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国連がとめられなかったアメリカの覇権
―― 大国とは…の特集
 

アメリカのこれまでの戦略

アメリカはたまには失敗するが、《戦略的な》国家である。

ヴァンデンバーグ決議

本誌1954年版収録。以下、

Vandenberg Resolution 国際連合の集団的安全保障体制を積極的に推進すべきアメリカの態度を闡明した1948年6月11日の米上院の決議。ヴァンデンバーグは当時の上院外交委員長。アメリカが憲法上の手続を経て合衆国の国家的安全に影響する地域的及び集団的取極めに参加すること、且つその取極めは「継続的で効果的な自助及び相互援助」を条件とすることを定めているのか中心である。1949年の北大西洋条約を結ぶ基礎となった。日米安全保障条約的もこの系列に属する。

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大量報復戦略

本誌1993年版収録。以下、

Massive Retaliation アメリカが最初に採用した核戦略。1954年1月ダレス国務長官の演説に使われた「大量報復」という表現が、命名のいわれ。当時、アメリカは圧倒的に優勢なB52戦略爆撃機隊と多くの海外航空基地群を保有しており、敵の本格的攻撃を受けた場合、大量の核報復攻撃が可能な状態にあった。

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確証破壊戦略

1993年版収録。以下、

Assured Destruction

1960年代にアメリカが採用した核戦略。65年マクナマラ国防長官が初めて使った用語で、仮に敵の第一撃を受けても、これに耐えて残存した核戦力をもって、敵に対して到底耐えられないような大損害を確実に与えられる高度に信頼できる核戦略を保持する戦略をいう。

敵に与える損害の程度は、ソ連に対して人口の5分の1ないし4分の1、工業能力の2分の1ないし3分の2を破壊するとしていた。このような都市人口や工業中心に対する報復理念はやがて対価値戦略(countervalue strategy)として軍事目標を攻撃する対兵力戦略(counterforce strategy)と区別されるようになった。70年代に入ってICBMの命中精度向上の見通しがつき、対兵力戦略が報復攻撃の中で重視されるようになりアメリカの核戦略は柔軟反応戦略へと進化していった。その後ソ連の戦略核戦力の増強により米ソの実質的均衡の状態になったことを、相互確証破壊(MAD Mutual Assured Destruction)の状態という。

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柔軟反応戦略

本誌1993年版収録。以下、

Flexible Response 歴史的に2つの意味に使われている。第1は、大量報復戦略による核軍備偏重に対するアンチテーゼとして、通常軍備と核軍備とのバランス維持を重視する戦略。1959年、マクスウェル・テイラー・アメリカ陸軍大将がその著書「定かならぬラッパの響き」で提唱し、マクナマラ戦略の基本理念となる。全面核戦争から局地限定通常戦までを抑止するため柔軟に対応しうる能力を保持することを意味する。第2は、確証破壊戦略から対兵力戦略への移行に関連して、軍事目標、都市、政治・工業目標など戦略攻撃目標の選択を敵の出方に応じうるように柔軟性を持たせる幅のある目標選定基準を適用する核戦略である。76年以後NATOは通常戦力、戦域核、戦略核の3つの戦力を相手の出方、戦況に応じて戦争拡大抑止のため使う戦略を正式に採用して、柔軟反応戦略と呼ぶ。

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相殺戦略

本誌1993年版収録。以下、

Countervailing Strategy 全面核戦争となると米ソとも軍事目標、政治中枢、工業・交通施設などの大部分は破壊され、相互に自殺行為であることが明らかなことを実証する戦略である。1980年8月、カーター米大統領指令第59号で正式に採用。ピースキーパー、トライデント潜水艦、ALCM爆撃機が中心になる80年代アメリカ核戦略の基本としてレーガン政権にも受け継がれた。命中精度の飛躍的向上、MIRV技術および攻撃目標転換技術の進歩、非脆弱性の強化によって、確証破壊戦略よりもさらに進化した核抑止戦略である。

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選別的抑止戦略

本誌1993年版収録。以下、

Discriminate Deterrence 米国防総省が1988年1月に発表した総合長期戦略委員会の報告書の題名に使われたのがこの「Discriminate Deterrence」という言葉。フレッド・イクレ、アルバート・ウォルスッターを共同委員長とするこの委員会の報告書は、INF全廃条約調印後の情勢で、今後20年間の国際情勢の変化に対応するアメリカの基本戦略を論じたもの。核兵器使用の可能性を、柔軟反応戦略の場合よりも、さらに少なくし、核兵器の戦争抑止力を「選別的」に行使し、核戦争生起の可能性を最小限にするのが目的。

アメリカのこの戦略宣言によって核戦略は大量報復戦略、確証破壊戦略、柔軟反応戦略似来の重要な変化を見せた。核抑止力の「選別的」使用の具体的意義は、戦略核戦力の抑止的意味での配備は継続し、これに次ぐものとして「短距離核兵器」の抑止力としての前線配備を継続することを内容としている。

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アメリカのアジア太平洋戦略

本誌2003年版収録。以下、

アメリカは、「2002年国防報告」で、「中東から北東アジアに至る地域には、急進過激主義で、国家規模に比して大きすぎる軍隊を保有し、長距離ミサイルとNBC兵器を装備あるいは装備を意図している国が存在し、大規模な軍事紛争が生起しやすい地域になりつつある。また、この地域には強大な資源基盤を有する軍事的競争相手の出現可能性がある」との不安定化傾向増大の認識を示すとともに、この地域におけるアメリカ軍基地密度の低いことを指摘している。この認識のもと、アジア太平洋地域の平和と安定のために、軍事的には、本地域に、陸海空軍および海兵隊を統合する太平洋軍を配置するとともに、わが国をはじめいくつかの国々との安全保障取決めをさらに強化し、この地域の紛争発生を抑制し、アメリカと同盟国の利益を守る政策をとっている。

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相互依存の戦略

本誌1991年版収録。以下、

strategy of interdependence 東西が対立しても、経済協力を通して長短を補い合い、特に相手から依存される度合いを高めることによって安全保障を高めようとする戦略。ソ連のヤンブルグ天然ガスパイプライン敷設に、西側が110億ドルの信用供与をし、その見返りとして、ソ連が西欧に年間400億立方メートルのガスを供給するとの計画を、アメリカはこれをソ連への過度の依存だと警告したのに対して、西ドイツは「むしろソ連経済の西側依存を高める効果がある」として、相互依存戦略の効用を主張した。アメリカ自身、ソ連に食糧を輸出することによって、後者の前者への依存の有効性は認識できるものの、ソ連のアメリカ以外の国々への依存には関心を示さなかった。しかし冷戦構造が崩壊し、また、アメリカ自身の経済力の低下から、相互依存の戦略は一般化しよう

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前方展開戦略

本誌1991年版収録。以下、

Forward Deployment Strategy アメリカが自国軍隊をソ連に近接した地域に配備することの総称である。アメリカは現在、有力な兵力を西ドイツと韓国に配備し、戦闘即応対勢をとり、一部兵力を日本、フィリピンおよび中東に配置してその後方を固めている。これらがすべて、アメリカにとっては前方展開戦略である。これらは本来、戦争抑止力を目的とするものであるが、これが配備地域の情勢安定に大きく貢献していることはいうまでもない。アメリカの前方展開戦略は、今後も当分は世界平和維持のため配備されるであろう。

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地域防衛戦略/前方展開戦略

本誌2000年版収録。以下、

regional defense strategy / forward deployment strategy 米ソ対立を核とした東西冷戦時代、東側の戦略は全世界に対する共産主義体制の拡大であり、西側の戦略は東側の「封じ込め」であった。アメリカは、西側諸国家と同盟し、朝鮮半島・インドシナ半島・ドイツ等の地域に自らの軍事力を「前方展開」する戦略をとった。一方、東側は、封じ込めラインを直接打ち破ろうとするばかりでなく、中南米・東南アジア・アフリカに共産主義勢力を植え付けて、西側陣営を背後から脅かした。アメリカは、これらの地域の反共産主義勢力を支援する戦略をとった。冷戦後、グローバルな東西両陣営の対立は解消し、逆にこれまで2超大国のパワーで押さえられていた民族・宗教等に起因した長年・怨念の地域紛争が頻発するようになってきた。

冷戦体制崩壊後に唯一のスーパーパワーとして残ったアメリカは、冷戦後も軍事力の一部を前方に展開して、これらの地域紛争の生起を戦略的に抑止し、紛争が生起したならば危機に対処し、平和を回復する一連の行動をとるべく「地域防衛戦略」を打ち出してきた。この戦略は、冷戦時代に西側諸国と共同歩調をとってきた「前方展開戦略体制」を基盤にしたものである。

1998年11月米国防総省が発表した「東アジア戦略報告98」においても、アメリカはアジア・欧州地域に引き続き各10万人の前方展開兵力の維持を明言している。しかし「前方展開戦略」という名称は同じであってもその対象とする脅威認識/事態様相認識には根本的に大きな差がある。95年に日米安保を見直して、北の脅威に備えた冷戦時代の体制から、わが国周辺の地域紛争にも対応できる体制に変えてゆく作業が進められたのはこのためである。アメリカ側の視点に立てば、米軍の前方展開を可能にするためには、安定した基地施設の提供・質の高い労働力・装備の整備造修能力・資金提供・国民的合意・近隣諸国の支持と理解という6つの条件がある。アジア・太平洋地域でこの6つの条件を同時に満たしうる国は、わが国をおいてほかにない。わが国周辺には、冷戦構造がいまだに残っている朝鮮半島、急速な経済発展をとげつつある中国が遠からず軍事大国になる可能性があることへの懸念、独立指向にある台湾の行方、南沙群島の領有権問題をめぐる問題もあって、地域紛争の火種に事欠かない。

96年4月の日米安全保障共同宣言(21世紀に向けての同盟)およびその直後から検討され、発表されたいわゆる「ガイドライン」の意義もそのような背景のなかでこそより妥当に理解されるものである。日米安保体制の再定義が行われた。

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3面戦略

本誌2000年版収録。以下、

three-pronged strategy 1997年7月、統合参謀本部議長名で出された「国家軍事戦略」において、引き続き98年2月、FY99米国防報告において打ち出された戦略で、「アメリカの国益にとって有利な国際安全保障環境を形成し、すべての危機に対応し、21世紀のために、今、準備に着手する」という「形成」「対応」「準備」の“three-pronged strategy”を策定したもの。内容的に新しいものはないが、新しい概念くくりとである。

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アメリカのユネスコ脱退

本誌1987年版収録。以下、

アメリカは、1983年12月29日付の国連事務総長への通告に従い、84年12月31日をもって国連の専門機関であるユネスコから脱退した。ユネスコの分担金25%(年間2億ドル)を負担するアメリカの脱退の結果、ユネスコは財政的窮地に陥っている。アメリカのあげる脱退の理由は、<1>ユネスコ活動が本来の目的を離れて過度に政治化し(たとえばイスラエルの非難など)、ソ連、東欧と第3世界に牛耳られていること、<2>国連予算の縮小化が進む中で、逆にユネスコの予算は膨張し、その使用が非能率的であること、<3>ムボウ事務局長(セネガル出身)の片寄った人事政策と運営方針、などであるが、アメリカ政府内での国連への不信感が背景にある。これに対し、ムボウ事務局長は85年にユネスコ改革案を提出した。なお、イギリスとシンガポールも85年末にユネスコを脱退している。アメリカ政府は類似の理由から77年11月から80年2月まで、国連の専門機関ILOから脱退した前歴を持ち、ユネスコに対しても、同様のショック療法を試みたものといえよう。ただしアメリカは、オブザーバーの資格で事務局との連絡・調整に当たっている。

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国際テロ支援国

本誌1983年版収録。以下、

アメリカが認定した国々であり、現在リストアップされているのはリビア、イエメン人民民主共和国(南イエメン)、シリア、キューバである。元来からリストにあったイラクは82年2月に除去された。国際テロ支援国に、アメリカ政府が軍事転用可能の機器を売却する場合には、議会に通告する義務がある。

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新しい戦争

本誌2003版収録、以下、

new war アメリカは、2001年9月11日の同時多発テロ事件を「戦争行為」と規定し、国際テロとの闘いを「新しい戦争」とよんだ。ブッシュ大統領が事件直後の一連の声明や会見で用いた言葉。「21世紀最初の戦争」「新しい種類の戦争」とも表現された。「新しい戦争」という言葉には、2つの意図が込められている。第1に、「見えない敵」であるテロとの戦争は、従来の戦争と違って、軍事だけでなく、政治、経済、外交、金融、情報など多様な手段を動員した総合的なものであり、時間的にも長期にわたるということの強調である。第2に、テロを「犯罪行為」とする従来の国際法的な枠組みの制約を緩め、アメリカの軍事力による対応を可能にすることである。しかし、テロを「戦争行為」として規定し、軍事力行使を正当化するには、既存の国連体制や国際法上、多くの問題点が残されている。

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ブッシュ・ドクトリン

本誌2003版収録、以下、

Bush Doctrine 公式に表明されたものではなく、ブッシュ政権の対外政策一般をさす用語として、その意味の重点も変わってきている。2002年1月末の「悪の枢軸」演説以来、軍事的優位に立脚した単独行動主義が中心であったが、6月1日のウエストポイント卒業式での演説以後、先制攻撃戦略の採用が焦点となった。国際テロ組織やならず者国家などの新たな脅威に対しては、従来の抑止概念が適用できず、自衛権の拡張として、攻撃される以前の先制攻撃が正当化できるという考えが提示された。先制攻撃は、9月17日に公表された『アメリカ国家安全保障戦略』で新たな戦略の柱として位置づけられ、対イラク戦争にも適用されている。従来の国際法を超える動きであり、武力行使の拡散を助長する可能性が批判された。

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モラル・クラリティ

本誌2003版収録、以下、

moral clarity ブッシュ大統領が多用する言葉。善悪を峻別する倫理的な明確さの意。もともとアメリカ外交には、複雑な国際社会の対立を善か悪かで白黒的に割り切る傾向がみられ、道徳主義(moralism)とよばれてきた。それは自国の自由民主主義を普遍的絶対的な原理とみなす政治的伝統に基づくものであり、冷戦の時期に猛威をふるったが、冷戦後は相対化の兆しが見えていた。9・11以後、ブッシュ大統領のパーソナリティともあいまって、外交政策がモラリズムの観点から論じられることが多くなった。アメリカ外交の未熟さを示すものであり、アメリカ外交が国際社会で果たす役割を考えれば、リアリズムに基づく外交への転換が求められる。

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ならず者国家

本誌2003版収録、以下、

rogue state 冷戦終結後の国際秩序への新しい脅威として、国際社会の規範と慣習を拒否する国家という意味で、いくつかの国々にアメリカ政府がつけた名称。「無法国家」とも訳す。公式用語ではあるが、明確な定義はなく、アメリカの政策上の必要に応じて対象国が入れ替わるなど、分析概念というより、宣伝概念の色彩が強い。おおむねの基準としては、<1>国内的に欧米の価値(人権、民主主義、市場経済など)に反する政策をとり、<2>国際テロの支援、軍事的膨張政策などで、アメリカの同盟国や地域秩序の安定を脅かし、<3>大量破壊兵器やミサイルの開発を追求し、その潜在的能力をもつ、などがあげられる。具体的には、アメリカ国務省がテロ支援国家として指定したイラン、イラク、北朝鮮、リビア、キューバ、シリア、スーダンなどの7カ国をさす場合が多い。1994年1月のクリントン大統領の演説で初めて登場して以来、アメリカの外交、軍事政策への世論の支持を動員する手段として、広く使われるようになった。これらの国々に対しては、外交、経済関係などで制裁が加えられている。善悪二元論的な概念が外交政策を硬直化させるという弊害もあり、2000年2月、M.オルブライト国務長官は、「問題国家」に用語を変更すると発表した。しかし、ブッシュ共和党政権は、強硬姿勢を強調する意図から、01年3月の大統領の議会演説からこの呼称を公式に復活させた。

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悪の枢軸

本誌2003版収録、以下、

an axis of evil ブッシュ・アメリカ大統領が2002年1月29日の一般教書演説で、反テロ戦争の第2段階の標的として、イラク、イラン、北朝鮮を名指しし、その総称として使った用語。レーガン政権期の旧ソ連批判のスローガン「悪の帝国」や、第2次大戦期の「枢軸国」に例えたもので、長期の凖戦時態勢で取り組むべき脅威という意味が含まれている。3国間に「枢軸」としての連携は弱いが、国際テロ支援、大量破壊兵器開発、抑圧的体制などの共通点が強調される。ならず者国家のうち、とりわけ国際社会への「重大な脅威」とされた国々で、ブッシュ政権は軍事力の行使を含めて、その体制転換(regime change)をめざすことを宣言している。しかし、アメリカの利害関係を背景とした一方的な規定の側面を否めず、善悪二元論の硬直性、軍事的手段の重視傾向などの問題がある。

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中東問題処理5原則

本誌1973年版収録。以下、

中東戦争停戦直後の1967年6月19日、ジョンソン米大統領が戦後処理にかんするアメリカの基本的立場を明らかにしたもの。骨子は次のとおり、<1>他国の生存権を認めること、<2>難民間題の解決促進、<3>自由航行権の保障、<4>無益な軍備競争の制限、<5>政治的独立と領土保全の尊重。この5原則は従来アメリカがとってきた立場の継続であり、新しい条件のもとでの適用だが、アラブ諸国は中立の立場をとっているようにみせながら、実はイスラエルの戦後処理の立場と基本的に一致していると反発した。ニクソン政権になってもこの原則はうけつがれている。

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