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白川英樹◆飛騨高山岐阜県高山市。人口約6万6000人。400年の歴史を持つ飛騨地方の中心地。各種の工芸・技術で知られる。1936年、東京に生まれた白川は、満州などを経て、小学校3年生からの約10年間を高山で過ごす。野山で遊び、昆虫や草花に親しむ毎日を送っていた。白川自身は、この生活が科学的観察の目をつちかったと考えている。 ◆みちしるべ白川が高山市立第二中学校を卒業するときの文集のタイトル。白川はここで将来の希望としてプラスチックの研究をしたい、と記している。熱に弱いという弱点を除き、安価に作れるようになれば、「どんなに喜ばれることだろう」「あらゆる方面に利用されるだろう」などとある。熱い弁当を包んだビニールの風呂敷が延びてしまうのを見て、改良が必要だと思った由。 ◆アマチュア無線少年時代の白川が夢中になったものの一つ。小学5年生の頃、鉱石ラジオを組み立てたのがきっかけで、中学の時には短波を受信できるラジオを自ら製作。海外からの放送を聞くうち、無線の楽しみを知る。外国との通話もできる送信機を組み立てようとしたが、費用がかかりすぎることを知り、断念したという。インターネットができるかなり前、自由に世界へむけられた無線は少年が夢を託す格好の趣味となり何度か流行した。またそれは模型飛行機趣味等々とならび科学少年・技術少年の養成道場だった。 ◆セレンディピティ〔serendipity〕偶然がきっかけで素晴らしい発見をする能力。イギリスの政治家・著述家のホラス・ウォルポール(1717−1797)が1754年に始めて用いた造語。ペルシアのおとぎ話にちなむ(インド洋に浮かぶセイロン島の古称がセレンディップ)。白川はセレンディピティを自然科学や工学のみならず、あらゆる分野に必要な力であるとしている。 ◆東京工業大学TIT(Tokyo Institute of Technology)白川の母校。1882(明治14)年設立の東京職工学校が前身。1929(昭和4)年、東京工業大学となる。白川は1961年、同大学理工学部化学工学科を卒業。大学院を経て、66年から資源化学研究所助手をつとめた。在学中はワンダーフォーゲル部や無線部、エスペラント部などと迷った末、山岳部に入部。1年の4分の1は山で過ごしたという。 ◆ポリアセチレンプラスチックの一種である高分子化合物。1958年、はじめて人工合成に成功。白川は資源化学研究所の助手時代以来、ポリアセチレンの合成に取り組んできたが、当時ポリアセチレンは粉末でしか存在しなかった。ある時、学生が誤って大量の触媒を投入、薄い膜状のポリアセチレンが出来上がった。この結果がノーベル賞を受賞した導電性高分子の研究につながった。 ◆導電性高分子白川がノーベル化学賞を受賞した研究課題。プラスチックなどの高分子は電気を通さないという常識を覆し、白川のポリアセチレン薄膜(前項参照)をもとに導電性プラスチックを生み出した。コンデンサー、携帯電話の画面、カラーコピーなど思いがけないところに深く浸透しており、今後さらに広がっていくことが予想される。白川は「現代の錬金術」と呼んでいる。 ◆筑波大学東京教育大学を前身に1973年「新構想大学」として設置。研究と教育の分離が最大の特色。白川は1979年、筑波大学の助教授となり、82年より教授、2000年定年退官。ノーベル賞受賞時は名誉教授。朝永振一郎(東京教育大時代)、江崎玲於奈に続き、同大の名誉教授としては3人目のノーベル賞。 ◆アラン・マクダイアミッド1927〜。ニュージーランド生まれ。米国人。ペンシルベニア大学教授。2000年、白川、アラン・ヒーガー(カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)とともにノーベル化学賞を受賞した共同研究者。1975年に来日した際、白川の研究室でつくったポリアセチレンのフィルムを目にして、博士研究員としてペンシルベニア大学へ招聘した。 ◆サボテン淡々としてけれん味がないのが白川の人柄と言われるが、唯一の贅沢な趣味がサボテン。自宅の屋上には小さな温室が設けられ、1500種ものサボテンが並べられ、栽培されている。だが、これすらも実験栽培であるとのこと。 |
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