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秋から冬にかけてますます気になる食のキーパーソンからキーワード
 

平野寿将(ひらのひさま)

1960年愛媛県松山市生まれ。料理人としてのスタンスやイメージを守りながら、メディアと連携して多彩な料理プロデュース活動を展開。自分の料理の原点を常に凝視し、派手ながらも決して自分を見失おうとしない姿勢が印象的である。

参上!お助け料理人

平野を一躍有名にした、TBSの情報番組「ベストタイム」の中の人気コーナー。2000年7月、家族への感謝の気持ちを料理に託すコーナー「参上!感動料理お助け人」の、「さすらいの料理人」として登場。同コーナーは翌年1月からレシピ紹介を充実させ、「参上!お助け料理人」としてバージョンアップした。その後、スタジオでの料理実演も開始、一躍主婦の人気者に。2003年7月に終了。

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松山市

愛媛県の県庁所在地、平野の出身地。人口約47万8000人(2003年10月現在)。松山城や道後温泉などがあり、正岡子規の生誕地、夏目漱石「坊っちゃん」の舞台としても有名。平野の父は獣医師、母は茶道、華道師範。「一つのジャンルを極めて、そのことにプライドを持つ家族」だったと彼は語る。平野は1978年から京都の料亭「萬重(まんしげ)」で修行したあと、83〜85年、オーストラリアに渡って日本料理と寿司の指導にあたった。

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懐石

茶の湯で、茶の前に出す料理。茶懐石とも言う。平野はオーストラリアから帰国後、松山市で懐石料理店「食楽平野」を開店。若干25歳だったが、その力強い情熱は店は繁盛させた。「30歳になったら、山を1つ買って懐石のオーベルジュ(宿泊施設つきのレストラン)をつくる」ことが夢だったという。しかし、手がけたコンビニ弁当の仕出し会社があえなく倒産し、数億円の借金を負う。その後再起をかけて上京、第二のスタートを切ることに。

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出張料理人

1990年、30歳で上京した平野は「出張料理人」となる。これは、結婚式、結納、新築祝い、パーティーなど、依頼主の指定の場所に出向き、調理を提供するという職業。ほかにはフランス料理の小暮剛(1961年生)などが知られている。1991年には郷土料理、懐石料理に対する功績により、内閣総理大臣より表彰された。

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鬼塚勝也(おにづかかつや)

1970年北九州市生まれ。1988年プロデビューし、全日本ジュニア・バンタム級王座を経て、WBA世界ジュニア・バンタム級タイトルを5回防衛。6回目の防衛に失敗後、右目網膜剥離で引退した。プロ通算25戦24勝(17KO)1敗。引退後はTBSボクシング解説者などをつとめる。1992年、平野は鬼塚と専属料理人の契約を結び、食事管理を行っていた。

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屋台村

屋台の雰囲気を忠実に再現した飲食店の集まり。和食やラーメンなどにとどまらず、エスニック系の屋台村も人気がある。1993年、平野は池袋屋台村などをプロデュース、全国に屋台村ブームが起きるきっかけを作った。この時期は、1日1組の店「平野」オープン(1992年)、料理教室「寿将塾」開校(1994年)など、まさに怒涛の快進撃。

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プロデュース  produce

製造する、演出するを意味する英語。転じて、商品、芸能人などの販売戦略、メディア露出などを立案し、実現させること。平野屋台村やウェディングパーティーを皮切りに、数多くのプロデュース業をおこなっている。丸味屋の納豆、豆腐、ふりかけ、小田原「東華軒」の弁当、つぼ八の顧問やプロントのメニューアドバイザーなどだが、ファミリーマートの弁当「HISAMA'S Kitchen(ヒサマズキッチン)」のプロデュースは特に話題を呼んだ。

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HISAMA'S Kitchen

平野は2002年、ファミリーマートと業務提携契約を交わし、同年の秋より3回にわたって、期間限定(それぞれ約1月)の弁当メニューを販売、HISAMA'S Kitchenと名づけた。平野はアイディアから素材の選定、味付けまで全面的に携わったという。メニューは「やわらか煮豚重」「オムプレート」(第1回)、「こだわりの和菜膳」「ヒレカツ・メンチ大膳」(第2回)、「豚生姜焼き大膳」「竹の子・鶏そぼろ膳」(第3回)。

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寿将塾

平野が主催する料理教室。1994年、港区南麻布に開校。コースは3つに分かれる。<1>「寿将流家庭料理」では、日々の「食」を原点に据え、親しみやすさをコンセプトとした家庭料理を指導。<2>「愉(ゆう)、懐石専科」では懐石の心と一汁三菜を学ぶ。両コースともメニューは平野のインスピレーションによるため、事前に知らせることはできない。<3>「プロ養成科」を修了すると、講師として活動する資格を得られる。

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Cucina di Uno(クッチーナ・デ・ウーノ)

平野は2003年4月、岡山県玉野市宇野港周辺の活性化事業「Cucina di Uno」に関わる企画・総合プロデュースを依頼された。これは、「港」「食」「ひとづくり」をキーワードに、宇野港第一突堤に港の風景を見ながら食事できる空間を整備するというもの。プロジェクトの参加者募集に際しては、平野本人が出向いて、サイン会かたがた直接説明を行った。

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