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オリンピックの歴史に燦然と輝くキーパーソンからキーワード
 

マーク・スピッツ  Mark Spitz

1950年生まれ。アメリカの水泳選手。

金メダル最多獲得記録

1972年のミュンヘン・オリンピックで、アメリカの水泳選手マーク・スピッツは、100メートル自由形、200メートル自由形、100メートルバタフライ、200メートルバタフライ、400メートル自由形リレー、800メートル自由形リレー、そして400メートルメドレーリレーの7種目で金メダルを獲得するという偉業を成し遂げた。しかも、それらはすべて世界新記録だった。1大会7個の金メダルは、他に誰も成し遂げていないオリンピック史上最多記録である。

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水の申し子

スピッツは、1968年のメキシコ大会でも、100メートルバタフライで銀メダル、400メートルと800メートル自由形で金メダルを獲得している。金メダル総獲得数は、ミュンヘンの7個とあわせて9個になり、これはカール・ルイス(男子陸上/米国)、パーボ・ヌルミ(男子陸上/フィンランド)、ラリサ・ラチニナ(女子体操/当時のソ連)と並ぶ最多記録である。「水の申し子」と称されたスピッツは幼い頃から父親から手ほどきを受け、さらに名コーチのヘインズから指導を受け、16歳の若さで世界記録を樹立している。

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ミュンヘン・オリンピック・テロ事件

ミュンヘン・オリンピックは最も痛ましいオリンピックとしても人々に記憶されている。開催期間中に選手村で、パレスチナゲリラがイスラエル選手団のレスリングコーチとウエイトリフティングの選手を殺害し、さらに9人のイスラエル選手を人質に取り、15時間立て籠もった末、救援部隊と銃撃戦になり、人質全員が死亡するという事件が起きたのである。ユダヤ系だったスピッツは身の危険を感じて急ぎ帰国したが、そのため彼を事件と結びつける中傷を呼んだ。

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S字ストローク

スピッツは、泳法の技術向上に大きな貢献をした。彼が提唱した「クロールはS字を描くように腕をかく(S字ストローク)」「バタフライは鍵穴を描くように腕をかく」といった技術は、よりすぐれた水泳指導を可能にし、また記録向上に役立った。その後、ジム・モンゴメリーやローディ・ゲインズなど世界記録を塗り替えたすぐれた選手らが提示したクロールの新泳法も、スピッツの泳法を基にしている。また、泳法だけでなく水泳選手の理想的な体型も科学的データとして提示している。

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39歳の挑戦

スピッツは、輝かしい実績を残しながらミュンヘン・オリンピック直後に現役を引退し、それ以降はセールス業を営んだり、芸能活動を行ったりと水泳の世界から離れていた。しかし、39歳になった1989年に1992年のバルセロナ・オリンピック出場をめざして本格的な練習を再開し、翌年現役復帰を果たす。「ベビーブーマー世代、40歳の抵抗」などと大きな話題を振りまいたが、参加に必要なタイムを満たすことができず、チャレンジは実を結ばなかった。

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水泳のプロ化

スピッツは水泳のプロ化に人力を尽くした人としても知られている。選手が、スポンサーになってくれたスポーツ用品メーカーの製品を、自分のパフォーマンスやレース後の写真撮影などを通して宣伝するというのは今でこそ当たり前であるが、スピッツは水泳競技の世界に初めてこの考えを導入した。高額の広告料契約を要求する彼を批判する声もあったが、彼の試みがソウル・オリンピック5冠のビオンディや、アテネ・オリンピック6冠のフェルプスといったスターをつくる基盤を作ったといえる。

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マット・ビオンディ

マット・ビオンディは、スピッツに続く水泳王国アメリカのスターだった。ソウル・オリンピックでは陸上のカール・ルイスと並ぶほどに人気があった。それを象徴するかのように、1988年の米国オリンピック委員会最優秀選手に選ばれている。保有していた200メートル自由形の世界記録は12年間破られることがなかった。また、スピッツの現役復帰の際は、彼と2人でマッチレースを繰り広げ大きな話題を呼んだ。引退後、大学で博士号を取得し、その後高校の数学・化学の教師になったことでも広く敬愛されている。

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マイケル・フェルプス/イアン・ソープ

水泳がプロ化されて久しい。アテネ大会で注目されたプロ水泳選手とえいば、米国のマイケル・フェルプスとオーストラリアのイアン・ソープだろう。彼らはその実力もさることながら、高額の広告契約やモデル契約を結ぶなどまさに商業的な成功をも手にしたスターである。特にフェルプスは、16歳でスポーツ用品メーカーとスポンサー契約を結び、その後プロの競泳者としてオリンピックでの金メダル獲得、世界選手権優勝、世界記録樹立と期待どおりの活躍をしている。フェルプスによる「スピッツと同じく7つの金メダルをとる」という勇ましい宣言は、アテネ大会を大いに盛り上げた。

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