月刊基礎知識
月刊基礎知識トップページへ バックナンバーへ
キーパーソンからキーワード事典
 

ムシャラフ (Pervez Musharraf)

印パ戦争

1964年、軍に入隊したムシャラフは、翌年の第2次印パ戦争 (インド・パキスタン戦争) にて砲兵としてインド機甲部隊を迎撃、勲章を受けている。印パ戦争はカシミールの帰属をめぐる第1次 (1947〜49) にはじまり、第2次 (1965) 、第3次 (1971年) にわたる。

ページの先頭へ戻る

ナワズ・シャリフ (Nawaz Sharif)

パキスタン前首相。1949年〜。パンジャブ大卒。パキスタン20財閥の1つである父親の製鉄会社に参加。90年首相就任。パキスタン初の実業家首相だった。一度辞任するが、97年復帰。ムシャラフを陸軍参謀長に任命するが、99年10月12日の軍事クーデターで首相解任。2000年12月10日サウジアラビアに国外追放。

ページの先頭へ戻る

3A

パキスタンが抱える3つの問題点。過激派、穏健派入り混じったイスラム教徒への対処 (アラー,Allah) 、核兵器など、隣国インドに対抗するための軍事的問題 (アーミー,Army) 。経済封鎖後のアメリカとの関係改善と、これに対するイスラム過激派の反発 (アメリカ,America) 。

ページの先頭へ戻る

アタル・ビハリ・バジパイ (Atal Bihari Vajpayee)

隣国インドの首相。1924年〜。ビクトリア・カレッジ卒。元インド人民党 (BJP) 総裁。96年5月の総選挙で首相に就任するも、下院での信任が得られず、13日の短命内閣となる。98年3月〜99年4月第2次バジパイ連立政権。辞任後、暫定首相。99年10月、第3次バジパイ内閣が発足した。

ページの先頭へ戻る

カシミール紛争

インド・パキスタンの独立以来継続する紛争。カシミールはインド亜大陸北西部の山岳地域。1947年の印パ分離独立に際し分断。この帰属をめぐって、第1次、第2次の印パ戦争が行われた。1990年代に入って、インド領カシミールのイスラム教徒の間にパキスタン帰属運動が強まり、両国間の新たな火種となっている

ページの先頭へ戻る

義勇兵

10月27日、パキスタン北西部のアフガニスタンとの国境近くバジャウル地区に数千人の義勇兵が集結。タリバン支援のためアフガニスタンへ向けて進行した。同地区は自治権が認められており、パキスタン政府の介入は難しい土地。

ページの先頭へ戻る

イスラム協会

パキスタン最大のイスラム原理主義勢力。米軍のアフガン攻撃に対するパキスタン政府の協力を非難してきたアフマド・カジ総裁が11月6日から国家反逆罪容疑で身柄拘束。同協会は9日からの予定で「全国一斉スト」を国民へ呼びかけていた。総裁は「軍はムシャラフを追放すべき」などと発言。

ページの先頭へ戻る

核実験

1998年5月、パキスタンはインドと競って核実験を行い、アメリカによって経済制裁が発動された。この時点では適用を除外されていた制裁も、ムシャラフが政権を握った1999年10月のクーデター直後、一部を除いて復活した。

ページの先頭へ戻る

ニューデリー

ムシャラフの出身地。インドの首都。1995年の統計では人口942万人。1911年、カルカッタにかわって、デリーが当時のイギリス領インドの首都になった。1930年代以後、町の南にニューデリーと呼ばれる新市街が発展し、やがて新旧両市街は一体となった。街づくりはワシントンをモデルにしたという。

ページの先頭へ戻る

「反テロの要」

11月、国連総会出席のため、ニューヨークへ向かったムシャラフは、訪米前の7日、まずイラン高官と会談、次いでフランスのシラク大統領との会談において、パキスタンを「反テロ同盟の要」と強調した。また、アフガン攻撃の早期収拾をも同時に主張した。

ページの先頭へ戻る
All Right Reserved, Copyright(C) ENCYCLOPEDIA OF CONTEMPORARY WORDS