち出し事件を見れば、大体、見当はつきますよね。「人、木石にあらず」と言います。誰だって、仕事の割に給料が低いと思えば、どこかで埋め合わせようと考えます。まして、自分が十把一絡げで買い叩かれた使い捨て要員だってことは、最初からわかっているわけですから、派遣先の企業に対して悪意を持つのが当然で、忠誠心なんて期待できるわけありません。そこが、半ば運命共同体であるが故の高い忠誠心が期待できる終身雇用の正規従業員との決定的な違いです。その給料を半値や3分の1に値切っておいて、同じように働けというのは無理な話で、こうして植え付けられた悪意の種が、色々なところで見事な悪の華を咲かせることになるわけです。低賃金に抵抗するには、どこかでうまく儲けをちょろまかすか、あるいは賃金以下のチンタラ仕事をする他ありません。企業や派遣業者は、自分たちが一方的に労働者を使い捨てているつもりかもしれませんが、労働者もまた、企業を使い捨てる心構えでこの戦場に臨んでいるということをお忘れなく。派遣の自由化は、労働市場を戦場に変えてしまいました。戦場がハイ・リスクなのは当然の話です。目先のハイ・リターンなど、地雷を踏んだだけで簡単に吹き飛びますよ。

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派遣による社会的損失

自由なライフ・スタイルなど、もはや夢物語。一度、派遣に転落すると、そうそう簡単には、と言うか、普通は一生、底辺労働者から這い上がれないというのが、悲しいかな現実です。それはそれで、一歩下がって見れば、憲法改正後の近い将来に予定されている、北朝鮮、もしくは中国との戦争と並んで、この国の国民が政治的に成熟していくために必要な試練なのかもしれませんが、少なくとも短期的に見る限り、多くの労働者が能力を十分に発揮できないような労働環境に押し込められていては、経済も文化も活気を失って荒んでいくばかりでしょう。私自身は、可耕地に対して過剰人口を抱えるこの国では、少子化はむしろ望ましいと考える立場ですが、その立場を離れて国民経済の経済力第一で考えるならば、結婚し、子供を作ろうという精神的、時間的、経済的余裕をすべて奪うような派遣労働の広がりが、直接、間接に少子化に拍車をかけ、この国の経済力を根本から蝕んでいるのは間違いないと言えましょう。

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請負  contract work

派遣が禁止の時代にも、請負は合法でした。まあ、企業間で業務の請負があっても、特に問題はなさそうですよね。ただ、実際のところは、請負と派遣の境界は微妙で、請負の名目で派遣を行うことは容易ですし、発注元と現場労働者の関係で見れば、請負もまた間接雇用の一形態と見ることができます。そのようなわけで、違法な派遣の隠れ蓑にできないように、合法的な請負と認められる条件は、法律で細かく規定されています。簡単に言いますと、これは受注側が業務をまとめて引き受けることが条件になっていまして、たとえば受注側の現場労働者に発注側が具体的な指示を出すのは、請負には当たらないということです。しかし、長年にわたって構築されてきた偽装システムの下、厚労相の極めて消極的な取締り姿勢を追い風に、実際には偽装請負が蔓延しています。

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偽装請負

人によって、言葉の使い方にはバラツキがありますが、偽装請負と用語は、一般に「適法な請負を偽装した、違法な派遣、もしくは請負」の意味で用いられます。かつては、派遣自体が違法となる職種を中心に行われていましたが、規制緩和が進んで、そのような職種が大幅に減った今日では、派遣として適法な状態にありながらも、派遣として扱われた場合に派遣先に生じる様々な義務や負担を逃れるために、請負の形をとるという形の偽装請負が激増しています。元々、派遣規制の大幅緩和には、水面下で蔓延していた脱法行為を合法化することで労働者保護のための規制(ほんの、申し訳程度ですが)も盛り込み、適正化を図るという大義名分があったのですが、日本経団連会長を輩出しているキャノンからして、率先して偽装請負を行っていたように、実際にはそのような規制すらうっとうしいというのが企業側のあからさまな本音でした。結局のところ、規制緩和と引き換えに与えられたはずだった労働者保護は「絵に小さく描かれた餅」に終わり、企業側だけが丸儲けというのが実情です。

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口入れ屋

口入れ屋というのは江戸時代の職業紹介業で、江戸などの大都市で身元の定かでない地方出身者を中心に、身元保証をつけて求人の世話をして手数料を取っていた商売です。今のように、紹介、派遣、請負といった区別がされていたわけではないので、番頭や奉公人のような長期雇用の場合には紹介料を取り、人足のような短期の仕事の場合には、給金から紹介料をピンハネして労働者に渡しと、手数料の取り方は色々だったようです。実際の商売の内容になると、これまた千差万別で、手堅い商売をしていた業者もいた一方で、地方の農家から娘を買ってきて女郎屋へ売り飛ばすといった、いわゆる女衒稼業で荒稼ぎをしていた業者もあったと言います。そのようなわけで、ヤクザ(侠客)が営業していることも多かったようですが、ヤクザと一口に言っても、現代と近代では性格や社会的位置付けがかなり違いまして、たとえば、「お若えの、お待ちなせえ」で有名な幡随院長兵衛は、歌舞伎の演目にもなっており、最も有名な口入れ屋と言っていいでしょう。

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人足寄せ場

ついでに、江戸時代の職安、人足寄せ場についても説明しておきましょう。人足寄せ場というのは、天明の飢饉の後に行われた寛政の改革の中で設置されたもので、飢饉の影響で江戸で大量に発生していた無宿者や、釈放された軽罪者などが犯罪に走らないように、寄せ場に収容して生活の面倒を見つつ、職業訓練を行うというものでした。封建時代でさえ、政府は貧窮者の面倒を見ていたんですね。ところが、今の”なんでも民営化”政府ときたら、口入れ屋を復活させ、職安まで民営化しようとしています。江戸時代へ逆戻りというより、江戸時代以下と言ってもいいですね。

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