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名誉ある撤退、と言われたいものだ

その他の撤退関連用語集

アジアカップ2004(サッカー)

2004年アジアカップ決勝で、3対1で日本が中国に勝利。日本はこの大会で2大会連続3度目の優勝を飾ったものの、北京で行われたこの大会で地元中国人サポーターの反日的行動が大きな問題になった。6万人の観客に対して、武装警察部隊、警官ら約5000人が出動。あまりのマナーの悪さに、日本国内のみならず欧米メディアの批判も集まり、08年北京オリンピックの成功も疑問視された。中国国内の新聞でも冷静な態度を呼びかける文章が1面に載るほどであったが、中国代表のアリ・ハーン監督は表彰式をボイコット。AFC(アジア・サッカー連盟)のベラパン事務総長は「アリ・ハーン監督の態度については、少し失望している。中国代表の監督は、スポーツマンシップに則り、グッドルーザーとしての態度で臨んでほしかった。彼が表彰式をボイコットしたのは、AFCに対してもプレーヤーに対しても失礼なことだと思う」とコメントした。

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白瀬矗

1861年秋田県生まれの探検家。近所で評判の腕白坊主だったが、11才のとき寺子屋で「北極」の話を聞き、探険家を志す。しかし、北極は1909年にアメリカ人探検家ピアリーが踏破したため、北極探検を断念。180度目標を転換し「最後の未踏の地」南極探検を目指す。国民の期待を背負い、10年11月に204トンの小さな帆船で東京芝浦を出航。氷海に行く手をはばまれ、11年3月シドニーに入港。スパイの嫌疑もかけられたが11月再出発。マイナス30度の雪原で、資金不足、食料不足の上ソリを引く犬もなくし、12年1月28日に南緯80度50分に到達すると、一帯を「大和雪原」と命名し、極地到達は諦め撤退。1人の死傷者もなく6月20日に芝浦港に帰港した。12年1月17日にはイギリスのスコット隊が南極点を踏破していたが、帰路で全員が遭難死するという悲劇が起こっていた。

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南極物語

1958年2月、南極の昭和基地から例年にない悪天候のために15匹のカラフト犬を置き去りにしたまま撤退せざるを得なかった南極地域観測隊。餌もない極寒の南極に置き去りにされた犬たちを悼み、大阪府に樺太犬慰霊像が建立され、南極越冬隊員が参列した供養が盛大に営まれ、同年9月には東京タワーに忠犬ハチ公像の彫刻家による樺太犬記念像が造られた。そして翌年1月、第3次越冬隊により、タロ・ジロの2匹の生存が確認されると、奇跡的なニュースに日本中が沸き返った。この話をもとに3年の歳月をかけて製作された映画「南極物語」は日本の映画興行記録のトップに。1983年から「もののけ姫」がヒットする97年までその記録は破られなかった。05年にはディズニー映画にリメイクされるが、こちらは犬たちの懸命な生存劇と人間の苦難を描いた邦画版に比べて置き去りにした人間側のドラマに主眼がおかれたものになった。タロとジロは60年の第4次越冬隊にも参加し、ジロは南極基地で死亡。6年の南極生活ののちに帰国したタロは北大植物園で休養し、70年に老衰で死亡した。

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バッシング

ジャーナリスト志望の少年、市民ボランティアの女性、フリーカメラマンの男性3人が戦時中のイラクで拉致監禁され、犯行グループが自衛隊の撤退などを日本政府に要求した際、自作自演ではないかと疑われ、自己責任論が噴出した2004年。このイラク人質事件をヒントにした小林政弘監督が映画「バッシング」を製作し、2005年カンヌ国際映画祭に出展された。主人公・有子はボランティア活動をしていた戦時国で人質となったのち解放されて帰国したものの、自己責任を問われて世間から激しいバッシングを受けるという設定。父親もバッシングから逃れられず自殺に追い込まれ、有子は「この国じゃ、皆が怖い顔してる。私も、怖い顔しているんだと思う」と日本社会と決別し、再び旅立っていく。05年の東京フィルメックスでは「描かれたテーマの重要性と、それに合った映像スタイル」が高く評価されグランプリを受賞した。

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「泣きながら撤退します」

「行列のできる法律相談所」(日本テレビ系列)で有名になった北村晴男弁護士。番組で不倫問題を扱った際に、誠実、まっすぐで冷静沈着さが売りの北村弁護士に、島田紳助が「ものすごくタイプの女性が、『一晩だけ一緒にいてください』と言ってきたらどうします?」との問いに、「泣きながら撤退します」と答え、世の女性からの高感度を一気に引き上げた。この名言に、番組中では「犬猿の仲」と言われライバル視されている丸山弁護士の女性人気票が北村弁護士に流れたかも。北村弁護士は、1956年長野県生まれ。

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熟年移住

定年退職後、海外で年金生活を楽しもうという海外移住や海外ロングステイ。年金をもっと有効に使うため、物価の高い日本ではなく、年金の範囲で優雅に暮らせる国で腰を落ち着けて生活したい人が増えている。ロングステイ先の一番人気はオーストラリア。またハワイやタイ、マレーシアなど気候の温暖な土地の人気が高い。そして海外生活といえば心配される健康・病院の問題や言葉の壁による孤独とも無縁で、憧れの海外生活を思う存分楽しんでいる人たちのなかにも、数年たつと桜が見たくなり、希望通りのカラッとした空気での快適な生活より、しっとり湿った空気に思いをはせ、いつの間にか日本が恋しくなって、日本へ舞い戻る人も多い。そういう人々の帰国は「名誉ある撤退」と呼ばれる。いい思い出を胸に、帰国後も尽きない海外生活話を反芻することで二度移住生活を楽しめるともいえる。なお、「ロングステイ」「LONGSTAY」はロングステイ財団の登録商標。

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訴因撤回

訴因とは刑事訴訟法上の概念で、犯罪の具体的な事実のことをいう。複数の訴因からひとつの公訴が構成されている場合、その訴因の一部を取り除くことを訴因の撤回という。オウム真理教裁判において、東京地検は、松本被告に対する地下鉄・松本サリン事件での殺人未遂罪について負傷者の人数について大幅に撤回した。地下鉄サリン事件では、負傷者を3780人撤回して14人に、松本サリン事件では負傷者を140人撤回して4人に、という大幅な撤回は前例がない。明らかに被害者が存在するにもかかわらず、撤回した理由は裁判の迅速化が目的である。立件した全員について証拠を集め尋問していくと、それだけで20年近く費やしてしまうという計算もあり、またこれだけの人数を撤回してなお、松本被告への量刑が大幅に減少するとも考えられない状況において、この訴因の撤回は、敗北ではなく、名誉ある撤退であるとみられる。

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オウム真理教裁判

1997年版本誌掲載。

1995(平成7)年暮れからオウム真理教の幹部・信者が関与した事件に関する公判が次々と開かれた。公判の中で依然として教祖への信仰を頑なに保持するグループと、起訴事実を認め教祖の行った犯罪を断罪するグループとに分かれていった。12月11日に開かれた、地下鉄サリン事件の実行犯として殺人などの罪に問われている豊田亨、広瀬健一は検察側の起訴事実を認めた。坂本堤弁護士一家殺害事件についても中川智正は犯行を認めた。96年4月24日、麻原彰晃に対する初公判が開かれた。傍聴券を求めるために1万2292人が並び過去最高を記録した。〜以下略

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