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世代交代のキーパーソンからキーワード
 

江藤隆美親子

2003年11月の衆院総選挙で自民党は、比例選挙での73歳定年制を完全適用するなど、世代交代・若返りを図った。宮沢・中曽根両元首相がこれに反発するなか、江藤隆美は自ら勇退を表明。しかし議席の後継に長男・江藤拓を擁立したため、世襲批判を受けることになった。結局、後援会や知名度などをそのまま受け継いだ拓氏は当選。

江藤隆美

1925年生まれ。宮崎県日向市出身。1947年、宮崎農林専門学校(現・宮崎大学)卒。宮崎県議を経て、1969年衆議院議員に初当選。農林省政務次官、国土庁政務次官、自民党国会対策委員長などを経て、建設大臣、運輸大臣、自民党幹事長代理、総務庁長官などを歴任。1999年、政策集団「志帥会」(江藤・亀井派)の会長となる。2003年8月、今期限りでの引退を表明。志帥会会長職は亀井静香に、みずからの地盤は長男・に譲られる。

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江藤拓

江藤隆美の長男。1960年、宮崎県生まれ。成城大学経済学部卒業後、ハーバード大学客員研究員となる。1987年、父の秘書となり、89年には運輸大臣となった隆美の政務担当秘書官、93年には公設第一秘書となる。95年、総務庁政務担当秘書官。2003年11月の総選挙で宮崎2区から立候補し、初当選。この選挙では、自民推薦の黒田氏と競合してしまい、当選した方が自民党公認を得るという特異な状況も生まれた。拓氏の特技は空手とアイスホッケー。かなりの釣り好きとか。

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世襲

家の事業・格式・財産などを子孫が代々受け継いでいくこと。選挙では、世襲候補は後援会や知名度、資金等さまざまな点で有利となる。ちなみに、2003年11月の総選挙では150人の世襲組が立候補し、122人が当選。世襲議員は96年の総選挙から減少傾向にあったが、今回の選挙では前回よりも12人増えた。また、当選率も前回の72%を上回り、8割を超えた。

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世襲批判

世襲制度を不満に思い、批判すること。ことに近年、政治家の世襲に対して「新しい政治勢力が生まれない」として、疑問視する声が高まっている。2003年の総選挙、宮崎県連は世襲封じの意図もあって、いったん公認候補を選ぶ予備選実施を決めたものの、隆美の猛反発に立ち消えとなった。隆美によれば、「商店や農業でも後継者は大事。なぜ政治家が後継者をつくってはいけないのか」とのこと。また、隆美は政界引退を表明した際、世襲について質問しようとした記者をバカ呼ばわりし「取材禁止にするぞ」と叱りつけたことも。

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オフレコ

off the recordから、記録にとどめないこと。記事などにしないこと。江藤隆美は1995年、村山改造内閣の総務庁長官に就任するが、オフレコという前提でおこなった「日本は朝鮮統治時代にいいこともした」という発言が報道され、日韓両国で物議をかもした。結果、責任を取って辞職した江藤だが、著書『「真の悪役」が日本を救う』の中では「村々に小学校を設けた」「植林と治水」など、具体的な事例をあげ、この発言の正当性をあらためて主張している。

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『「真の悪役」が日本を救う』

江藤隆美の著書(2003年5月刊・講談社)。サブタイトルは「ポピュリズムは最後に民衆を苦しめる」。「世論の反発を恐れない」「解散・総選挙を恐れない」「汚れ役となることを恐れない」の3つを信条として掲げ、小泉首相への批判、みずからの半生、志帥会による政策提言など、多岐にわたった内容。とくに小泉首相や竹中平蔵に対しては、「欧米かぶれした白面の輩」などときわめて手厳しい。

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志帥会

江藤隆美と亀井静香が率いる派閥。江藤・亀井派。平成11年3月発足。「日本国民の精神文化再構築」「慎みと品格ある日本人本来の国民性の復活」を標榜している。会の名は中国の古典「孟子」の中にある「志は気の帥なり」(思想・精神が堅固であれば、気力が湧いてくる)から取られている。会長であった江藤の引退後は亀井がその職を引き継ぐ。

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安倍晋三

近年、もっとも注目を浴びた世襲議員の1人。1954年生まれ。父は安倍晋太郎元外相。祖父は岸信介元首相。成蹊大学法学部政治学科卒業後、南カリフォルニア大学政治学科に留学。神戸製鋼所を経て、1982年、外務大臣(父・晋太郎)秘書官となる。1993年、衆議院議員に初当選。2000年、第2次森内閣より官房副長官をつとめる。2002年の日朝首脳会談では平壌に同行。2003年9月、自由民主党幹事長に就任した。49歳での就任は史上3番目の若さ。

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小渕優子

やはり注目を浴びた世襲議員のひとり。父は小渕恵三元首相。1973年生まれ。東京出身。1996年、成城大学経済学部を卒業し、東京放送(TBS)入社。1999年、小渕恵三事務所に総理秘書として入所。2000年1月には語学研修のため渡英したが、父の急死により帰国。同年6月の衆議院選挙において群馬5区より立候補し、初当選した。2003年11月、衆院本会議での議事進行係に任命される。この役は通称「呼び出し太郎」。「ぎちょーーー」という独特の言い回しで知られ、女性では野田聖子に続いて2人目。

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