月刊基礎知識
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年頭にあたり新しいリーダー・新しい顔の特集
 

胡錦濤(こ・きんとう)

1942年上海生まれ、64年入党。水利電力部門や甘粛省で活動し、84年から共産主義青年団第1書記となり若手幹部として頭角を表す。85年から貴州省党委員会書記、88年から92年までチベット自治区党委員会書記として地方勤務、92年の党14全大会で中央政治局常務委員に大抜擢された。93年中央党学校校長、98年国家副主席、99年中央軍事委員会副主席を兼務し、党務のほか外交活動や軍務も積極的にこなしている。2002年11月の第16回党大会で、党総書記に選任された。

江沢民

1926年、江蘇省生まれ。46年中国共産党入党、機械工業部門でテクノクラートとして活動。85年、上海市長を経て、87年、同市党委員会書記。この時期の経済、学生運動への対処が評価され、89年6月、党総書記に任命、同年11月、中央軍事委員会主席、93年国家主席就任。海外からの投資を大いに引き出し(改革開放路線)、昨今の中国の経済的隆盛を築いた。2002年11月の共産党大会で総書記を退く。同大会で常任委員に選ばれた9人のうち江沢民派は、側近の曽慶紅をはじめ、呉邦国副首相、買慶林、黄菊。2003年春の全国人民代表大会で国家主席職からも退くとされる。

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中国共産党大会

中央委員会が招集し、5年に一度開催。第1回は1921年7月。党の重要な問題を討議し、決定する。また、党規約改正などの権限を有する。党大会で選ばれた中央委員が、政治局委員・政治局常務委員・党総書記を選出する、という流れ。2002年11月の第16回党大会では、約2100人が参加。胡錦濤が、党総書記に選ばれた。

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「三つの代表」

2002年11月の共産党大会で、党規約に盛り込まれた思想。中国共産党が先進的生産力の発展要求、先進的文化の進路、広範な人民の根本利益、の3つを代表する、という考え。江沢民が2002年2月に提唱。社会の変化を受け、党の基盤を労働者階級から私企業家などの新階層まで視野にいれた「広範な人民」へと拡大した。

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第四世代

2002年11月15日、前日に選出された中央委員会の第1回総会が開かれ、胡錦濤国家副主席が総書記に選出された。これによって胡錦濤を中心とする「革命第四世代」の指導部が誕生。「第一世代」が毛沢東、「第二世代」がトウ小平、「第三世代」が江沢民をそれぞれ中心とする。第三世代と第四世代は性格的には共通しており、中国が全国規模で“計画的に”養成してきたテクノクラート(理工系技術官僚)を中心とする指導者層。この世代交代に伴い、地方組織や中央で「第五世代」(40代〜50代半ば)の登用が始まっている。第五世代は、文化大革命後に大学に進学した世代で、激しい学力競争を勝ち抜き、欧米への大学院などに留学してきた非常に優秀な層である。

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清華大学

1911年創立。所在地は北京。理工系の名門大学とされ、文系の北京大学と並び称される。中国国内の大学ランキングでも多くで1位。日本からの留学生も多い。胡錦濤の出身大学。彼は16歳で同大学に入学した。最近では2001年8月に小泉首相の靖国神社参拝に憤慨した同大の学生が日本大使館前でデモを行い、大使館に抗議文書を手渡した。また、2002年2月にはブッシュ米大統領が同大で講演を行い、台湾問題の平和解決を強調している。

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クリスマス

イエス・キリストの誕生日とされ、降誕祭がおこなわれる。中国語で「Merry Christmas」は「聖誕節快楽」。中国の公の資料では、胡錦濤の誕生日は1942年12月としか記載されていなかったが、2002年12月25日、ロシアのプーチン大統領が、胡の60歳の誕生日を祝う電話をした、とロシア大統領府から発表されたことから、クリスマス生まれであることが明らかになった。

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抜擢

たくさんのなかから、特に選ばれて用いられること。胡は1985年、42歳で貴州省党委員会書記に就任、これは異例の若さであり、最年少の党委員会書記として話題になった。また、同年9月には中央委員となったが、これも共産党史上最も若い中央委員の一人である。つづいて92年10月には政治局常務委員に「三段跳び」で昇格など、抜擢につぐ抜擢であった。

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実務派

実際の事務や行政に長けている人。しばしば胡錦濤への形容として用いられる。胡は貴州省やチベット自治区の党委員会書記として地方行政の経験を着実に積み重ねてきた。また、本来改革派に連なる胡が、貴州省転任によって86年に始まる胡耀邦の失脚騒ぎから逃れ、 また88年のチベット転任によって、89年の天安門事件の関連からも逃れている強運はしばしば言及されるところ。文化大革命の時期には、劉少奇やトウ小平など“実務派”は、かなり非道い扱いを受けたが、毛沢東死後は、今日にいたるまで実務派の天下で、今後台頭してくるであろう革命第四世代・第五世代もみな実務派である。

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院政

引退した人物が実権を握って物事を取り仕切ること。江沢民は総書記を退いたものの、中央軍事委員会主席には留任、ひきつづき軍政の掌握をつづける。また、側近の曽慶紅が常務委員として党務を担っており、当面江沢民色の強い体制が続行すると見られている。天皇の位を引退した上皇が最高権力に立つという本来の意味での「院政」は、日本の律令制に特有の現象で、白河上皇(1053〜1129)にはじまる。

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曽慶紅

中国共産党常務委員(2002年11月より)。1939年生まれ。安徽省出身。両親ともに著名な革命家であり、党のエリートといえる。上海時代から江沢民に仕え、江の総書記就任にともなって北京へ。99年には党組織部長。日本とのパイプが太く、また好意的であるとされ、野中広務・元自民党幹事長らとも親しい。今後の対日外交を担う存在と目されている。

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