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人生これすなわちゲーム、フッ
―― 能條純一に捧ぐ。ただしタイトルのみ
執筆者 土屋彰久

人生これすなわちゲーム、フッ

アナログゲーム  analog game

隆盛を誇るデジタルゲームを横目に不遇をかこってきた感のあるのが、囲碁、将棋といった伝統的アナログゲームですが、デジタルゲームの陰りにも助けられてか、復調の兆しがわずかながらも伺えるようになってきました。マイ・ペース型人間の多いこの業界の皆さんも、人気の低下にいよいよ危機感を覚えたのか、本腰を入れて巻き替えに出たような雰囲気も伺えます。たかがゲームと言ってしまえばそれまでですが、ゲーム産業は、マイクロソフトやソニーが参入したほどのビッグ・ビジネスですし、「ゲーム理論」に至っては、ノーベル賞まで頂いちゃっています。まあ、この「ゲーム」は、子どもの遊ぶゲームと、中身はちょっと違っていますけどね。

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ビット  bit

ビットとは、コンピュータ情報の最小単位で、情報量の単位ですが、ゲーム機の世界では、ハードの能力・・・というよりも世代を表す記号として、一般的に知られています。元々は、一度にどれだけの仕事をするかということを、このbitで表したことから始まっていまして、〜Mhzとか〜Ghzとかで表される、CPU(中央演算装置)の速さとはまた違います。たとえば、16ビットのDX4・100Mhzより、32ビットのペンティアム・75Mhzの方が、性能的には上となります。話がコンピュータの方に行くときりがないのでこのあたりで切り上げるとして、ゲーム機の場合、かの初代ファミコンが8ビット、その次のスーパーファミコンが16ビット、そして、初代プレステ、サターンが32ビット、そして、プレステ2が128ビットといった具合に並んでいます。「おい、○○(もしくは××)はどこへ行った?」というツッコミが、当然、予想されますが、64ビット機の部分が空白になっているように、シビアな基準で泡沫機は切り捨てましたので、ご了承ください。ちなみに、私が心から賛同できる言葉に、「8ビットでも、面白いゲームはできる」といった、任天堂の山内前社長の言葉があります。この言葉自体は、単に某家電メーカーの32ビット泡沫機(32ビット機として最初に登場し、最速でポシャった)の登場をクサしてついた悪態だったと記憶していますが、任天堂自体が、まるでその言葉とは裏腹な経営戦略を採ったために、この言葉の説得力が薄れてしまったことが残念でなりません。かのM・フーコーも言っています、「重要なのは、誰が言ったかではない。何を言ったかである」と。山内さん、あなたは間違っているが、あなたの言葉は正しい。

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ゲーム理論  Game Theory

簡単に言うと、一定の条件下で、判断材料の一部が未確定な状態において、最適な選択肢を合理的に導く考え方を分析したものです。元々ゲーム理論自体は、数学から派生しているので、根本の部分は数式で表されますが、実際にはたとえば投資のような経済行動の決定や、外交交渉のような政治行動の決定に、「ゲーム理論的な考え方」が応用されるので、活躍の分野は文系の方に寄っています。ところが日本の場合、数学の得意な文系人が少ないために、数学チックなものが出てきただけで、アレルギーを起こすか、ただひたすらひれ伏すか、あるいはムキになって攻撃してくるかといった反応になることが多いために、結局、かじった程度の人間が使いこなしてるふりをしているといった程度で、あまり使いこなせてはいません。本来、6カ国協議なんて、典型的な多国間ゲームなんですが、どうも日本だけが、そのことを理解できずに置いてけぼりを食っているような状況です。

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ニンテンドー  Nintendo

日本では、一時期、「ファミコン」がテレビゲームの代名詞になったように、アメリカでは、「ニンテンドー」が、ビデオゲームの代名詞になりました。一瞬、??と思いますよね。実はテレビゲームというのは、和製語でして、英語だとビデオゲームになるんです。ちなみに任天堂は、ファミコンを海外向けにはニンテンドー・エンタテイメント・システムという名前で売り出したので、アメリカ人が勝手に「ファミリーコンピュータ」をニンテンドーと呼んだわけではありません。でも、アメリカにおけるビデオゲーム第一世代のアタリが(テレビゲーム機「アタリVCS」の発売は1977年)、いろいろあって代名詞になれずに終わったことを考えれば、大したもんですよね。

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アタリ・ショック  ATARI Shock

本来なら、アメリカでのビデオゲームの代名詞になり得たのは、最初に爆発的ヒットとなったアタリ(ATARI VCS)のはずでした。ところがこのアタリ、名の通りに大当たりしたまでは良かったのですが、そこから見事な高転びを演じてしまい、皮肉なことにアタリ・ショックというゲーム機史上に燦然と輝く大汚点を刻む結果となってしまいました。事が起きたのは、1982年のクリスマス商戦でした。カセットを交換することで、色々なゲームが遊べるという、当時としては画期的なシステムに加え、オープンなアメリカらしく仕様を公開し、誰でもアタリ用のソフトを作って売れるようにしたために、新規参入が相次ぎ、アタリ市場の規模は急拡大していました。当然、どこの玩具店もクリスマス需要を当て込んで、大量に仕入れますよね。ところが、クリスマスがやってきても全然売れないんです。なぜかというと、この「なんでもあり」の環境がソフトの粗製濫造を招き、ハズレ・ソフト(いわゆるクソゲー)を掴まされ続けたユーザーはメーカー不信を強め、愛想を尽かしてしまったためでした。こうして、アタリ関連の大量の不良在庫を抱え込んだ小売店も問屋も、翌年になってバタバタと倒産が相次ぐことになり、アタリ・ショックと呼ばれるに至ったのでした。その後、ゲーム業界に関わる者は誰しも、アタリ・ショックの二の舞だけは避けなければと肝に銘じてやってきたのですが、どうも、ここのところのゲーム市況を見ると、第二のアタリ・ショックがひたひたと近づいてきているようにも感じられます。

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クソゲー

糞ゲーム、略してクソゲーです。難しすぎる、遅っそい!、操作しにくさ爆発!!、など、ユーザーがそのゲームに対して抱く負の感情が一定レベルを超えると、まずそのソフトは、そのユーザーによってクソゲーと見なされるようになります。ここまでは、主観的クソゲーです。次いで、複数のユーザーが同様の評価を下している事が確認され、その数が一定レベルを超えると、そのソフトは客観的クソゲー、つまり一人前のクソゲーとして評価が定まります。アタリ・ショックの教訓から、任天堂はファミコン用ソフトに関して、ライセンス認定を厳しくすることで、ソフトの質を保ったはずでしたが、それでも数多のクソゲーが世に出ることとなりました。そして、今でも相変わらず、クソゲーは次から次への作り出されています。まったくの憶測ですけど、面白いゲームを作ろうという気持ちより、一発当てて儲けようという気持ちが先に立つと、クソゲーになりやすいのではないかと思います。そう考えてみると、今のスペックだけが先走った高性能ハードそれ自体が、クソの臭いをプンプンさせている理由もわかる気がします。でも、話題として盛り上がるのは、クソゲー・ネタなんですよねー。クソゲー・ネタだけで、本も何冊か出いてるくらいですし。だから、クソゲーがなくなってしまうのも、味気なくてつまらないものだという気もします。まあ、「お汁粉の塩」ですかね、クソゲーは。

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開発地獄

開発地獄というのは、単に研究職の人間が開発ノルマに追われるというような話ではありません。絶対性能の不足を改善するといった根本的な必要性ではなく、他社との競争、あるいは新製品への代替え需要の喚起といった二次的な必要性のために、ユーザー側の需要を無視した無駄な開発が進められる結果、製品が無意味にオーバー・スペックとなり、メーカーもユーザーも結果的には損害を被るような状況に陥りながら、それでも開発を止められないような状況、それが開発地獄です。言うまでもなく、現在のゲーム業界が陥っているのが、まさにそれです。それは、次のようなメカニズムで起こってしまっているんですね。ゲームの面白さを支える基本設計の部分というのは、通常、それほどデータ量を必要とすることもなく、処理速度もまた然りです。ところがハードの開発競争は、基本的にどこまでも高スペックを追及する他ないため、扱えるデータ量も処理速度もどんどん向上していきます。そうなるとソフト開発者の方も、他社との競争を考えると、そうした向上した性能を生かさなければということで、データ量が多く高い処理能力が要求されるゲームを作ろうとするわけです。ところが、それを基本設計部分の充実に生かそうとしたら、それこそ優秀な開発者の脳みそを何個かき集めてきても足りるようなものではありません。結局、そうしたハードの性能向上にによってもたらされた「余力」は、より緻密な描画という、ゲームの面白さとはあまり関係ない方向に投じられることになります。ところがそこに、落とし穴がぽっかりと空いています。ゲーム機の「余力」を生かそうと描画に注力する結果、今度は開発者の側で、ゲームの面白さの向上に振り向けるだけの「余力」が枯渇し、「絵はきれいだけどつまんなーい」ゲームを量産してしまうわけです。ハード開発者は、高性能機の開発に疲れ、ソフト開発者は性能の活用に疲れ、ユーザーはバランスの崩れたゲームに疲れ、みんなボロボロです。こうなってしまうのも、作り手、売り手の側にゲームに対する愛が欠けており、金儲けのことしか考えていないからなんですね。

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瀬川アマ

正確に言うと、瀬川晶司プロです、もう。でも、ここでは敬意を込めて「瀬川アマ」と呼ばせてもらいましょう。なんと言っても、将棋界では並のプロより有名なアマでしたからね。アマが対プロ戦で約7割の勝率で勝ち越すという事自体が驚異なのですが、その上、瀬川アマが破ったプロには久保八段まで入っていました。久保八段と言えば押しも押されぬトッププロ、昨期は名人戦A級リーグで最後まで挑戦権争いに絡む活躍を見せ、最終順位は三位と、「名人に3番目に近い男」になっています。そうは言っても、この瀬川アマ、その名が将棋界の外に出たのは、今年、1944年の花村八段以降、絶えてなかった異例のプロ編入試験に合格し、60年ぶりの編入棋士となったからでした。でも、元々プロを目指しており、三段リーグから勝ち上がれずに奨励会を年齢制限で退会したという、「準棋士」と言ってもよい瀬川アマの経歴と、真剣師(賭け将棋指し)上がりという故・花村九段の経歴の違いには、時代の流れを感じずにはいられません。ちなみに故・花村九段は、奪取こそならなかったものの、名人戦を始め、いくつかのタイトル戦にも登場しています。瀬川アマもいつかはタイトルを、と私を含め、多くの将棋ファンが夢見ていることでしょう。でも、しばらくは、名人位にだけは挑戦できません。なぜかというと、瀬川アマが通ったのは、プロ棋士と言ってもフリークラス編入試験で、他のタイトル戦には出場できても、名人位を頂点とする順位戦には出場資格がないからなんですね。

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フリークラス  Free class

1993年に創設された、新しいプロ棋士のカテゴリーです。引退条件だの、昇級条件だの、細かい説明は省きますが、要は名人戦の順位戦に参加しない&できないクラスということです。ですから、名人戦以外の六大タイトル戦には、自由に参加できますし、身分はプロ棋士です。このような制度ができた表向きの理由としては、将棋の普及活動や将棋連盟の公務に専念しやすい環境を作る、などといった理由が並べられていますが、実のところ、かつてとは比べものにならないほどの世代交代の速さに、八、九段のベテランが、ボロボロと下級クラスに蹴落とされる事態が続出したという事情が大きかったようです。四段対九段なんて、昔は九段が駒を引くのが当たり前でしたが、今は下手すると、逆でちょうどいいくらいじゃないかという感じすらします。ファンにも馴染みのあるかつてのタイトルホルダーなどが、順位戦の、というより降級のプレッシャーから開放され、経歴やプライドをひどく傷つけられることなく、落ち着いて将棋を指せるようにという配慮ですね。もちろん、「順位戦こそプロの証」とか、「ベテランの過保護だ」といった批判もありましたが、こうした制度の必要性は多くの棋士が感じていたようで、このフリークラスが誕生しました。

