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危機管理のキーパーソンからキーワード
 

柘植久慶

コンゴ動乱

1960年6月、旧ベルギー領コンゴが独立。直後、ベルギー人将校に対するコンゴ人兵士の反乱が発生し、ベルギーは白人保護を名目に軍事介入。国連軍を巻き込む騒乱となった。1963年、統一が回復。柘植は1961年の大学在学中、欧州旅行の際、コンゴからの分離独立を企てるカタンガ軍の徴募係と知り合い、傭兵としてコンゴ動乱に参加している。

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アルジェリア紛争

アルジェリアはフランスの植民地だったが、1954年、アルジェリア民族解放戦線(FLN)が結成、58年、エジプトのカイロにアルジェリア共和国臨時政府を樹立。1962年7月に独立を果たした。柘植は1962年、フランス外人部隊の格闘技教官としてこの紛争に参加している。

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外人部隊

自国民による志願制あるいは徴兵制の軍隊ではなく、募集による外国人の武装部隊。前者が法的義務や、はたまた愛国心によって動機づけられているのに対し、金銭報酬を条件とする契約を根拠とする。

中世の傭兵制度の遺風ともみえ、近現代では、植民地当統治・外地での戦争にあたることが多く、フランス外人部隊が有名。同部隊では、ドイツ人部隊等が多く、インドシナ戦争・アルジェリアなどで戦った。

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バディ・システム

兵士を2名で1組とし、各人の装備を画一化せず、欠けたものはほかの1名がカバーするというシステム。フランス外人部隊でも採用されている。単独で行動するのに比べて視野が広がり、補い合えるため、不測の事態に対処するのに有効とされる。

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ラオス

正式名称はラオス人民民主共和国。首都はヴィエンチャン。1970年、柘植はラオスを訪れ、有力者の間に人脈を築いて、政府の格闘技教官に就任。生徒たちの体力のなさと、小乗仏教徒特有の厭戦感情に絶望したが、タイ式ボクシング(ムエタイ)の技を取り入れ、蹴りと肘打ち中心にして非力をカバーしたという。

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グリーンベレー

アメリカ陸軍特殊部隊の一つ。1952年、対ゲリラ戦を目的として設立。柘植はラオスでの教官時代に、アメリカの軍事顧問と知り合う。自らをゲリラ鎮圧のエキスパートとして売り込みスカウトされ、陸軍大尉として特殊任務に就いた。沖縄でひそかに訓練を受け、第一線のチーム・リーダーになったという。

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ジャック・ナイフ

柘植がすすめる、腹筋強化の運動。もともと落下傘部隊兵のための運動。尻を支点とし、背中は床と45度前後をキープ。脚を揃えて、足首から踵が床に接しないように脚を上下させる。同時に背筋も鍛えられるのが長所。柘植自身は50回のセットを4回こなすという。

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手榴弾

手投げ用の小型爆弾。柘植はその著書「サバイバル・ブック」の中で、手榴弾の攻撃に対処する術を教えている。敵が投げると同時に安全把が離れたなら、拾って投げ返すだけの時間的余裕(約3.5秒)があるという。逆に先に安全把が離れて、一呼吸おいて投げてきた場合はひたすら避けることを勧めている。3メートル以上離れて伏せれば、破片は当たらないとのこと。理屈ではわかっていても、また容易な動作であっても、精神状態によってはなかなか実行できない場合もある。

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軍事郵便

従軍した将校や兵士などが利用する郵便制度、またはその郵便物。ナポレオンが下士官以上に昇進する条件として読み書きができることという規定をつくったため、軍隊における文盲者が減少、軍事郵便が盛んになるきっかけをつくった。柘植は1970年代から軍事郵便に興味を持ち、特にフランス軍を中心としたコレクションを開始。「戦場を駆け抜けた書簡」(原書房)なる著書まで上梓している。

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逆撃シリーズ

柘植の著作のうち、小説ジャンルでの代表作ともいうべきシリーズ。中央公論新社刊。主人公の作家・御厨太郎が時を超えて、関ヶ原やスターリングラードなど、古今東西のさまざまな戦争に参加。得意の軍事知識で大活躍するという設定。柘植の軍事・歴史知識がいかんなく発揮されている。

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柘植ナイフ(Tsuge)

柘植が自ら製作・プロデュースするナイフのブランド。戦場でなかなか自分に適したナイフがなく、苦労した経験から、自分好みのオリジナル・モデル製作を考えるようになったという。特徴は、直線部分を強調している点。これにより、全身の力が一点に集中できる。これはコントロールにも繋がる重要なポイントである。

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