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SARSだからといって疎んじるな!中国系のりっぱな《キーパーソンからキーワード》
 

中国系学者

理化学分野で、中国人が世界を高い地位を占めるようになるのも、遠い先ではないだろう。

李遠哲

1936年、台湾生まれ。台湾・中央研究院長。政府の顧問もつとめる。国立台湾大学を卒業後、61年に渡米し、74年からカリフォルニア大学バークレー校の主任教授。1986年、「化学反応素過程の動力学的研究への寄与」によりノーベル化学賞受賞。台湾初のノーベル賞受賞者として国民の尊敬を集めており、「台湾の知性と良心の象徴」といわれる。2000年の台湾総統選に際しては陳水扁支持を表明して、その当選に大きな影響を与えたという。

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フィールズ賞

1936年、カナダ人数学者ジョン・フィールズ(1863−1932)の遺言によって創設。4年に1度開催される国際数学者会議(ICM)で、いちじるしい業績をあげた若手数学者(40歳未満)に授与。数学のノーベル賞といわれている。 これまで中国系では1982年に丘成桐(1949〜)が受賞しただけ。日本人では、小平邦彦(1954)、広中平祐(1970)、森重文(1990)。

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新時代の発展戦略

2003年3月、中国科学院(科学アカデミー)が発表したレポート。科学分野において、今後20年間の発展目標を明らかにする内容。「急発展、人材、持続可能な発展」の3つの視点で戦略が記されており、「模倣」から「創造」への転換を進めるとしている。基礎研究のいくつかの重要先端分野で、2020年ごろまでに中国からノーベル賞レベルの研究成果を上げることを目指す。

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中国系ノーベル賞受賞者

中国系学者で科学関係のノーベル賞を受賞したのは、李政道・楊振寧(1957、物理)、丁肇中(1976、物理)など、李遠哲を含めて6名。だが、すべてMIT、コロンビア、プリンストンなどアメリカの大学において研究を行っている。アメリカの工科大学では7000人以上の中国系教授が、最先端科学技術の研究と講義にあたっている。

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中国系アメリカ人の教育

アメリカ在住の中国人が子弟教育のため構成した組織「全米中国語学校連合総会」が存在し、全米に400校以上の中国語学校を展開、約7万人の学生が英・中2ヶ国語を教育されている。高校生のノーベル賞といわれる「インテル科学人材賞」の準決勝で、全米の高校から選抜された高校生300名の中に、中国語学校の生徒が51名も入るほど教育レベルは高い。

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国家最高科学技術賞

中国で2000年に創設された国家レベルの賞。科学技術の発展に大きく貢献した科学者に贈られる最高の栄誉とされる。第一回の受賞者は中国科学院システム科学研究所の呉文俊と湖南ハイブリッド米研究センターの袁隆平。呉は500万元の賞金のうち、50万元を出して「数学と天文学シルクロード基金」を設置した。

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陳景潤

1933-96 中国の代表的数学者の一人。福州生まれ。中学卒業後の1949年、厦門大学数学科に入学、卒業前に北京第4中学校の教師に。1954年厦門大学の図書館員となり研究を続けるが、著名な数学者・華羅庚(1910−85)に注目され、中国科学院・数学研究所の所員となった。のち人民大の代議員、科学院の正式会員にも。数学雑誌の編集も手がけた。古典的難問であるゴールドバッハの問題、双子素数定理などの研究に貢献。

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陳建功

1893-1971 中国の代表的数学者の一人。研究分野は三角級数論、実関数論、複素関数論など多岐にわたる。また優れた研究者を数多く育てた。1913、20、26年と来日、東北帝国大学・同大学院で数学を学ぶ。1929年の帰国後は浙江大学で教鞭をとった。戦後はプリンストン高等研究所、復旦大学などに在籍。1958年、教育革命の一環として数学の基礎理論が否定され、陳も打倒対象人物となった。1969年開放。

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清華大学

1911年創立。北京にある理工系の名門大学、というより「アジアの最高学府」とよばれる。スタンフォード大学とも似て、学生・教授陣は起業家精神に満ち、同大の周辺には産学協同のベンチャー企業が続々と生まれている。もともとアメリカ資本で作られた大学であり、集まる企業もアメリカ系IT関連会社が多い。胡錦濤総書記の出身大学でもある。

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