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夏休みもおわり特集・子どもに見習わせたい“最近の偉人”伝
――世界的に著名な日本人からキーワード
執筆協力 編集工房インデックス

野依良治

灘中学/灘高校

灘中・高等学校は1927(昭和2)年10月、灘五郷の酒造家両嘉納家及び山邑家の篤志を受けて旧制灘中学校として創立。近年は受験生の志向が変わりトップにはならなくなったが、毎年東大合格者数1位2位をあらそってきた超一流進学校。とはいえ、そうなったのは高橋源一郎などが在籍した1960年代中盤以降のことで、野依の在籍時は、東大合格者数トップ10には到底及ばない程度であった。

野依は灘中学を受験の際、得意の算数が解けず落ちたと思い2、3日落ち込んだという。

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柔道

柔術を母胎として、講道館柔道の創始者嘉納治五郎により現代柔道の基礎が作られた。1964年にオリンピックの正式種目となり、スポーツとして各国で盛んに行われている。灘中学・高校には同校の設立に尽力した講道館柔道の祖・嘉納治五郎の像がある。野依も中学・高校の6年間柔道部に所属し活躍した。

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京都大学工学部

京都大学工学部は、1897(明治30)年6月、京都帝国大学が創設され、分科大学の一つとして同年9月に理工科大学が開校したことに始まる。工業化学科からは、福井謙一、野依良治のノーベル化学賞受賞を輩出。卒業生は、学術・産業の広い領域で活躍し、今日の日本の科学技術の礎を築いている。

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桜田一郎

1904〜1986。ビニロンを発明した合成繊維化学の世界的研究者。ビニロンは、1939年に京大の桜田と鐘紡の矢沢将英によって開発された。戦後、木綿の代用品として重宝され、現在も体操着や作業着などに使用されている。野依は桜田一郎の指導を受けたいということで志望校は京都大学工学部だけだった。

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トリスバー

昭和30年代、寿屋(現サントリー)が大衆向けに売り出したウィスキー、トリスを安値で飲める「トリスバー」が東京、大阪を中心として続々と誕生。大流行した。野依も京都大学の学生時代に利用し、タクシー代まで飲み友人と下宿まで歩いたこともあったという。

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鬼の野依

京都大学工学部の助手として活躍していた頃から野依は精力的な研究者だった。野依のいた野崎研究室は「不夜城」と呼ばれるほど。その後、名古屋大学の平田義正教授に白羽の矢を立てられ29歳の若さで助教授として異例の大抜擢を受ける。33歳で教授となり、「鬼の野依」とよばれる研究者となる。

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平田義正

1916〜2000。フグ毒であるテトロドトキシンの構造解析をした天然有機化合物の世界的研究者。平田は当時最新技術であった、核磁気共鳴吸収法という方法で、さらに関西大学の協力を得てX線回折法でもその構造を調べた。平田は野依をはじめ世界的研究者を続々と抜擢し「名大に有機化学あり」と世界に知らしめた。

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61(シックスティワン)クラブ

野依が発起人になって作った研究者仲間の交流会 。メンバーは伊藤嘉彦・京大名誉教授、桑島功・東工大名誉教授、村井真二・大阪大大学院教授、村橋俊一・大阪大名誉教授と野依の五人。いずれのメンバーも、野依が研究者として歩み始めたころからの仲間。このクラブで飲み食いしながら、侃々諤々の論争をしたという。

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不斉(ふせい)合成反応

有機化合物のなかには、組成が同じでも、右手と左手のように立体構造が対称的な鏡像体(光学異性体)を持つ化合物(キラル)がある。野依はどちらか一方だけ合成する方法を開発。これにより、バイオテクノロジーの限界を越えた人工的不斉合成反応が可能になった。野依は「キラル触媒による不斉水素化反応の研究」によってノーベル化学賞を受賞。

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