月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
復活・リメイクのキーパーソンからキーワード
 

映画・エンタテインメント

名作の復活・リメイクは、新旧のファンを見込めるというメリットがあるし、「良い作品が時代を超えて受け継がれてゆく」という見方もできる。しかし昨今では、新作低迷の打開策という印象も否めない。やはり、古いなかにも新しさを盛り込むなど、現代に復活する意義をもたせることが重要である。

座頭市(ざとういち)

子母澤寛(しもざわかん、1892〜1968)の短い随筆をヒントに、故・勝新太郎が膨らませた時代劇のキャラクター。勝の当たり役で、盲目の座頭が仕込み杖片手に斬りまくる。やはり勝主演の映画「不知火検校」(1960)を原型とし、「座頭市物語」(1962)以降、26本の劇場版とテレビシリーズ(1974〜79、全4シリーズ)がある。2003年、北野武の監督・主演によってリメイクされ、金髪の座頭市が話題に。第60回のベネチア映画祭にて銀獅子賞(監督賞)ほか3賞を受賞した。

ページの先頭へ 戻る

子連れ狼(こづれおおかみ)

原作・小池一雄、画・小島剛夕のコンビによる劇画時代劇。刺客・拝一刀とその一子・大五郎の諸国遍歴と、宿敵柳生一族との対決を描く。映像化は若山富三郎主演の劇場版シリーズ6作(1972〜73)や田村正和主演の映画(1993)もあるが、とくに萬屋錦之助のテレビ版(1973〜76、全3シリーズ)が有名。2002年、北大路欣也主演のテレビ版が製作され、2003年にはその第2シリーズが放送。

ページの先頭へ 戻る

坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)

歌舞伎の大名跡の一つ。初世(1647〜1709)は上方歌舞伎を代表する名優で、特にやつし・濡れ事・くどきの芸に卓越していたとされる。菊池寛の「藤十郎の恋」はこの人物が主人公。3代目の没(1774年)後継承されていなかったが、2005年、中村鴈治郎による襲名が決定。同年には現・中村勘九郎の勘三郎襲名、2004年には現・市川新之助の海老蔵襲名も決定しており、大名跡の復活が相次ぐ。

ページの先頭へ 戻る

ハリウッドのリメイクブーム

ハリウッドでは、制作費の膨張から回収を確実に見込めるリメイクや続編、コミックの映画化などが続いている。「スパイダーマン」(2002)のヒット後、その傾向が著しいとされ、2003年夏は「マトリックス リローデッド」「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」「ターミネーター3」などの続編、「ハルク」のようなコミック原作が目白押しとなった。「ビジネス最優先のハリウッドが、確実にヒットを狙えて利益を期待できる続編に向かうのは当然」とは、やはり「踊る大捜査線」の続編をヒットさせたフジテレビの亀山千広・編成制作局長。

ページの先頭へ 戻る

西河克己(にしかわかつみ)

1918年、鳥取県生まれ。1939年、日本大学芸術科卒業後、松竹大船撮影所に監督助手として入社。戦後、監督として一本立ちし、日活に移籍。1962年「若い人」(1937、52に続き3度目)、63年「青い山脈」(49年に続き2度目)、63年と74年の「伊豆の踊子」(4度目と6度目)など、数々のリメイク映画を手がけ、「リメイクの巨匠」の異名をとる。山口百恵・三浦友和コンビによる「伊豆の踊子」(1974)、「潮騒」(1975)「春琴抄」(1976)などでも有名。

ページの先頭へ 戻る

ウルトラマン/仮面ライダー

70年代を代表する変身ヒーローだった両シリーズは、80年代以降も散発的なテレビシリーズや映画、オリジナルビデオなどで継続していたが、本格的な復活は90年代以降である。オリジナルテレビシリーズとしては、「ウルトラマンティガ」(1996〜97)が「ウルトラマン80」(1980〜81)以来、「仮面ライダークウガ」(2000〜01)は「仮面ライダーBlack RX」(1988〜89)以来の復活。現在もそれぞれのシリーズが継続している。ちなみに、2001年7月から02年9月までは、1981年3月(ウルトラマン80、仮面ライダースーパー1)以来、20年ぶりに両ヒーローの新作がブラウン管で揃い踏みした(ウルトラマンコスモス、仮面ライダーアギト/龍騎)。

ページの先頭へ 戻る

リメイクドラマ

2003年7月期から放映された「高原へいらっしゃい」(TBS)は、1976年に放映された、山田太一・脚本のリメイク。高原にあるホテルの再建にかける人々の姿を描いたが、視聴率的にはふるわなかった。また、同9月期からは78年版のリメイクである「白い巨塔」(CX)の放送が開始、こちらは好調な視聴率である。医師の権力闘争など、医学界の実態を鋭くあばいたこの作品は、山崎豊子の原作。どちらもオリジナルが田宮二郎主演なのは単なる偶然か。

