月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
事故災害とその周辺のことばを振り返る用語集

その他の事故災害とその周辺のことば

石油流出事故(タンク不等沈下)

1976年版本誌掲載。以下、

1974年12月三菱石油・水島製油所で重油タンクが亀裂。45,000キロリットルの重油が流出したことから、原因究明の結果、石油タンクの油の重みで地盤が30mm沈下した個所や80mmのところなどバラツキができたものと判断した。不等沈下はその最高値と最低値の差で、その差が大きいほど局部的な油圧が大きくなり、石油タンクの亀裂の原因となる。こうした新事実に照らし、全国の石油タンクを点検した結果、すでに著しいもの109基の異常があり、急遽石油抜き取りなどの対策が進められている。しかし、石油タンクの沈下については、消防法でも検査基準がなく、また今回の事故原因となった12.5cm程度の沈下は、許容範囲内として問題視されていなかった。法的責任の所在は別として、この石油流出により漁業関係者への補償は200億円を越し、住民、企業双方にとって、深刻な打撃となった。海洋汚染の影響が完全に消滅するのには、数年かかると見られる。

ページの先頭へ 戻る

水底的石油タンク

1976年版本誌掲載。以下、

現在の貯蓄油タンクは、陸上、それも埋立地の軟弱地盤に立てられているが、これはコンクリート製タンクを深さ40mの地中に埋没して、下から浸透してくる海水の上に浮かせるというもの。1基8000〜1万2000キロリットルと小さいが、経費、防災のうえで利点が多い。近畿大学保野助教授の提唱で注目を浴びた。

ページの先頭へ 戻る

石油コンビナート等災害防止法

1974(昭和49)年の水島製油所(岡山県)重油流失事故や75年に発生した四日市(三重県)石油タンク火災など、石油コンビナートに関連する事故の続発を受けて「石油コンビナート等災害防止法」が75年に制定された。

この法律は企業に流出油防止施設を設けることなどを義務付け、また石油や高圧ガスを大量集積するコンビナートを「特別防災区域」に指定し、総合防災体制を義務付けた。

ページの先頭へ 戻る

水島工業地帯

岡山県倉敷市の南部、高梁川河口に位置する日本有数の重工業地帯。三角州と沿岸の埋め立てにより造成され、水島港とその後背地一帯に広がる。漁業と干拓農業が中心だったこの地域は、第2次大戦中の工場分散政策によって工業地域化が始まった。最初に建設された大規模工場は三菱重工名古屋航空機製作所岡山工場。高度経済成長期には、コンビナート型開発による臨海工業地帯へと成長した。工業用地総面積は2456.3ha。

ページの先頭へ 戻る

「豊浜トンネル」岩盤崩落事故

1997年版本誌掲載。以下、

国道のトンネル上にあった桁外れの巨大な岩盤が崩れ落ちてトンネルに突き刺さり、運悪くトンネル内を走行中の路線バスと4輪駆動車が押しつぶされ20人が死亡した。事故発生から遺体発見まで丸1週間を費やす難作業だったが、最悪の結果に終わった。96年2月10日朝8時すぎ、北海道・積丹半島の国道229号線の古平と余市町を結ぶ「豊浜トンネル」で事故は発生した。落下した巨大な一枚岩は高さ45m、最大幅29m、厚さ6m、重さ2万7000トン、体積1万立方m。斜度70度のこの岩盤が、約30mの高さから落下した。岩盤撤去作業は、人命救助が第一に慎重に進められたため、岩盤の発破(火薬で破壊すること。削岩機で穴を開け雷管をつけた火薬をいれ、導火線で点火する)は、失敗を繰り返しながら計4回、さらに80cm厚の鉄筋コンクリートのトンネル構造体が立ちはだかるという至難な作業の連続。犠牲となった20人は即死状態だった。初動の遅れなど、阪神大震災での危機管理の教訓が全くいかされなかった。北海道開発局が設置した事故調査委員会は9月14日、「崩落原因は既にあった岩盤の亀裂に地下水が浸透し、風化。事故の数日前から地下水の凍結による圧力の増加で岩盤の強度が低下、安定を失って落下した」とし、崩落の予知・予測は困難であったとの最終報告書を発表。そして同開発局のトンネルの管理責任を事実上否定した。これに対し、遺族は反発、学会からも批判が出た。今後はトンネルの設計や管理に問題がなかったかどうかを追及している北海道警察の捜査に移る。なお、政府は遺族に対し国家賠償法による補償を決定した。

ページの先頭へ 戻る

防護シェルター(ロックシェッド)

1997年版本誌掲載。以下、

落石が路面に直接落下するのを防ぐために設けられた、鋼材や鉄筋コンクリートなどでできた道路用の覆い。道路の側方に余裕がなく、落石が発生しやすい急傾斜面が連続するような道路や、落石の規模が大きく、落石防止柵などでは防げない場所、落下高が大きく、落石が柵を飛び越す恐れがある場所などに設ける。1996(平成8)年2月に北海道・積丹半島の国道229号線「豊浜トンネル」で起きた巨岩崩落事故では、およそ2万7000トンもの巨大な岩塊が一挙に崩れ落ちたと推定されているが、こうした巨岩にはロックシェッドも無力。土砂崩れの予知・予測システムの開発など、別の対策が必要だ。

ページの先頭へ 戻る

明石の歩道橋圧死事故

2002年版本誌掲載。以下、

花火見物客が歩道橋上で将棋倒しになり、11人が死亡した。45年前の124人が圧死した彌彦神社(新潟)以降の最悪の惨事。2001(平成13)年7月21日、第32回市民夏まつり(同市などが主催)の花火が終わりかけた夜8時40分ごろ、兵庫県明石市大蔵谷のJR朝霧駅南側と大蔵海岸を結ぶ高架式歩道橋で、花火見物から帰る客と海岸に向かう客の押し合いで、約200人が将棋倒しになり、子ども9人と高齢者2人の計11人が死亡、122人が負傷した。この歩道橋は、長さ103m、幅6mで、JR山陽線と山陽電鉄、それに国道2号と同28号をまたいでいる。花火会場への出入口はこの歩道橋だけで、そこに過去最高の約15万人の人出となり、お粗末な警備対策が大事故を誘発した。明石市と明石署は、雑踏対策を警備会社に任せっきりにし、橋上が限界を超えるまで漫然と見逃し、携帯電話での相次ぐ救助要請にも機敏な対応をとっていなかった。兵庫県警捜査本部は傷害致死傷事件として身内を含めた異例の捜索を開始した。

ページの先頭へ 戻る

群集雪崩

2003年版本誌掲載。以下、

兵庫県明石市で2001(平成13)年7月21日に、市主催の花火大会で事故が起きた。11人が死亡し、247人が負傷。12月に、明石市が設置した事故調査委員会(原田直郎委員長)は、事故発生のメカニズムについて「群集雪崩(ぐんしゅうなだれ)」との見解を示した。事故発生の予測を可能と判断したわけである。駅と会場を結ぶ朝霧歩道橋の南端付近で、群集はさまざまな方向から複雑に力が働いた結果、もみあいが生じ、人が転倒したのが原因。力が一方向に加わることで人が次々に倒れる「将棋倒し」とは違う。事故当時の県警本部長が注意処分、明石署長らが業務上過失致死傷容疑で書類送検となった。大事故のわりには、警察および市の責任者の処分が甘いのでは、との声が聞かれる。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS