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不正事件で注目を集めた企業をめぐる用語集

佐川急便事件とその周辺の用語集

佐川急便事件

1993年版本誌掲載。以下、

東京佐川急便(現在は合併して佐川急便)前社長渡辺広康(58歳、1991(平成3)年7月社長解任)ら4人が、2月14日、史上最高額の952億円にのぼる損害を会社に与えたとして特別背任容疑で東京地検特捜部に逮捕された。東京佐川は、41社1個人に総額4900億円以上という常識外れの債務保証(融資を受ける際、信用ある第3者がその債務を保証すること)と貸し付けを行っていたが、バブルの崩壊もあって大きな損害を出し、その穴埋めのためにさらに債務保証額を膨らませた。また、渡辺前社長は、政治家たちに多額の金をばらまく「政界のタニマチ」としてだけでなく、政界のトラブルを暴力団をつかって解決。このために暴力団に巨額の不正融資をする羽目に陥った。政界、経済界、それに暴力団のもたれあいの構図が暴かれたわけで、社会に衝撃を与えた。まず、政界には債務保証で出た裏金の一部を流すなど、その額は総額22億6000万円といわれ、政治家12人にばらまかれたという。8月27日に自民党の最高実力者で自民党副総裁の金丸信代議士(78)が5億円の献金(90年1月)の事実を認めて、副総裁を辞任。だが、検察の事情聴取を断固拒否、政治資金規制法の量的規制違反を認める上申書(刑事訴訟法323条に記された容疑者が自ら罪を認める書面)を提出して20万円の罰金刑を選択。また、9月1日には、89年の新潟県知事選に絡み、当選した金子清・新潟県知事(60)が3億円の献金疑惑事件で辞任。こちらは1億円の献金分が立件され、政治資金規制法の虚偽記入罪で正式起訴された。両者は対比して論じられ、罰金刑の略式起訴で済ます大物政治家の“特別扱い”に「法の下の平等を欠く」「悪しき前例」「検察の権威に傷」「事件の本質が見失われる」など非難囂囂。結局金丸代議士は10月14日に議員を辞職したが、5億円の使途も多額献金を受け取った政治家たちの捜査もうやむやに終わり、ますます国民の政治不信が募る結果となった。<以下、略>

ちなみに、宅配便の取り扱いは、2004年度時点でヤマト運輸に次いで業界第2位。3位の日本通運を大きく引き離している。

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皇民党事件

1994年版本誌掲載。以下、

皇民党は、1987(昭和62)年秋の自民党総裁選前、当時幹事長の竹下登元首相に対し執拗な“ほめ殺し”街頭宣伝活動を行った右翼団体。

金丸信・前自民党副総裁が渡辺広康・東京佐川急便元社長を通じて、暴力団稲川会の故石井進前会長にその“ほめ殺し”活動封じを頼み、その結果、皇民党は竹下氏が田中角栄元首相にあいさつに行くことを活動中止の条件に出し、その結果、竹下氏は同年10月、田中邸を訪問、皇民党の活動はストップ、竹下氏の自民党総裁・首相が実現した。

その後、竹下首相は金丸氏、渡辺元社長、石井前会長と都内の料亭で宴席をもったとされており、政界と右翼・暴力団との癒着を証明することとなり、国民の批判が高まった。

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渡辺広康(わたなべ・ひろやす)

1934(昭和9)年5月2日生まれ。元東京佐川急便社長。新潟県北魚沼郡(魚沼市)出身。63年に渡辺運輸設立、佐川急便の東京進出に伴い、業務提携ののちに東京佐川急便・社長に就任。有力政治家だけでなく、芸能界やその他の方面にも人脈を築く。政界に多額の献金をしたことでも知られるが、1992(平成4)年2月に行われたの第123回国会予算委員会の議事録によれば「新日本プロレスリング(社長・アントニオ猪木参議院議員(当時))」「アントン牧場」「テイクワン(ゴルフ場開発会社。代表は古葉竹識・元広島東洋カープ監督)」などにも資金が流れていた(債務保証していた)とされ、政界に限らない人脈の広さをうかがわせた。2004(平成16)年1月11日死去。

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稲川会

東京都港区に本拠を置く指定暴力団。住吉会、五代目山口組と3団体で全暴力団構成員(準構成員を含む)総数の7割を占める(暴力団構成員および準構成員の総数8万7000人のうち、前記3団体の所属が約6万1300人:平成17年警察白書)。静岡県熱海市に本拠にした稲川組に始まり、その後「鶴政会」「錦政会」「稲川一家」と改称。東京佐川急便事件にからむ皇民党事件の際には、渡辺広康社長(当時)が、石井(進)隆匡2代目会長(当時)にそのとりまとめを依頼したとされる。

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企業舎弟/フロント企業

暴力団または暴力団との関係が深い立場にある者が経営する企業をフロント企業という。表向き、その背景となる暴力団の存在を隠して企業活動・経済活動を行い、利益は暴力団へ提供される。暴力団新法の創設に伴い、それまでの「みかじめ料商法」を続けることが困難になったために、企業の体をなすように。なお、それまでにも暴力団の存在を背景とて経済活動を営み、暴力団の資金源となっていた者は「企業舎第」と呼ばれていた。今日ではそれぞれのことばはほぼ同義に用いられる。

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暴力団員不当行為防止法/暴力団新法/ミンボー

1993年版本誌掲載。以下、

この法律(正式な名称は「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」)は、暴力団新法と呼ばれたりするが、指定暴力団(その団員が集団的にまたは常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれが大きい暴力団またはその連合体として指定されたもの)の威力を示して金品の不当な要求を暴力団員が行うことを禁止すること、暴力団員の不当な要求による被害の回復等について公安委員会は援助を行うこと、暴力団の対立抗争が発生した場合に対立抗争に係わる暴力団事務所の使用を制限することができることなどを定めている。警視庁によると、1990年(平成2)年末現在、全国の暴力団は約3300団体、暴力団員は約8万8600人で、ほとんどの暴力団が指定されるとみられる。91(平成3)年5月15日公布、92年3月1日施行。

東京都、兵庫県の両公安委員会は同年6月23日、山口組(本部・兵庫県、構成員約2万3100人)、稲川会(東京都、約7400人)、住吉会(同、約8000人)を指定暴力団体として官報に公示した。指定の効力は3年間。ミンボー(民事介入暴力)撃退への期待が高まっている。この法律は、結社の自由を保障した憲法21条に違反するとして違憲訴訟が提起されている。

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経世会

1994年版本誌掲載。以下、

自民党最大の派閥だった、竹下派(経世会)が1992(平成4)年10月に分裂。この派閥は72年の田中角栄内閣発足以降、田中派として自民党に絶大なる影響力を与え、大平正芳、鈴木善幸、中曾根康弘の3内閣の発足に力を貸し、その見返りに内閣の政策決定に絶大な影響力を持ちつづけた。87年7月には田中派の大部分をもって竹下登を領袖とする経世会が発足。同年に竹下内閣が発足した。

しかし、リクルート事件で89年に退陣。その後、田中元首相と同じように最大派閥の力によって宇野、海部、宮沢の3内閣に絶大な影響力を与えることになった。しかし金丸巨額脱税事件によって派閥会長だった金丸議員が失脚してから、主導権をめぐって会長代行の小沢一郎と竹下登元首相やその側近小渕恵三、橋本龍太郎らとの対立が表面化。

10月に会長が小渕恵三に決定。小沢は羽田孜らと政策集団「改革フォーラム21」を結成し、事実上の分裂となった。「改革フォーラム21」は、12月に派閥として正式に旗揚げした。

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ほめ殺し

小社刊『最新日本語活用辞典』より。以下、

相手を直接的に罵倒するのではなく、相手の短所を取り上げ、しかもそれをうまくオブラートに包んで表現することによって相手にダメージを与え、しかも名誉毀損にならないという方法。右翼団体が相手を打倒しようとする時に行う手段で、この言葉がクローズアップされたのは1987年の竹下政権誕生前である。

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タニマチ

力士の後援者や贔屓(ひいき筋)のことをさす。由来は明治(あるいは江戸)の頃、大阪の谷町筋の医者が相撲好きだったために、力士から治療代をとらなかったことというのが一般的。

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国会議員倫理基準

1993年版本誌掲載。以下、

社会党は、安恒良一参院議員の東京佐川急便疑惑などをめぐる同党への批判を踏まえ、総務会に作業グループを設け検討。1992(平成4)年3月31日の党総務会で、(1)個人の政治献金は認めず、政治資金はすべて指定団体(2団体以内)で受け入れる、(2)資金集めのパーティはすべて指定団体が主催し、収支は政治資金として届け出る、(3)倫理基準に違反し、その政治的・道義的責任を問われた場合には議員辞職勧告を含む厳正な対応を行う ―― など党独自の倫理基準案を発表した。

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上申書

小社刊『最新日本語活用辞典』より。以下、

組織の下部の者が、自己の責任や権限を超えた仕事を遂行したい場合、上司や上級機関に提案を申し出て、判断や指示をあおぐ文書。

日本新語・流行語大賞(1992年)より

“東京佐川急便事件”で不法献金を追及されていた金丸信(自民党副総裁を辞任)が、検察からの出頭要請に対し「上申書」で対抗して拒否した。金丸が許されるならばオレもやると、三重県の建設会社社長の小林は、建築基準法違反出頭命令に対抗し「上申書」を提出した。法の前では平等、を身をもって実践したこの“快挙”に庶民は喝采を送った(流行語部門・銅賞、受賞者:小林正(建設会社社長))。

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竹下しちゃう

1989年版本誌掲載。以下、

煮えきらず、うやむやにする。

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高橋がなり

1958(昭和33)年神奈川県生まれ。番組制作会社IVSテレビを経て独立し事業を起こすもののあえなく失敗、借金を抱える。1995(平成7)年にソフト・オン・デマンドを設立。ヒット作品を続々生み出し急成長し、日本テレビ系『マネーの虎』に出演するなど活躍した。高橋は専門学校卒業後、佐川急便に入社した経験があるが、その時代のことは苦労だとは思っていないといい、自身のブログでは「和民」を展開する渡邉美樹・ワタミ社長も佐川急便経験者であることに触れ、渡邉社長の佐川時代の苦労話を「自慢話」と一蹴している。

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