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予知と予測と予報に関する単位と数値
著者 白鳥 敬

予知と予測と予報に関する単位と数値

予知のいろいろ

アニメや小説に出てくるエスパーのように予知能力を使えたらいいな、と思ったことが誰にもあると思いますが、残念ながら、時間は過去から未来に向かう一方向の流れですから、残念ながら未来のことを知ることはできません。でも、人間は、知恵を使って未来を予測する方法を考え出してきました。

未来を推し量る行為を表す言葉については、微妙に意味が違ういくつかの言葉があります。

「予知(predict)」は、物事が起こる前にどうなるかを知ること。

「予測(estimate)」は、将来の出来事や状態などを事前に推し量ること。

「予報(forecast)」は、事前に推測して知らせること。

「予想・予期(expect)」は、あらかじめ予測すること。

「ナウキャスト(now -cast)」は、最近は、気象の分野で使われるようになってきた言葉です。即時予報。現在の観測データを元に、数時間先までの短時間の予報を行うことです。

うーむ、いろんな言葉がありますから、ひとくちに未来を読むといってもなかなか手ごわいですね。

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もっとも長い予測は?

もっとも長く壮大な予測は宗教的なものかもしれません。仏教では、お釈迦様が入滅した後の1000年を正法といい、これは仏の教えが続く時代です。次の1000年を像法の時代といって、教えと修行は存在するが悟りが存在しなくなる時代です。そして、その後1万年は、教えは存在するが、修行も悟りもない時代が続き、その後、世界は滅亡するのだそうです。(正法と像法はそれぞれ500年とする説もあります)

1万年とは、人間の一生に比べると想像を絶する長さですが、宇宙の年齢の137億年に比べると、「少しだけ」短いかな、という気もします。なにしろ、最近の研究によると、宇宙には終わりがなく永遠に広がり続けるのだそうですから。

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長いといえば、あの人も…

未来のことが手に取るように見えた男。その男の名は、ノストラダムス。「1999の年何かがおこる…」と、テレビ局が特番をつくるなどして大騒ぎをしました。しかし、その年も、とくに変ったことは無し。そういうもんです。

このノストラダムスという男に、未来を知る力があったのかどうかは、著者は知りませんが、詩のようなかたちで、7000年も先までの出来事を記した想像力には敬意を表したいと思います。

しかし、この7000年というのには諸説ありますが、西暦7000年までという意味ではなく、19世紀から29世紀にかけてのことだと解釈するのが妥当なようです。彼の予言には、年号が書いてあるものは少ないので、いったいいつのことなのやら、正確なことはだれにもわからないのです。だからこそ、いろんな解釈が出てくるんですね。

明日の自分のことさえ正確に予言できない我が身にとっては、何千年も先のことなんかどうでもいいことですが…

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少子化がこのまま続くと100年後の日本はどうなる?

少し現実的な話に戻しましょう。少子化が問題になっています。このままの出生率でいくと、100年後に、日本の人口はどれくらいになると思いますか。

国立社会保障・人口問題研究所の『日本の将来の推計人口(平成14年1月推計)』によると、2100年の人口は、6413万7000人と推定されるそうです。2000年の人口が1億2693万人ですから、100年後には、日本人の数は半分になってしまうということです。

出生率は予測が難しいので、出生率の変動を予測して、最悪のケース、普通のケース、わりと良い場合、の3つに分けて推計されています。上記の数字は普通のケースですが、最悪のケースだと、2100年の人口は、たったの4645万人になってしまうそうです。

これは、あくまでも、現在の出生率を元にした推計ですから、こうならないように、子供をたくさんつくればいいのです。作りかたはだれでも自然に覚えますし…

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老人天国も考えようによっては楽しいかも

少子化が進むと、当然ながら高年齢層の人口比率が上がります。前項の『日本の将来の推計人口』によると、65歳以上の人口は2000年には全体の17.4%ですが、2033年には30%を超え、2050年には、35.7%になると推定しています。その後、35%台が2073年まで続いた後、ゆっくり減り始め、2100年には32.5%になるそうです。

とにかく、これから100年は全人口のうち老人が3分の1を占め続けるわけです。現在すでに65歳以上の人はもちろん、今、現在0歳の赤ん坊も、みな同じように、高齢化社会で暮らしていかなくてはいけないということです。

いや、しかし、そうなれば、老人だからどうのと言っておれないのでは。

「年齢なんて関係ないや」という社会にしていけば、ま、問題は多少は軽減するかも。

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どんどん出生率が下がり死亡率が高くなっていく

上記の『日本の将来の推計人口』で死亡率の推計を見てみると、2001年に7.7‰(パーミル= 1000人あたりの割合)だった死亡率が、どんどん増加してゆき、2050年には16.2‰になると推定されています。老人の人口が増え、生まれる子供の数が減っていくのですから当然のことですね。

出生率は、2001年に9.4‰、その後どんどん下降してゆき、2035年には7‰、2050年には、6.7‰まで落ちると推定されています。

2006年には、死亡者数が出生者数を上回り、その後、どんどん、不気味なくらい人口が減っていきます。この数字を見ると、「なんとかせねば」と誰もが思うのではないでしょうか。

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明治時代末期の日本が100年後にやってくる

日本は国土が狭いので、人口が現在の半分くらいになれば、さぞ住み心地がよさそうに思えるかもしれませんが、残念ながら多くの日本人が狭いところで、切磋琢磨しあってるからこそ、活気が生まれるのだと思います。人口が多いということはライバルが大勢いるということですからね。

ところで、人口密度を見てみると、日本は1平方kmあたり340人。これは世界第4位です。第1位は、都市国家シンガポールの6300人、2位はバングラディシュの882人、3位は韓国の472人。逆に、主要国で人口密度が小さいのは、オーストラリアの2人、カナダの3人、ロシアの9人など。ちなみにアメリカは29人。(国立社会保障・人口問題研究所『人口統計資料集(2003年版)』より、1999年の数値)

2100年の最悪のケースを想定した推定で、日本人の人口は4645万人だそうですから、これでも人口密度は、1平方kmあたり123人にもなります。4645万人というと、明治時代の末期頃の人口です。人口が少なく貧しいが静かな日本と、人口が多く豊かで騒々しい日本。どちらがいいのか、考えさせられるところです。

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時間ってみんな同じなのかな?

生物学者の本川達雄氏の『ゾウの時間ネズミの時間』という本によると、動物の時間は、体重の1/4乗に比例するのだそうです。ゾウのように体重の重い大きな動物は、時間がゆっくり進み、ネズミのような小さな生き物は時間が速く進むのだそうです。

1/4乗というのは一見わかりにくいですが、平方根の平方根のことです。電卓で√キーを2回たたくと求めることができます。

体重が16倍になると時間は2倍になり、体重が5倍になると、時間は1.5倍になります。ゾウはゆったりと行動し、100歳くらいまで生きますが、ネズミは、ちょろちょろ忙しげに動きまわって、1年か2年で死んでしまいます。

人間と違って動物は時間という概念は持っていませんが、動物たちは人間とは違う時間を生きているということです。

人間でもせっかちな人とのんびりした人がいて、多少は体重と関係ありそうな気もしますが、どうなんでしょうか。

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脈拍と人生の関係

人間の心臓は、1分間に60回くらい正確に鼓動を打ち続けています。これを一生続けているわけですから、心臓というのはなかなかに疲れ知らずの働き者です。

前項の本川達雄氏の著書によると、心臓が1回ドクンと打つ周期も、生物の大きさと関係があるそうです。人間は1分間に60回くらいですが、ネコは1分間に200回くらい、ハツカネズミは1分間に600回以上、ドクンと打つそうです。そして、どの動物も、寿命を終えるまでにほぼ同じ回数、脈を打つのだそうです。

小さな動物は、寿命が短いので、一生の間に決められた回数、脈を打たなきゃ、とセッセセッセと脈を打つのでしょうか。

人間も、風邪をひいたりして体調の悪いときは、脈が速くなりますが、その分だけ寿命が縮まっているのだろうか、などと余計な心配をしてしまいそうです。

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成長の限界──ローマ・クラブ

世界を代表する頭脳を持つ人々が100人集まって、地球の持つリソースの有限性について考え、警告を発しているのが、ローマ・クラブです。1968年にローマで最初の会議を開催したことからそう呼ばれています。

この団体が世界に衝撃を与えたのは、1972年の『成長の限界』という研究報告でした。このまま、地球が無限であるかのように消費社会を拡大し続けてゆき、また人口の増加を放置しておくと、100年以内に人類は壊滅的な状態になるだろうと警告し、そのためには、限られたリソースを消費しすぎない、ゼロ成長の社会を実現すべきだと提言しました。

「成長の限界」が発表されてから、すでに30年あまりたっていますが、この「予言」は、古い枠組みが外され始めている現代の日本を見ると、まさにその通りだな、と思わないではいられません。

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