ページの先頭へ 戻る

ひょっこりひょうたん島

作・井上ひさし、山本護久。1964年から69年にわたってNHKで放映された人形劇。世界中を漂流するひょうたん島と、ドン・ガバチョ以下、個性的な島民たちの冒険を描き、国民的人気を博した。オリジナル版は1224本のうち8本しか現存しておらず、91年から96年にかけてリメイク版が5シリーズ制作された。2003年2月1日、テレビ放送50周年記念番組の中で、34年ぶりの新作「人間レコードの巻」が制作・放映され、4月よりリメイク版の再放送が開始。

ページの先頭へ 戻る

横山光輝(よこやまみつてる)

漫画家。1934年生まれ、神戸市出身。手塚治虫に触発されて漫画を書き始め、1955年デビュー。1956年より雑誌「少年」に連載した「鉄人28号」で一躍人気作家に。1991年「三国志」で第20回日本漫画家協会賞優秀賞受賞。SF、時代劇、歴史、少女漫画と多方面で活躍。「鉄人28号」「仮面の忍者赤影」「バビル2世」など、複数回映像化された作品も多い。作品の映像化に際しては、寛大なのか無関心なのか、出来不出来とは別に原作の原型程度しか留めていない場合もしばしばで、「六神合体ゴッドマーズ」(81〜82)、「RED SHADOW 赤影」(01)などが極端な例。2003年には「鉄人…」の実写映画化が決定。

ページの先頭へ 戻る

松谷孝征(まつたにたかゆき)

手塚プロダクション社長。1944年横浜市生まれ。中央大法学部を卒業後、劇団での活動を経て、71年に出版社に入る。週刊誌の編集者として、故・手塚治虫と知り合い、マネージャーを経て、85年手塚プロ社長に。没後の手塚ブームやキャラクタービジネスなどで年商を存命時の3倍に延ばす。兵庫県宝塚市の記念館建設なども手がけ、2003年4月には、プロデューサーとして3度目のアニメ化である「アストロボーイ 鉄腕アトム」をスタートさせる。同時にハリウッドでのアトム映画化プロジェクトも進行。

ページの先頭へ 戻る

井上敏樹(いのうえとしき)

脚本家。1959年生まれ。東京都出身。父は「仮面ライダー」(71〜73)などで知られる脚本家の伊上勝。81年に「Dr.スランプ アラレちゃん」で脚本家デビュー。「鳥人戦隊ジェットマン」(91〜92)、「超光戦士シャンゼリオン」(96)などを経て、2000年、「仮面ライダークウガ」に参加。続く「アギト」でメインライター。以後も「龍騎」「555(ファイズ)」(メインライター)と、平成ライダーシリーズすべてに参加している唯一の脚本家であり、劇場版の脚本もすべて井上による。先の読めない展開と個性的なキャラクター作りで、親の世代まで巻き込んだライダー人気に貢献した。「555」では、ヒーローに変身する主人公自らが、実は敵である変異種オルフェノクでもあったという衝撃的な展開で、ファンの間に激しい賛否両論を巻き起こした。

ページの先頭へ 戻る

金子修介(かねこしゅうすけ)

映画監督。1955年生まれ、東京都出身。78年に東京学芸大学卒業、助監督として日活に入社する。84年、ロマンポルノで監督デビュー、同年、ヨコハマ映画祭新人監督賞を受賞。85年退社。一般映画に進出し、「就職戦線異状なし」(91)、「毎日が夏休み」(94)などを手がける。1995年の「ガメラ 大怪獣空中決戦」以後、3本のシリーズを手がけ、60〜70年代に大映の人気キャラクターだったガメラを復活させた。とくに、リアル志向を追求した2作目「レギオン襲来」(96)の評価が高い。01年には、「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」でゴジラ映画にも進出。

ページの先頭へ 戻る

カバー曲ブーム(本誌2004年度版収録)

カバーとは、オリジナル(初出)演奏者、歌手により、すでに発売されている楽曲を、ほかの歌手などが演奏・歌うこと。井上陽水によるカバー曲がきっかけに、往年のヒット曲カバーが続いている。倉木麻衣やZARD、小柳ゆき、島谷ひとみ、椿、中島美嘉など注目の女性歌手を中心に、山口百恵や美空ひばり、ザ・ピーナッツ、久保田早紀らの1970〜90年代ヒット曲カバーが続き、話題となっている。インディーズ・シーンでも、「贈る言葉」「なごり雪」などのカバー曲がヒットしている。

ページの先頭へ 戻る

藤山直美(ふじやまなおみ)

女優。1958年、大阪市生まれ。松竹新喜劇の座長、藤山寛美(1929〜1990)の三女。3歳でNHK大阪制作「桂春団治」に父と出演。ドラマ「心はいつもラムネ色」「おんなは度胸」などで人気を博す。初の主演映画「顔」(2000)では、毎日映画コンクール主演女優賞など、数々の賞に輝く。また、父の死後は松竹新喜劇で座長格として活躍。2002年には13回忌追善公演を各地でおこなった。

ページの先頭へ 戻る

バトル・ロワイアルII

藤原竜也・主演。サブタイトルは「鎮魂歌(レクイエム)」。2003年7月5日公開。前作(2000)を監督した深作欣二監督が引き続きメガホンを取る予定だったが、2003年1月、前立腺がんのため死亡(72歳)。前作でプロデューサーと脚色を担当した長男の健太が監督を務めて完成させた。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS