月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
耳ざわりのいい言葉には注意せよ
―― 「改革」「革命」は起こったか、なぜ起こらなかったかの用語集
 

理論

机の上ではおおむねうまくゆく。

野坂理論

本誌1951年版収録。以下、

前記のコミンフォルム機関紙に批判された日本共産党の理論的指導者野坂参三氏のいだいていた理論で、それによれば

<1>連合軍の進駐は日本を「再び侵略戦争を起し得ないように」し「民主主義を日本に植えつける意図をもって行われている」

<2>従って日本共産党は「平和的、民主的な方法によって民主主義革命をやって、さらに社会主義革命の方向にもってゆく」

<3>この民主的平和的方法とは「議会的な方法」であり、国会を通じて「共産党が社会党、その他の民主的諸勢力と連立政府をつくる」

ということである。この「理論」は、前記批判では、「第2次大戦後の日本に於て、あたかも、社会主義国への日本の平和的発展の条件が作られたというが如き…労働者階級とはなんら縁もゆかりもない反マルクス主義的な「反社会主義」的な理論として痛切に批判せられ、次いででた1月17日付中華人民政府機関紙「北京人民日報」社説でも同様批判された。野坂氏もまた1月19日の第18回拡大中央委員会においてその誤謬を認めるに至った。

ページの先頭へ 戻る

中西理論

本誌1951年版収録。以下、

コミンフォルム批判がでるまで日本共産党の内部には戦略問題にかんし対立が存在した。

一つに「野坂理論」に代表される党主流の見解で、来るべき革命の性質と日本プロレタリアートの任務は「ブルジョア民主主義革命の完成と社会主義への過渡的諸任務の遂行」とされていた。それに対立する見解は、来るべき日本の人民民主主義革命は、本質的にみて、社会主義型の革命であるとした。中西功氏に代表される戦略論は範疇としてみれば、後者に属する。いわゆる「中西理論」の特徴は

<1>わが国支配体制を内外独占資本の二重的結合とみること

<2>民族資本の存在を認めぬこと

<3>わが国の人民民主主義革命における民族独立運動の意義を過少評価すること等である。

ページの先頭へ 戻る

前衛理論

本誌1968年版収録。以下、

階級闘争において意識性、指導性をもち労働者階級の先頭にたつ党が必要であるという理論。党組織問題をめぐり、レーニンによってするどく提起された。労働者階級の自然成長性に対立する概念として用いられる。レーニンは労働組合などの大衆組織と前衛組織としての共産党をはっきり組織形態において区別した。特にこれはボリシェビキとメンシェビキの組織問題をめぐる論争において展開され、党員の資格を党のいずれかの組織に属する職業革命家に限定しようとするレー二ン案は、党を広く支持協力者に開放しようとするマルトフ案と対立した。これはツァーリズムのもとにおける党活動の過程で提起されたものではあるが、それは階級闘争における大衆の自然成長的エネルギーの方向づけ、指導、さらに弾圧に対する組織の保持、国家権力との直接約闘争の必然性から一般的組織原則として定式化されたものである。

ページの先頭へ 戻る

「階級闘争激化」理論

本誌1968年版収録。以下、

1937年3月スターリンによって提出されたソ連邦国内の階級闘争に関する理論。スターリンはソビエト権力が世界資本主義によって包囲されているという認識を基礎にする。そして資本主義列強がすでにソ連邦のかなり深部まで破壊分子を送り込んでいること、国内の反ソビエト分子、とりわけトロツキズム信奉者が変質し、単なる政治的一潮流から「外国のスパイ機関に雇われた労働者階級の不倶戴天の敵の徒党」に転化したこと、しかもこれらの変質したトロツキストが一見忠実な党員のふりをしていること、さらに彼らの破壊能力を過大に評価し、ドニエプル発電所の建設には何万人の労働者が必要であるが、それを破壊するのは数十名で足りると述べている。以上のことからスターリンはソ連邦内における階級闘争はますます激化するとしている。この理論は「人民の敵」の名のもとに30年代後半め大量粛清を正当化することになった。

ページの先頭へ 戻る

トロツキー主義

Trotskyism レオン・トロツキー(1879〜1940)が1924年のレーニンの死から40年に暗殺されるまで、一貫してスターリンと行なってきた理論闘争の過程で形成した革命理論のこと。スターリンの一国社会主義論に対立するものとして永続革命論とよばれ、次のような内容を持つ。すなわち一国における社会主義革命の勝利は不可能であり、プロレタリア革命と社会主義社会の建設は最初は民族的境界の中で始められるが、その最終的勝利は少なくとも数力国での革命の成功、後には世界革命の達成をもってして初めて可能である。この意味からトロツキーによればスターリンの一国社会主義論はソ連邦のことしか念頭になく、全世界のプロレタリアートには眼を閉じている社会愛国主義の一変種であり、このことからスターリンのプロレタリアート蔑視、党機構や官僚への過重な期待、スペイン革命や中国革命に対するコミンテルンの日和見主義的指導(ブルジョアジーと妥協する)が生じてくるとする。このようなトロツキーの主張は、24年〜28年にソビエト共産党やコミンテルンで左翼反対派を率いて行なったスターリンとの論争で敗北し、29年、彼は反ソ活動のかどで国外に追放された。その後彼は世界各地でトロツキスト・グループを組織して第4インターを結成したが、40年、メキシコで暗殺された。現在ソ連邦共産党はトロツキズムを極左的冒険主義と規定している。

ページの先頭へ 戻る

ゲバラ理論

本誌1969年版収録。以下、

ボリビアのゲリラ戦で1967年10月戦死した元キューバ工業相チェ・ゲバラの革命理論。いたずらに手をこまねいて革命の一時期到来を待つよりは、人民の武装決起によって革命の条件をつくり出すべきで、特にラテン・アメリカのような低開発地域では、ゲリラ戦の拠点を農村におき、米帝国主義の援助を受けた近代装備の軍隊と対決する戦略・戦術をとるべきだ、というのがその理論である。

ページの先頭へ 戻る

「チュチェの血統」理論

本誌1986年版収録。以下、

金正日後継者化を合理化するために登場した最先端の理論。金正日書記が対外的に公式発表した第2回目の論文「朝鮮労働党は栄えある打倒帝国主義同盟の伝統を継承したチュチェ型の革命的党である」(1982年10月17日)以降、朝鮮労働党の宣伝物で主張され始めた。とくに、83年2月15日に『労働新聞』が金正日誕生日に際して掲載した編集局論説「チュチェ思想を継承しよう」は、「指導者が打ち立てた血統を永遠に継承していくのは、労働者階級の党と人民の気高い義務である」と主張して内外の注目を浴びた。85年に入ると、これは金正日書記自身の編み出した独創的な後継者理論として喧伝され始めている。

ページの先頭へ 戻る

下村理論

本誌1961年版収録。以下、

日本開発銀行理事下村治の唱えた積極経済政策論。<1>日本経済は歴史的な興隆期にあり、ここ当分年率10%以上の高成長を維持できる。<2>戦後の供給力不足はここ数年の急激な設備投資で解消した。この際、財政支出を大きくすることなどにより、需要を高めて、充実した設備能力をフルに動かすべきだ。<3>限界輸入依存度(国民総生産が1単位ふえるごとに輸入量がいくらふえるかを示す割合)は9%程度にすぎないから、国際収支悪化の心配はない。要するに、積極的に成長を進めていきさえすればよい、という高姿勢の経済観で、池田内閣の高度成長政策に理論的根拠を与えている。

ページの先頭へ 戻る

リーベルマン理論

本誌1983年版収録。以下、

1962年9月にソ連の大学教授リーベルマンが「計画、利潤、プレミアム」と題する論文を発表。上層部から強制的に与えられていた指標の数をできるだけ減らして、企業自体の自主性を高め、高い利潤をあげた企業や個人にはそれだけ多くの報奨金(プレミアム)を与え、労働意欲を高めて、経済効率の向上を計ろうとするものであった。フルシチョフ時代の末期に、このリーベルマン理論の実験(たとえば、モスクワとゴーリキーの2つの裁縫工場)を終え、ブレジネフ政権になって、やや変形された方式で導入された。すなわち、個人に報奨金を与えるのではなく、企業に与え、企業の自主制が高められた。66年に実施されたが、68年には失敗。政治面で党の再中央集権化がなされていた時期、経済面で地方分権化を行うのは無理であった。別名、コスイギン改革ともいう。

ページの先頭へ 戻る

ドミノ理論

本誌1969年版収録。以下、

domino theory 将棋倒しの理論というのに近い。ドミノ遊技ではサイの目の同点を、隣り合わせに、早く並へ終わるのが勝ちであるから、一地域が仮りに赤化すれば、その隣接地域も赤化の危険性が多くなると主張するもの。東南アジアの紛争で、南ベトナムが共産勢力の手に落ちれば、タイ、カンボジアその他の諸国も共産化するおそれが多いという説明を、このドミノ理論という言葉で形容する。

ページの先頭へ 戻る

逆ドミノ理論

本誌1969年版収録。以下、

ドミノ理論に対する理論。中共の文化大革命で、中共が近隣諸国に強硬な外交政策を展開してから、それまで中共とは関係のよかったビルマやインドネシアが中共から離反する傾向を見せたことなどがこれである。

ページの先頭へ 戻る

農産物自由化ドミノ理論

本誌1985年版収録。以下、

日米貿易摩擦の焦点は牛肉、オレンジの自由化について、アメリカの完全自由化要求に対して、どこまで日本側が譲歩できるかにある。この点について、農業関係者、自民党農林族の間にドミノ理論についての共通認識があるという。それは、万一、牛肉、オレンジを輸入自由化すれば、アメリカが次に迫ってくるのは米であり、米に火がつけば農村はパニックになるという波及効果である。また、選挙を控えた農林族にとって、農畜産物の自由化は自民党の大票田である農村の票を減らすという危機感でもある。

ページの先頭へ 戻る

中米ドミノ理論

本誌1983年版収録。以下、

レーガン政権の対中米・カリブ政策の前提をなす「理論」。キューバ革命(1959年)に端を発し、ニカラグアでも79年に革命側が勝利。両国の軍事援助によってエル・サルバドルに左翼政権が樹立されれば、革命はグァテマラ、ホンジュラスにも波及し、パナマ運河をも巻込んで、「合衆国にとって死活的重要性をもつ戦略的通商的大動脈」を共産主義勢力によって断切られてしまうことになるというのである。

ページの先頭へ 戻る

中間地帯理論

本誌1966年版収録。以下、

中国の外交基本方針は国際的反米統一戦線の結成にあるが、そのために各国間の矛盾を利用して米国を孤立化させる必要がある、そこに中間地帯理論が生まれてくる。

1964年1月21日の人民日報社説によれば、世界は社会主義陣営と資本主義陣営の代表である米国との対立を最大の矛盾として、社会主義陣営と、米国の間には2種類の中間地帯があるとしている。つまり第1中間地帯(アジア、アフリカ、ラテンアメリカのすでに独立し、あるいはしつつある国)と第2中間地帯(西欧、大洋州、カナダなどの資本主義国)がある。第1中間地帯は大国と第2中間地帯国の二重の圧迫と搾取を受けており、第2中間地帯は国内で勤労大衆を搾取すると同時に、米国からの圧迫を受け、支配階級は米国の支配から抜け出そうとしている。社会主義陣営はこうした2つの中間地帯諸国と、反米という共通目的で連合し、統一戦線を組むべきであるとしている。

ページの先頭へ 戻る

マクルーハン理論

本誌1968年版収録。以下、

カナダのトロント大学英文学教授H・W・マクルーハンの唱える独特な“ホット”(hot 熱い)と“クール”(cool 涼しい)に分類したコミュニケーション理論。1965年に出版した彼の著書「人間拡張の原理」が、67年わが国で翻訳されて以来、マスコミの話題をにぎわせた。今日のようなテレビ時代には、人間があらゆる感覚をフルに働かせて生活するが、テレビ時代以前の人間は、五感のうち視覚だけを働かせる活字生活をしてきた。前者をクール、後者をホットと区分する。だからテレビ時代の青少年は、視覚一本ヤリのおとなたちと違い、原始人に近い全感覚的生活をする、というのである。

ページの先頭へ 戻る

拮抗力の理論

本誌1976年版収録。以下、

theory of countervailing power アメリカの経済学者ガルブレイスが提唱し、注目を集めた現代独占擁護論。アメリカの重要産業における少数巨大企業の支配、それによる大規模な技術革命という事実認識から出発、しかしこれらの独占ないし寡占による弊害とが独占利潤の一方的収奪などはありえないことを論証しようと試みたもの。

議論の骨子は、独占はなるほど売手間の競争を制限したが、売手に対抗する買手の間に独占をチェックするあらたな力、つまり拮抗(きっこう)力を生み出しているということにつきる。

拮抗力のもっとも有力な例証は労働組合である。強大な独占が存在する重化学工業ほど、これに対抗する強力な労働組合が生まれているからである。あるいは食料品のごとき多数の消費者を対象とする分野では、消費者協同組合があるのも別の例証である。さらに、商業部門におけるデパートやチェーン・ストアなども、巨大な生産者を規制し消費者を守る存在である。ただし、こうした拮抗力に組織されていない幾百万のアフリカ人がいることも認められているが、この方面こそ国家が介入すべきだと主張されている。

ページの先頭へ 戻る

従属理論

本誌1988年版収録。以下、

dependence theory 世界経済理論としては、決して新しい理論ではない。すでに1960年代から、ラテン・アメリカ経済を論ずる経済学者によって唱えられていた。そこでは、経済の近代化がかえってアメリカ合衆国等の先進・独占資本主義による収奪を強化するという構造が察知されていた。A・G・フランクらによって、この構造は資本主義の周辺地域に対する低開発化ととらえられた。その理論は現実のラテン・アメリカ経済を説明するものとして歓迎された。この理論を低開発宿命輪として反発をしめすものもある。しかし、従属理論は昨今では、近代世界システム論によって補完され、16世紀以降、現在にいたる西欧世界の経済構造の分析にも流用されている。たとえば、東欧や南欧など近代資本主義形成に遅れた地域について、従属理論が適用される。ことに17〜19世紀の低開発の説明としてはかなり説得的である。

ページの先頭へ 戻る

X理論/Y理論

本誌1988年版収録。以下、

theory X , theory Y アメリカの学者マクレガー(D. McGregor)が主著『企業の人間的側面』(1960年)の中で提唱したもので、管理のスタイルを規定する基本的な人間観の類型である。X理論とは、人間は本来的に労働を嫌悪し、経済的な動機のみによって働くものだとする仮説であり、Y理論とは、生来人間は仕事が嫌いというわけではなくて、自己の能力を発揮し自己実現をめざしているとする仮説である。双方の人間仮説は対概念の関係にあり、よってX理論の立場では、厳格な命令・上から下への支配を特色とする管理スタイルが適合し、Y理論の立場では、人間の自主性が重視され、自分で計画を設定し、自分で実行を統制するといった自己管理が適合する。このY理論における人間観は、分権思想・参加的管理・目標による管理に通ずるもので、マクレガーの提唱以来脚光を浴び、管理といえばX理論からY理論へと人間観を移行させて考えることが、一つのブームとなった。しかし、双方の立場は代替的関係にあるのではなく、状況適合的な使い分けの必要性のあることが指摘されたり、ドラッカー(P. F. Drucker)などによって、Y理論の立場にたつ管理スタイルの意外な面での厳しさが指摘されたりして、従来の皮相的見方に反省が求められている

ページの先頭へ 戻る

Z理論

本誌1988年版収録。以下、

theory Z セオリーZ(ジー)とも呼ぶ。アメリカのW.オオウチ教授が、1981年に著書『セオリーZ』のなかで提唱した経営理論。教授は、日本の組織をJタイプ、アメリカのそれをAタイプとして類型化し、それを基にアメリカの優良企業の組織を検討してみたところ、それらの企業がA‐J両タイプの優れた特色を併せ持っていることが判明した、とする。そしてこれら優良企業の組織をZタイプと呼称したのである。教授のこのZタイプの主張は、日本の経営の特殊性が注目を集めているなかで、逆に経営スタイルの普遍性を示唆するものとなった。

ページの先頭へ 戻る

あいまい理論(ファジー理論)

本誌1988年版収録。以下、

fuzzy theory もともとは数学理論で、ものごとを白が黒か、真か偽がというように2値論的に割り切るのではなく、その中間の存在を認め数字的に工夫された理論である。アメリカでは20年ほど前から研究されており、日本でも研究が盛んである。そして、企業経営もルール・制度を必要以上に厳格にするのでなしに、むしろ積極的にあいまいさを残し、そこから生まれる創意や活力を利用するほうが経営の柔軟性と活性を確保できるという考えによってこの理論の経営への応用が最近なされつつある。

ページの先頭へ 戻る

収れん理論

本誌1985年版収録。以下、

convergence theory 対立する東西両陣営の社会を徐々に同質化させることによって平和を実現させようという見解。従来の西側の収れん理論は、ソ連経済の発展によってソ連社会は西側に近寄るというものであったが、1984年4月23日に米コロンビア大学研究員ウォード・モアハウスは、米ソ核戦争の悪夢を終わらすためには、アメリカの社会体制をソ連のそれに近づけるべきだと提案した。

ページの先頭へ 戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS