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不正事件で注目を集めた企業をめぐる用語集

イトマン事件とその周辺の用語集

イトマン事件

1992年本誌掲載。以下、

老舗の商社「イトマン」(大阪市)を舞台に、バブル経済でもてはやされた土地、株、それに高級絵画やゴルフ開発などが絡み、4000億円のカネが地下金脈を動き、2500億円のカネが消えた戦後最大規模の乱脈経営事件。同社の河村良彦前社長(66)は、異例にも裏社会に通じた1人の男を“不動産のプロ”との判断で要職に任用した。伊藤寿永光・元常務(46)である。前社長は伸び悩んでいた同社の収益を伸ばしたかった。しかし、伊藤は新規案件など思うがままに進め、同社を散々に食いものにし、裏人脈の怖さを見せつけた。前社長は元常務に加担した恰好で事件は終息した。一連の疑惑が表面化するきっかけとなったのは昨年の絵画取引。元常務と、“関西地下人脈のドン”と囁かれる許永中・不動産管理会社代表(44)が共謀、偽鑑定評価書で不当に高くした絵画らを担保として差し入れ、担保の10倍近い560億円を同社から引き出した。2人はさらにゴルフ場やリゾート開発などを推進させて2000億円もの巨額を出させ、個人的に流用した。この件では担当の元専務が「目茶苦茶にされた」との恨みのメモを残して自殺した。イトマン事件の原点は、ホテル経営会社「雅叙園観光」(東京)にあった。この会社のオーナーである仕手集団「コスモポリタン」に、2人に加え大阪府民信用組合・南野洋理事会長(48)の3人が、670億円を貸付けたが回収不能になったため、雅叙園観光の建て直しに乗り出したものの、見込み以上に資金がかかり、イトマンから様々な名目でカネを引き出した。“闇金庫”ともいえる信組の理事会長はピーク時に無担保融資も含め1300億円を融資、その大半は回収不能になったまま。裁判で地下人脈を暴けるかが焦点。バブル経済崩壊の象徴的な事件。

そもそもイトマンは1883年(明治16)年に「羽州屋」として創業。舶来品の反物(繊維)を扱っていた。創業者である伊藤萬助にちなみ「伊藤萬商店」に。カナ表記の「イトマン」となるのは91年1月から。

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住金物産

→2004年6月号参照

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許永中

大阪市出身の在日韓国人。1984(昭和59)年、「日本レース(京都)」の株買い占めで一躍有名に。イトマン事件で91(平成3)年に逮捕されたが、保釈中の97年10月に韓国で失踪。99年に日本で身柄を確保される。その後2005年10月にイトマン事件での上告が棄却され、懲役7年6カ月、罰金5億円の刑が確定した。また、2006年1月には、石橋産業事件における高裁判決が出た。

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グラン・パシフィック・メリディアン

世界有数のホテルブランド、ル・メリディアン・グループのひとつ。東京都港区のお台場地区にある。地上30階建てで18世紀フランスをイメージした気品のある雰囲気が人気といわれる。ウェスティン、シェラトンを傘下に持つスターウッド・ホテル&リゾート・グループに加盟。東京ディズニーリゾート(TDR)の「グッドネイバーホテル」でもある。許永中が韓国で失踪した後、1999(平成11)年に身柄を確保されたのがこのホテルだった。

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フィクサー

1991年版本誌掲載。以下、

アメリカの口語で、事件などの調停役、まとめ役、始末屋。修理屋。

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中尾栄一元建設相の受託収賄事件

2001年版本誌掲載。以下、

2000(平成12)年6月30日、山梨1区選出の自民党代議士・中尾栄一元建設相が、建設相発注工事の指名入札をめぐり、建設業者から業者選定に便宜をはかってほしいとの請託を受け、その見返りに現金や小切手3000万円を受け取ったとする受託収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕された。贈賄側は不動産管理会社元代表の許永中被告から巨額の手形をだまし取られたとされる石橋産業傘下の若築建設(本社・東京都目黒区)で、同社側と中尾元建設相の間は許被告がとりもったとされた。贈賄側については、すでに3年の控訴時効が成立。その後、元建設相・中尾容疑者は別の3000万円の授受にもからみ計6000万円にのぼる受託収賄容疑の起訴事実を認めたとされている。起訴状によると、中尾元建設相は、若築建設の石橋浩元会長から、1996年6月から9月にかけて3回にわたり、建設大臣室などで直接または当時の北村大臣秘書官を通じてそれぞれ1000万円ずつを受け取ったとされる。さらに、元建設相は同年6月、業者から入札の指名ランクの引き上げや建設官僚の天下り斡旋(あっせん)などの請託を受けたという。また、同7月に開かれた新旧建設事務官交代の宴席では、旧次官の同省顧問や技監に天下りの実現を指示、8月には再度の請託を受け「次の異動期には人がもらえるよう指示しておく」などと回答、建設大臣室に顧問を呼び出して業者の便宜をはかるよう指示したとされた。この元建設相の露骨な受託収賄容疑事件は、ゼネコン汚職以降厳禁されたはずの政治家の「天の声」談合の構造的政官業癒着のシステムが依然として温存されている現状を物語る証左だろう。

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石橋産業事件

2001年版本誌掲載。以下、

2000(平成12)年7月18日、株取引にからみ東京の商社「石橋産業」グループから約束手形(額面約179億円)をだまし取ったとして、詐欺罪に問われた許永中被告(イトマン事件などで公判中)や弁護士・田中森一被告(元特捜検事)ら4被告に対する初公判が東京地裁で開かれた。起訴状によれば、許永中被告らは、許被告が建設会社「新井組」の株を担保に、京都のノンバンクから受けていた融資の支払いなどを逃れるとともに、新井組株を入手して許被告の資金繰りにあてるなどの目的で、東京の商社「石橋産業」の石橋浩社長(当時)を欺いて約束手形を交付させようと計画。1996(平成8)年4月と6月に額面計179億円余の約束手形を交付させるなどし、ノンバンクに差し入れたとされる。石橋産業グループ傘下には、若築建設(石橋浩会長・当時)があり、この「壮大な詐欺」容疑事件は、許被告の10億円の政界工作資金(中尾元建設相が受託収賄の6000万円はその一部といわれる)にもつながるとされているが、その背景事情や真相は闇に包まれている。

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ヤメ検汚染  attorney pollution

1993年版本誌掲載。以下、

「ヤメ検」とは、検察官をやめたあと弁護士として働いている連中の総称であるが、とくに疑獄事件などに関して、「きのうまで正義の士として告発側に立って秋霜烈日の如き論陣を張っていたものが、今日は見事に攻守ところを変えて、あたかも君子豹変したがごとくに、金権政治家たちのために“黒を白と言いくるめ”ながら三百代言的言辞を弄している者」のことを軽蔑して指さす場合のほうが多い。古くはロッキード事件のときに田中被告に大金をもって雇い上げられた“元検事”の弁護士たち、近くは佐川事件の際に金丸容疑者の側に立って、古巣である東京地検特捜部の後輩検察官に無言の威圧を加えたり、最高検察庁や法務省の上層部に働きかけ、結局のところ“上申書”だけで済ませてしまった豪の者など…「世に法匪のタネは尽きまじ」と、善良なる一般市民を心底から嘆き悲しませている。ちなみに、当のヤメ検に言わせれば、「金丸先生には出頭命令が出ていることすらお耳に入れないよう私が頑張り通した」そうである。

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