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奨励会

名前だけ聞くと、なんか暖かく励ましてくれそう、あるいは天下り用業界団体のように、すごいテキトーな雰囲気さえ感じられる「奨励会」ですが、将棋の世界の奨励会は、モーレツに厳しいところです。これは簡単に言えば、将棋連盟が運営している子どもを集めたプロ棋士養成所でして、基本的にはここを勝ち抜けて四段にならない限り、プロにはなれません。知らない人は、なぜ子ども?と思うでしょうが、実は年齢制限が厳しく、細かい例外はあるにしろ、基本的には、26歳までに四段になれないと退会となるからなんです。しかも、対局最優先で、学業への配慮などおよそないため、奨励会に入って棋士を目指したが最後、高校も卒業できれば上出来、中卒もざらです。もちろん、大学、あるいはそれ以上に行く子もいますが、奨励会の中で勝ち抜いていくことを考えると、それはやはり大きなハンデとなります。これは囲碁についても同じく言えることでして、見た目が頭脳労働だから見えにくいことですが、棋士というのは、現代の「頭脳角兵衛獅子」という側面も持っているんですね。こんな環境を放置しておいて、負けた悔しさも手伝ってか、新人棋士の品格がどうの社会性がどうのとほざくオトナ棋士の品性の方が、そもそも幼稚だと私は思います。奨励会には、下は六級から上は三段までが所属しますが、はっきり言って「六級のガキ」でも、普通のアマ六段より強いです。こんな、小学生のうちからプロ以外には負けないくらいの「天才」や「神童」が、全国から集まって、まずは四段を目指すわけです。奨励会の中では、上下入り乱れて駒落ちで指しますから、最初のうちはスイスイ上がって行けます。でも、上に上がって立場が逆転すると、実力互角の相手にも香や角を引いて指さなければいけないという地獄が待っています。昔のようにそれでも実力がばらけていた時代は良かったのですが、情報技術の発達も手伝って、時代とともに棋力の平準化が進んできたために、なかなか三段から勝ち上がれないという構造が出来上がってしまいました。基本的に弱者には冷たい将棋連盟ですが、これはさすがに厳しすぎるということで、平手で指して勝ち上がれればよいという三段リーグが1987年に創設され、以後、年二回のリーグ戦で、上位二名が四段に上がれるようになりました。

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坂井七段

将棋の世界では瀬川アマですが、囲碁の世界では坂井秀至・現七段(編入時、五段)が、一足先に試験による編入を果たしています。現在では、名人戦挑戦者リーグに在籍するなど、幼い頃から共に修行を積んできた結城九段らと並んで、関西棋院を代表する棋士となっている坂井七段ですが、プロ棋士になったのは、これも異例の入段試験を受けてのものでした。ただ、瀬川アマが、プロ四段になれるかどうかの試験だったのに対して、坂井七段の場合、日本アマ囲碁最強戦六連覇など、その通常のアマとは次元の違う棋暦から、プロ入りは認められた上で何段を認定するかという試験でした。この段位認定手合いで、坂井七段は二人の五段、二人の七段を相手に四戦全勝という成績を挙げ、上限一杯の五段の認定を受け、その後順調に昇段し、現在、七段となっています。将棋と同じように、名人戦リーグA級昇格、即八段という基準で行けば、すでに八段格ということになりますが、一方で、日本棋院、関西棋院の昇段制度の大改革により、昇段条件が格段に厳しくなったために、まだ八段にはなっていません。ただ、八段も九段も時間の問題であることは、衆目の一致するところです。2001年の坂井七段の入段は、京大医学部出身という異例の経歴も手伝って、「医師より石を選んだ」などという駄洒落のオマケも付きまして、当時、大きな関心を集めました。

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ヒカルの碁

最近、子ども達の間に爆発的な囲碁ブームが起こりましたが、その火付け役となったのが、週刊少年ジャンプに連載され、人気を博した『キャプテン翼』、じゃなくて、『スラムダンク』、じゃなくて、『ヒカルの碁』です。ストーリーは、囲碁も何も知らない主人公の小学生ヒカルが、じいさんの家の納屋の奥で血のシミのついた碁盤を見つけ、それに触れたところから、そのシミの主の主(中間宿主に、夭折の碁聖、本因坊秀策を引っ張り出しているので、詳しく書くと面倒くさい)、藤原佐為の霊と話ができるようになる、というところから始まります。最初のうちは、この霊の未練につきあって、半分、体を貸すような形で囲碁をやらせてやるヒカルですが、成り行き上、本人も本格的に囲碁をやるようになります。そしてヒカルは、年齢、肉体、精神、棋力の成長とともに、この霊との涙の別れを越えて独り立ちするようになるのですが、さあ、『サイの碁』がやっと『ヒカルの碁』になってきたぞ、というところで、虎の尾を踏んだか、ネタが尽きたか、ブツッと唐突に最終回を迎えます。この終わり方を巡っては、色々な噂、憶測が飛び交いました。でも、この漫画、アニメ化、ゲーム化など、大ヒット漫画の王道を歩みまして、おかげで少年少女の間に囲碁ブームを巻き起こし、ついでに世の中に迷惑な「ヒカル打ち」を流行らせるまでとなりました。ま、囲碁人気の回復を狙った囲碁界のタイ・アップ漫画戦略は、大当たりしたということで、所期の目的は十二分に果たせたと言えましょう。

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ヒカル打ち

ヒカルの碁』主人公のヒカル君、普段はもちろん、お行儀良く石を上から普通に打つんですが、放映時間残り5分ぐらいになって、BGMがかかり出すと調子が出てきて・・・じゃなくて、ノってくるとBGMが始まって、ちょうど卓球のフォアハンドのように、手を横に振りながら、ぺしぺしと打つようになります。子ども達は、この姿にシビれちゃったんですね。決め技でも決めポーズでもない、決めアクションです。囲碁というゲームの特性から言って、同じ必殺技が毎回決まるというのはさすがに無理な話なんですが、このヒカル打ちは、その壁を見事に越えたのでした。そんなわけで、子ども達、碁を打つよりヒカル打ちをやりたがって、そこここで土砂崩れ事件が頻発することとなりました。まあ、ブームも去り、子ども達も成長、もしくは飽きて、最近では見られなくなりましたけどね。だからこそ、ここは一つ、まかり間違っても土砂崩れを起こさないだけのレベルにまで技を磨いて、ここぞというところでヒカル打ちを決めてみたい!という誘惑にも駆られたりするわけです。誰かそのうち、名人戦のテレビ中継あたりで見せてくれませんかね。その時の解説者先生の表情が見物です。

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タイ・アップ漫画

本来は別々の商品、市場における販売戦略を結びつけて、全体として売り上げの増加に結びつけるという、今風に言えば「シナジー効果を計算に入れたマーケティング戦略」の典型がタイ・アップです。とりあえず、大衆の消費行動に対する影響力が突出しているテレビが、タイ・アップ戦略の主戦場になっているのは、皆さん、ご存じのことと思います。でも、商売上、関係のない大人は知らないのですが、子ども達に対しては、漫画も絶大な影響力を持っておりまして、商売上、関係のある大人は、漫画の世界でも、日夜、様々なタイ・アップ戦略を仕掛けているんです。特に、子どもというのは精神構造が未発達で、誘導や暗示を受けやすいために、打率も高ければ、飛距離も大きいんですね、この戦略は。そのようなわけで、人気の低迷に悩むあるスポーツ界が広告代理店に相談する→広告代理店は少年漫画誌に企画を持ちかける→漫画誌は原作者や漫画家を用意する→豊富な広告予算を背景に、誌上では優遇され、各方面からもバック・アップ→大ヒット、アニメ化と続き、そのスポーツの人気も急上昇、なんて具合に回っていくわけです。もちろん、そんな目論見がもろくも崩れ去ることもありますが、きちんと金を積む限り、歩留まりはかなりいいようです。

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5五の龍

古い将棋漫画ですが、その昔、『ヒカルの碁』のように、世の子ども達を奨励会に殺到させた漫画です。私も、奨励会とか、真剣師といった言葉をこの漫画で覚えました。今にして思えば、「5五に龍を持ってくるなんて、玉でも捨てなきゃ無理だよ〜ん」という感じで、ついでに「せいぜい飛車を切って、5五馬が関の山だろ」などと、夢のないことを言う歳にもなってしまいましたが、当時は毎週、立ち読みしていましたね。よりによって、肝心の主人公の名前を失念してしまいましたが、香子ちゃんだの穴熊君だの、脇役陣にベタな名前がならんでいたのが印象に残っています。どうせ、主人公の名前にも「龍」が入っているんだろう・・・と検索で探してみたらありました、駒形龍。「龍」しか入ってない、、。ついでによくよく調べてみると、『5五の龍』の「龍」は、「龍王(成り飛車)」の意味ではなく、駒形龍の「龍」だそうです。で、得意戦法が5五龍中飛車(5五の地点を押さえる龍君流中飛車)なので、『5五の龍』なんだそうです。それならね。まあ、そんなことも昔の話で、一時の羽生ブームが去り、再び長期低落路線に転じた感のある将棋界ですが、『ヒカルの碁』にあやかろうというネライか、最近、週刊少年マガジンで、『コマコマ』という将棋漫画をスタートさせ、久々に少年漫画の世界に将棋漫画を復活させました。さてさて、これで子ども達を奨励会とまでは言わなくても、まずは将棋道場に呼ぶことができるでしょうか・・・って、もう町には将棋道場がないんだよー(涙涙)。

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将棋ソフト対戦禁止令

対戦禁止令と聞くと、かなり険悪な雰囲気を想起させますが、それほどのものではありませんし、将棋ソフトの発展に協力するという将棋連盟の態度にも変わりはありません。でも、このまま放置すると、両者の関係が一気に険悪なものとなりかねない危険性があると、さすがに深読み、早見え自慢の先生方、気が付いたんでしょうね。大山十五世名人のように、死ぬまでA級に居続けたというような例外的な事例もありますが、普通、人間は年を取ると将棋が弱くなります。(ついでに、大山十五世名人が例外的な棋士であるという点については、例外なく同意が得られるものと思います。)ところが、コンピュータも将棋ソフトも、年を重ねるごとに強くしかならないんですね。そして、19×19の囲碁に比べて、9×9の将棋は選択肢が限定されることもあって、同じコンピュータ・ソフトの世界でも、将棋ソフトは早くからアマ高段者のレベルに達していたのですが、その後も年を追うごとに強くなり、今年はとうとう、五月の世界コンピュータ将棋選手権を制した『激指』が、特別出場したアマ竜王戦でも予選を突破し、ベスト16にまで食い込む健闘を見せました。しかも11月のコンピュータ将棋世界最強決定戦では、その『激指』を『YSS』が破って優勝を飾るなど、将棋ソフト間の開発競争も熾烈を極め、その進歩の速さに、アマ・タイトル奪取、対プロ初勝利も夢ではないと思わせるようになってきました。このようなわけで、将棋連盟は、プロの対将棋ソフト公開対局を連盟の許可制とすることで、「プロ破れる!!」の激震が突発的に発生しないように先手を打ったというわけです。でも、8×8のチェスでは、既に最強コンピュータが世界チャンピオンを破っているように、いずれは人間名人が機械名人に負ける日が、そして勝てなくなる日が来ると思う人の方が、今では多数派のようです。

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共通タイトル

囲碁、将棋、どちらも昔は少ししかタイトルがありませんでしたが、関係者の努力の甲斐あって、新聞社を中心にスポンサーを開拓して行った結果、現在ではどちらも七大棋戦を抱えるまでになっています。実を言うと昇段規定などでは、七大棋戦以外にも同格の扱いをされるタイトルも増えているので、厳密にはもう七大ではなくなってきているとも言えますが、おそらく、今後も伝統ある七大棋戦は七大棋戦として残されていくのではないかと思います。そんな二つの七大棋戦ですが、名前にそれぞれの特徴が出ている固有タイトルと、両方に同じ名前のタイトルがある共通タイトルがあります。どちらも嗜む私のような二股ファンなら誰でも知っていますが、名人、棋聖、王座の三つが共通タイトルです。以前はこれに十段も加わっていたのですが、将棋の十段戦のスポンサーの読売新聞が、表向きは「十段戦を発展解消して棋界最高位の新棋戦を創設する」などと言って、竜王戦を作ってなくしてしまったんですね。でも十段戦というのは、名前が同じだけとは言っても、将棋だけのタイトルではないんですから、せめて他の新聞社に譲るとか、囲碁にもまたがる共通タイトルとしての伝統の重みをもう少し尊重して欲しかったと思います。ちなみに、こんな無体が通ってしまったのは、「何でもイチバーン」の読売マインドの強引さと札びら攻勢の前に、連盟の皆さん、抗う気力も体力もなかったためだと聞いています。

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